今月の特集1

(左)『漢方水先案内』津田篤太郎(シリーズケアをひらく)、(右)『鹿の王』上橋菜穂子(角川書店)

 2015年、本屋大賞を受賞した小説『鹿の王』(角川書店)。巨大な帝国に征服された王国と、その王国に広がる謎の病。「独角」と呼ばれる戦士団の頭であったヴァンと、拾い子・ユナの親子、西洋医学と東洋医学、未曾有の病に立ち向かう医療の姿......こんな数行ではとても書ききれない、胸を打つ、壮大なファンタジー小説です。

 著者の上橋菜穂子さんは作家であり、オーストラリアの先住民族・アボリジニを研究する文化人類学者でもあります。そんな上橋さんが、本屋大賞の授賞式で「この物語にもすごく繋がるものがある」とお話されていたのが、『漢方水先案内』という一冊の本。
 この本が、なんと、ミシマガジンで「ヘンテコ医学史漂流記」を連載されている医師・津田篤太郎先生のご著書だったのでした。

 西洋医学、東洋医学どちらも取り入れた医療を施こされている津田先生は、「歪んで戻って、歪んで戻って」が生命である、と言います。そこには、二極端ではない世界を描き続ける上橋さんと、通じるものがたくさんあるように思います。
 そんなお二人に、生命について、医療について、縦横無尽に語りあっていただきました。

(構成・写真:新居未希)

「健康」って、なんだろう? 上橋菜穂子×津田篤太郎

2015.07.20更新


「健康」のとらえ方

上橋私たちが考える「健康」と、津田先生のようなお医者さんが考える「健康」は、少し違う部分があるような気がするのですが、どうですか。津田先生は「健康」というものを、どのように考えていらっしゃるのでしょうか?

津田まず基本的に、病院には病気の人しかいらっしゃらないので、一般的な意味で「健康ではない」方にお会いすることが通常なんですね。でも、病院の一歩外に出ると、ほとんど健康な人しかいません。ここまでくっきりと境界線が引かれているのは、今の時代のひとつの特徴かもしれないですね。なんというか、具合の悪い人は、排除されたり見えなくされているところがあるかなあと思います。

上橋見えなくされている、というのは?

津田うーん、一種隔離をされているといいますか。もちろん、人にうつる病気もあるので、隔離が必要な場合もあります。けれどうつらない病気は、隔離をする必要はないですよね。

上橋ええ。

津田たとえば、足や腰が悪い人がゆっくりと横断歩道を渡るとします。すいすい歩ける人からすると、その人は流れの妨げになりますよね。僕は、そういうどこか身体の調子が悪い人は、元気な人ばかりの空間には居にくい雰囲気があるような気がしています。
 だから、そういうところで想像される「健康」という概念と、病院の中で我々が考える「健康」というものは、ズレていてある意味当然だと思うんですね。

上橋それはたしかに、かなりずれているかもしれないですね......。

津田我々は、多少具合が悪いところがあったとしても、普通に生活ができればいい、というくらいで「健康」を捉えます。けれども病院外の人は、すこしでも体調が悪いと「これは病気なんじゃないか」「何かすごい重大な問題があるんじゃないか」と考えてしまいますね。どうしても、小さい問題を大きく考えがちです。逆に、病院にいる人間は大きいものを小さく見積もってしまっているかもしれないですね。

上橋なるほど、それはすごく面白いです。そこまで深い話ではありませんが、人によっても、その大小はありますよね。私なんかは小さな痛みでも、「深刻な病気ではないか」と心配になるタイプです。逆に、まったくそんなことを考えもしないで、いざ病院にかかってみたら病気がすごく進行していた、という人もいるかもしれない。そういう個人差もありますね。


「悲しみの共有」という感覚

『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』津田篤太郎(ポプラ新書)


上橋私は津田先生のご著書『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』のなかにある北欧の話に、「なるほど、それはすごいなあ」と感心したんです。

 (略)保険の仕組みは、各々の未来が確率的にしか予想できないから成り立っている制度です。来年、何パーセントぐらいの人ががんになる。それはあなたかもれないし、私かもしれない。再来年、何パーセントの人が脳卒中になる。それは私かもしれないし、あなたかもしれない。だから、あなたと私でお金を少しずつ出し合って、病気になったときに備えましょう、というのが、保険の原理であるはずです。
 著名な財政学者である神野直彦・東大名誉教授によると、北欧では福祉のことを「オムソーリ(悲しみの共有)」と呼ぶそうです。病気の悲しみをみんなで少しずつ分かち合うという考え方は、保険の制度も同じだと言えます。
――『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』津田篤太郎(ポプラ新書)

 「悲しみの共有」。日本人のなかに、そういう感覚があるかなあ、と思ったんですね。社会の中に、わたしもいずれ、いや、今ですら、「一点の曇りもない健康」ではないのかもしれない、だから他の人が具合の悪いときはそれを考えよう、というような感覚があるかなあと。なかなか、ないかもしれないですよね。けれど、ではいざ社会で何かしようとなると経済的にも様々な問題が出てきてしまう。

津田そうですね。

上橋わたしはずっと、文化人類学をやってきて、その中で「病をどう考えるか」というのはコミュニティによって実に多種多様であるということを、様々な事例から学んできました。これがすごく面白いところで、私の健康観というのも、私が生まれ育って、いま生きている日本の健康観に影響されていて、一般的な健康観とは少し違うのかもしれません。
 実際に、たとえば病気を「穢れ」のようなものとして怖がり、忌避する感覚というのも見聞きしてきました。そのなかには、なるべくならそちらに関わりたくない、そばに来ないでほしい、という感覚もあるんですよね。それは「人が来ないでほしい」というのではなくて、「災いが来ないでほしい」ということなんですよ。


理想の解決は絞れない

上橋わたしはなにか物語を書いているときに、その中でひとつ問題が生じているとすると、「いま、この時点で私自身が考えうる、最高の解決方法はあるだろうか」と心の中で一度は考えてみるんです。そしてそれが本当に、現実にありえるだろうか、と。
 そのとき「これまで、社会が抱えてきた問題が理想的に解決されてきたことはあるのだろうか」ということをさらに考えます。けれど、そういったことはいまだかつて一度もないんですよね。完全に問題が解決された社会なんていうものは存在していない。これは変な話、完全に健康な世界なんて存在していないのとすごくシンクロしていると思うんです。でも、津田先生はそこで立ち止まりませんよね。

津田なんと言いますか、「理想の解決が得られないから放置する」ということが、医者にはできないんですよね(笑)。理想ではなくても、何かをするように要求される職業なので。

上橋たしかに、常に目の前で要求されていますものね。

津田「いまは理想の解決ができないから何もしません」とは、なかなか言えないです。あえて言うときもあるんですけれどね。

上橋おっしゃるときもあるんですね!

津田いま手出しをすると逆にデメリットになってしまう、という状態は、やはりあります。「watch & wait (タイミングを見て治療する)」という言葉もありますね。けれどその「watch & wait という選択をする」という意味においては、何かを選択していることになるので、そういうものを含めて「何かをせざるをえない」という状態ではあります。

上橋なるほど。

津田理想の解決というのも、なかなかひとつに絞れない部分がありますね。1時間後に評価するのと、1日後、1カ月後、1年後......と評価するのとでは、やはり時間ごとで違います。とりあえず痛みを止めるのであれば1時間後の時間経過の評価ですけれども、腫瘍が大きくならないように切除するとかそういう話になると、月から年単位のことを考えて、こちらも処置をするわけですよね。

上橋そうですよね。

津田コレステロールのお薬を飲んで、脳梗塞や心筋梗塞のリスクを減らす。10年から20年先のことを考えて、今はなんの症状もない人にお薬を飲ませているわけです。
 なので、「エンドポイント」をどこに定めるかで、何が理想の解決なのか、そのためには何をしないといけないのかがずいぶんと変わってしまうんですね。


<つづきます>


    

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上橋菜穂子(うえはし・なほこ)
作家・川村学園女子大学特任教授。
1989年『精霊の木』で作家デビュー。著書に『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。2014年、国際アンデルセン賞作家賞を受賞。

2015年、『鹿の王』で本屋大賞を受賞。



津田篤太郎(つだ・とくたろう)
1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。
子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

著書に『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』、『漢方水先案内』、『未来の漢方』(森まゆみとの共著)がある。

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