今月の特集1

(左)『漢方水先案内』津田篤太郎(シリーズケアをひらく)、(右)『鹿の王』上橋菜穂子(角川書店)

 2015年、本屋大賞を受賞した小説『鹿の王』(角川書店)。巨大な帝国に征服された王国と、その王国に広がる謎の病。「独角」と呼ばれる戦士団の頭であったヴァンと、拾い子・ユナの親子、西洋医学と東洋医学、未曾有の病に立ち向かう医療の姿......こんな数行ではとても書ききれない、胸を打つ、壮大なファンタジー小説です。

 著者の上橋菜穂子さんは作家であり、オーストラリアの先住民族・アボリジニを研究する文化人類学者でもあります。そんな上橋さんが、本屋大賞の授賞式で「この物語にもすごく繋がるものがある」とお話されていたのが、『漢方水先案内』という一冊の本。
 この本が、なんと、ミシマガジンで「ヘンテコ医学史漂流記」を連載されている医師・津田篤太郎先生のご著書だったのでした。

 西洋医学、東洋医学どちらも取り入れた医療を施こされている津田先生は、「歪んで戻って、歪んで戻って」が生命である、と言います。そこには、二極端ではない世界を描き続ける上橋さんと、通じるものがたくさんあるように思います。
 そんなお二人に、生命について、医療について、縦横無尽に語りあっていただきました。
 第2回をお届けします。

(構成・写真:新居未希)

「健康」って、なんだろう? 上橋菜穂子×津田篤太郎

2015.07.21更新

公衆の利益か個人の利益か

津田さらにいえば「人類にとっての理想」となると、個人には煮え湯を飲ませるようなことをする可能性もあります。

上橋うんうん。

津田抗生剤なんかがそうですが、みんながこれをやってしまうと、一世代、二世代後には耐性菌だらけになってしまって、使えるお薬というのがなくなってしまう。だからあなたがこのお薬を使うのは我慢してくれ、ということになってしまうんですよ。

 感染症専門医の青木眞先生はよく"You use it, you lose it."という格言を引いてこのことを戒めておられます。鼻風邪なんかが数日長引くと、鼻水が透明からだんだん黄色く濁ってきます。これは黄色ブドウ球菌という微生物の仕業なんですが、昔はペニシリンという抗生物質の元祖のような薬で簡単に退治できました。ところが、敵もさる者...で、ペニシリンが広く使われるようになると、黄色ブドウ球菌はペニシリンを分解する酵素を作ってそれに対抗するようになりました。そこで、こんどは人間の側が、酵素で壊されないメチシリンという抗生物質を1960年代に開発しました。これも良く効いていたのですが、バイ菌の側もだんだん慣れっこになってきて、メチシリンでも死なない菌(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌:MRSA)が出てくるようになりました。
 その後、MRSAを退治できる薬として、バンコマイシンという薬が注目をあびるようになりました。これは、メチシリンより前の1950年代に開発された物質なのですが、副作用が多くて使いづらい薬だとみなされていたのです。いわば、半分"お蔵入り"になってたような薬まで引っ張りださないと、バイ菌との闘いに勝てない、ということになっていくわけです。
 
 バンコマイシンはその後30年の長きにわたり、「最後の切り札」としての役割を果たしていたわけですが、1996年に、そのバンコマイシンも効きにくい菌種が日本で検出されて、世界に衝撃が走りました。

上橋うわあ。

津田いまではバンコマイシン耐性菌に対する抗菌薬も開発されているのですが、ペニシリンに比べればはるかに高価ですし、これまでの耐性菌とのいたちごっこの歴史を見れば、新しい抗菌剤に対しても耐性を持つ菌が早晩あらわれることは想像に難くありません。青木先生の箴言"You use it, you lose it."は、「不必要な抗生剤は使うな」ということですよね。
 ですから「明日仕事があるんだけれど、喉が痛いから抗生剤をくれ」と言われても、私は安易には抗生剤を出す気にはなれません。とくに喉の痛みは抗生剤ではすぐとれるものではないし、そもそも抗生剤が効くはずがないウィルス性のものである可能性が極めて高かったりする。もちろん、極度に免疫低下を起こしている患者さんには念のために抗生剤を出すこともありますが、それをみんなにやってしまうと、貴重な抗生剤を失ってしまうことになる。
 けれど、「だからあなたは我慢して」ということになると、個人ではなく全体の利益、という話になってくるんですよね。

上橋公衆の利益のために、一人の苦痛、それも死に至るわけではない苦痛の場合どうするか......。『漢方水先案内』のなかに、「揺らぐ生命」の話がありましたよね。


 まったく歪みのない状態、過不足なくバランスのとれた状態は病気から最も遠い状態ですが、そこでじっと留まっているのは、実は死んでいるのと同じです。「歪んで戻って、歪んで戻って」を繰り返していること自体が生命であり人間である、ということなのです。

――『漢方水先案内』津田篤太郎(医学書院)

 わたしはこれを読みながら、また別のことを考えていました。
 『鹿の王』でずっと書いていたことなんですが、わたしには「わたしたちは、ちゃんと、いずれ死ぬようにセッティングされている」と気づいたんです。生物として、次世代に命を、場をゆずって消えるようにきちんとできている。当たり前のことではあるのですが、それがものすごく冷徹にできあがっていることが、以前よりずっと明確に、見えてきたのです。
 身体の中のシステムというのは、実は自分が自分の身体を害して老化させている。あるいは病になったとき、こういうふうに病をおこして、消えるようにセッティングされているんだな、という感覚がすごくあるんです。


問題は「わが身のうち」に

津田話が一気に飛躍するんですが、再生医療だとか臓器移植だといった問題の場合、理論的には内臓が悪くなるたびに取り換えていくことができて、ひょっとしたら永久に死なないかもしれないですよね。

上橋うんうん、私もそれを思うことがよくありますよ。

津田コスト的な問題もあるので、みんなが利用できる話では絶対になくて、ごく一部の大金持ちがやれるかもしれないという、まだ夢物語みたいな話ですけれどね。
 そうして、もし人間が死ななくなってしまったら...というようなSFによくある展開になっていくと、人口が爆発したりとまた新たな問題が出現します。やっぱり、その人にとって良いことを全員にしてしまうと、逆に悪いことになってしまう。すると、じゃあだれにそれをするのか、ということになる。

上橋そこに浮かび上がってくるのは「社会」という次元での問題ですね。ややずれる話になりそうですけれど、底の部分では繋がっていると思うので言わせていただきますが、なにかこう、人間って、他の獣や生物がやっていないことをやっているような気がしているんですね。たとえば「患者」という存在に対して「医者」という存在があらわれて、病んで死にゆくものを救おうとする動きがあらわれる。でも病を治す犬があらわれるかというと、ある程度の助ける行為はあるみたいだけれども、そんなことはほとんどないでしょうね。

津田ないと思いますね。

上橋だとすると、これって人間のとても不思議な行為ですよね。だけれどそうして、人間の寿命が延びたか。たしかに延びました。けれど、その代わり別の問題も生じてきます。
 これは先ほど先生がおっしゃっていたように、一人の幸せが、ほかの人々全員が不幸になる可能性と直結している可能性があるということを、人口を減らして調節するように、見事にちゃんとできあがっている気がするんです。社会や文化を見ていると、すごくそう思います。

津田うん、うん。

上橋たとえば物語でいうと、敵が外からやってくると、すごく爽快感がある話が書けるんですね。敵をやっつけて、主人公はいいものになれる。けれどわたしはそういうものが、どうしてもいつも書けないんです。それは、「そんなことではなかろう」という思いがあるからです。敵はたしかに外からもやってくるけども、わが身の内からくるものも大変多くて。
 私、今年の人間ドックで抗核抗体検査の陽性反応が以前より大きくなっていたので、この前津田先生に自己免疫疾患の検査をしていただいたのですが、わたしは、どうも、身体のなかに、二重らせんになっているはずのDNAが一本だけにばらけているのを見つけると、大騒ぎして、そいつを攻撃するものがいるらしいんですよね(笑)。結局、わが身の内側においても、人の身体というのは、自分の身体を攻撃することが多くあるわけです。問題はわが身のうちにも存在する。

津田そうですね。

上橋科学は「なぜ」を考えてはいけないといいますけれども、私はやっぱり「なぜなんだろう」と思ってしまうんですね。そしてそれに対して人はどうするのかというと、やはり痛みがあれば除かざるをえないし、死にたくないし、なにかせざるをえない。何かが起きたら、それに対して多くのものを見ていながら、それでもこの「今」をなんとかせざるをえないのかなあ、と思ったりしますね。


なぜ西洋医学は世界のスタンダードなのか

上橋なぜ西洋医学が世界のスタンダードになるのか、というのは、すごく面白いなと思って気になっていることのひとつです。それは人間の「しこう」の問題じゃないかなと思います。この「しこう」は、「思考」「志向」とふたつあって、どうも一致しているような気がするんですよね。

津田ユニバーサルというか、普遍的なんですよね。世界のどこへ行っても、いつであっても変わらないものを真理とみなすのが、西洋医学だと思うんです。

上橋そうそう。西洋医学あるいは科学というのは、誰が見ても1+1=2であるような、明確さを感じさせるんですよね。そうでなかったらここまで広がらなかったんじゃないかな。

津田わかりやすいもののみ採用しているところもありますね。100人いたら95人以上が認めるものを真理として採用している。でもその代わり、その人個人にとっての真実や、その家族にとっての真実みたいなものにはあまり興味がないというか。

上橋あ、それ、大切なことですね。人類学を始めたときに、「これは科学にはなりづらいな」と思ったことが多々あるんです。わたしはオーストラリアの先住民であるアボリジニをずっと研究してきたのですが、同じアボリジニといったって、一人ひとりみんな違うわけで。個人差やヒストリーを無視した形で、「ここにこういう傾向があります」といって似たようなことを持ってきて、「語れる」状態にすることに果たして意味があるだろうか、ということをいろいろ考えてしまうことがあって。そこに今の話が、少しシンクロする部分があるかもしれません。

津田今までの科学では見えていなかった部分、今まで考えもしなかったことが、そこに潜んでいたりしますからね。人間の発想というのは意外と有限です。すごく新しいことを考えたようでいて、実は大昔の言い伝えに近いことであったりしますよね。

上橋うん、うん。先生の「ヘンテコ医学史漂流記」を読んでいると、すごく思いますよね。

津田結局おんなじことを何回も焼き直しているにすぎないのではないか、と。

上橋人間ってどうしてこう、学習しないんだろうと思うこともあります(笑)。もっと積み重ねていければいいのに、と。ある世代の人がやったことのその上に、次の世代の人間がいけるようなことがあるのであれば、もう少し違うことになっているのかな。本当に繰り返しですよね。

津田それは忘れているということでもあるでしょうし、理解の枠組みというのも無限にはなくて、結局有限個の概念で世界を理解するしかないんですよね。そう考えれば、同じことが何回も起こっていくことは、当たり前といえば当たり前なのかもしれないですね。


<つづきます>


     

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上橋菜穂子(うえはし・なほこ)
作家・川村学園女子大学特任教授。
1989年『精霊の木』で作家デビュー。著書に『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。2014年、国際アンデルセン賞作家賞を受賞。

2015年、『鹿の王』で本屋大賞を受賞。



津田篤太郎(つだ・とくたろう)
1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。
子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

著書に『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』、『漢方水先案内』、『未来の漢方』(森まゆみとの共著)がある。

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