今月の特集1

(左)『漢方水先案内』津田篤太郎(シリーズケアをひらく)、(右)『鹿の王』上橋菜穂子(角川書店)

 2015年、本屋大賞を受賞した小説『鹿の王』(角川書店)。巨大な帝国に征服された王国と、その王国に広がる謎の病。「独角」と呼ばれる戦士団の頭であったヴァンと、拾い子・ユナの親子、西洋医学と東洋医学、未曾有の病に立ち向かう医療の姿......こんな数行ではとても書ききれない、胸を打つ、壮大なファンタジー小説です。

 著者の上橋菜穂子さんは作家であり、オーストラリアの先住民族・アボリジニを研究する文化人類学者でもあります。そんな上橋さんが、本屋大賞の授賞式で「この物語にもすごく繋がるものがある」とお話されていたのが、『漢方水先案内』という一冊の本。
 この本が、なんと、ミシマガジンで「ヘンテコ医学史漂流記」を連載されている医師・津田篤太郎先生のご著書だったのでした。

 西洋医学、東洋医学どちらも取り入れた医療を施こされている津田先生は、「歪んで戻って、歪んで戻って」が生命である、と言います。そこには、二極端ではない世界を描き続ける上橋さんと、通じるものがたくさんあるように思います。
 そんなお二人に、生命について、医療について、縦横無尽に語りあっていただきました。
 第4回をお届けします。

(構成・写真:新居未希)

「健康」って、なんだろう? 上橋菜穂子×津田篤太郎

2015.07.23更新

技術が幸せを生み出しているわけではない

上橋先ほど「お客様としての患者」のお話が出ましたが、患者がずっとお客様視点だというのはいけないんじゃないかと思っているんですね。学ばないといけないことも、たくさんあると思う。たとえば「患者さんがこれをしたらいいのにな」と思うことは、お医者さんからするといかがでしょうか?

津田塩を少なめにとか、運動をしましょうとか、そういうことはいくらでもあるんですけどね。でもそういうことだけではなくて、「病気を治すとはどういうことなのか」を考えることが必要な時代になってきていると思います。

上橋健やかであるということに対して、たぶん大きな幻想というか、大きなステレオタイプの勘違いがあると思うんですよね。

津田無限にコストをかけていいものではないんですよね。
 高度で最先端の技術というのは、ほんの一握りの人にしか恩恵をもたらさない場合があります。たとえば臓器移植もそうですが、脳死になった患者さんから提供を受けて臓器を取り換えなければ生きていけない、という切羽詰まった状態の人はそんなには何千人もいるわけではありません。(註:腎移植だけは10000人を超える待機患者がいますが、人工透析や生体腎移植などの選択枝があるので除いています)。全身に癌が転移している人に肝臓だけ取り換えてももたないし、100歳を超えてる人に無理やり治療しても、体力が持たないかもしれない。技術があってもそれを適用できる人は意外と少ないです。

 マスコミで「夢の技術」「目覚ましい発見」と盛んに報じられても、その恩恵はニュースを見ているほとんどの人にとって縁が無いものだ、というのはよくあることです。その技術が自分や自分の身の回りにいる人に役立てられる可能性は限りなくゼロに近い、にもかかわらず、技術が導入されたらそのコストは負担を迫られるかもしれない。オムソーリ(悲しみの共有)という概念で公共の福祉が語られているとは言えない日本で、医療の技術革新にどれぐらいのコストをつぎこんでよいのか、きちんとした社会的合意が形成されているとは思えません。

 だからといって、希少難病の患者さんが見捨てられて良いわけではありませんが、一人の患者さんに何千万円も医療費が使われているのを目の前にすると、「このお金で飢餓に苦しんでいる子どもが何人救えるだろうか...」という考えが頭をよぎり、複雑な思いがします。


技術とはなんのためにあるのか

津田話が飛びますが、この前ニュースでリニアモーターカーの話題を見たんです。そのとき、「時速600キロを超えないと困ることって、なにかあるのかなあ」と思ったんですよね。そういう、技術とはなんのためにあるのかということを考えていかないといけないんじゃないか、と思います。

上橋ただそういう技術というのは、いい意味で意図しなかったものを生んでいくこともあるんですよね。たとえば何十キロっていうのは関係ないにせよ、リニアを作るなかででてきた技術が他のものに活きることもある。iPS細胞もそうですよね。

津田そうですね。新しい技術で直接の恩恵にあずかれなくても、大きな産業になるとか、雇用を生み出すという効果はあるかも知れません。しかし往々にして、患者さんが支払った莫大なコストが、特許料とか何とかで大企業のフトコロに吸い上げられているだけの結果になってしまうこともあります。新しい技術が多くの人々にほんとうに恩恵を与えるのか、その評価が定まるはずっとずっと未来のことです。

上橋とはいっても、いざ自分が患者あるいは患者の家族となったら...と思うと。やっぱり肉親だったら使いたい、と言うかなあと。

津田たしかに、「一日でも長く生きてほしい」と願うならば、どんな技術を使っても...ということになると思います。しかし、ただ時間的に長く生きているだけではダメで、「安楽に幸せに過ごしてほしい」と願うならば、どうでしょうか?
 新しい技術には注目がいきがちですが、技術だけが幸せを生み出しているわけではないということも、考えてみる必要があるように思います。介護職の給料が異常に低いだとか、ヘルパーさんが少ないとか、それに起因する問題のほうがよっぽど多くの患者さんを苦しめているかもしれない。

上橋なるほど。原因と結果を一本線で繋いでいては見えないものが、実はたくさんあるということですね。

津田自分の検査の値がすべて正常値になることが健康という定義ならば、医者や検査技師がたくさんいたほうがいい、ということになるかもしれませんが、自分の手足がちゃんと動くことこそが健康と考えるなら、いや、理学療法士や作業療法士を増やしたほうがいいんじゃないか、ということになるかもしれません。「健康とは何か」「病気とは何か」という問いにどう答えるか、医療職だけではなくたくさんの人に意見を出し合ってもらいたいと私は思います。

上橋一番はじめの話に戻るならば、健康の定義が固定的なものであることの弊害、ということでもありますね、それは。もっと広い視点がないかぎり今の話のなかの視点は見えてこない、ということですね。
 結局はぐるぐると視点を変えながら、ずっと同じことを話していたなあ。津田先生と話していると、人類学者と話している感覚になるんですよね。不思議です。今日は楽しいお話をありがとうございました!


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<対談を終えてのひとこと>

津田上橋さんにはじめてお目にかかったのは、今年2月、ちょうど私の三冊目の本「漢方水先案内 医学の東へ」が出たばかりの時でした。どこで私のことをお知りになったのかわかりませんが、すでに私が書いた二冊の本を隅々まで読みこんでおられました。それなのに、私ときたら、「なんだかすごく有名で偉い先生らしい」という認識しかなく、国際アンデルセン賞のことも存じ上げないというありさまでした。その場で、のちに本屋大賞を受賞されることになる「鹿の王」を頂戴して拝読したのですが、架空の病を扱っていながら医学的に見てリアリティを損なっておらず、むしろ病が個人のレベルを超え、日常の生活の営みから社会・政治・経済といったものにまで影響を及ぼしていく様子を、ダイナミックに描き出されていることに大いに驚嘆しました。

 われわれ医療者はどうしても目の前の患者さんの診断治療をどうするかで頭がいっぱいになり、ともすると視野狭窄に陥りがちですが、医療は自然科学の一分野である医学だけで成り立っているものではなく、まだわれわれには知り得ない何か、気づきもしない何かに依拠しているものなのだろうと思います。それを不確実と言ってしまえばそうなんですが、日々新たな発見をもたらし、飽きさせることがない世界である、とも言えそうです。一流の文化人類学者である上橋さんの、次々に繰り出す問いかけに触発されて、そういうことを強く認識しなおしました。


上橋ご縁というのは不思議なもので、時々、なんとありがたい偶然! と思うようなことが起きますが、津田先生との出会いは、まさに、そういう奇縁とでもいえるものでした。
 ここ数年、更年期障害に悩まされていて、様々な葛藤の中で漢方に出会いました。効くのに時間がかかるというイメージがあった漢方ですが、実際に飲んでみて、証に合ったものを飲んだときの即効、著効ぶりに、びっくり仰天しました。しかも、西洋薬を飲んだときのような、胃がもたれたり、身体が負ける感じがなくて、すっきりと治ってしまう。いったい漢方とは、どういうものなのだろう? と興味を惹かれて、多くの本を読み漁りました。

 その中で、猛烈に面白かったのが『未来の漢方』という、津田先生に森まゆみさんがインタビューして書かれた本と、『病名がつかない「からだの不調」とどう付き合うか』という津田先生のご著書だったのです。広くて緻密な視野の網に捉えられた様々を、実に明快に語っていく津田先生の力量に驚きました。なんと頭の良い方だろう、と、思いました。

 その後、家族に深刻な病が見つかり、聖路加に入院することになり、暗夜の中で手探りしているような状況に陥った私は、西洋医学だけでなく、漢方にも視野を広げることで、なんとか家族の病状を良い方向へ動かせないだろうか、と思うようになったのです。
 そのとき、ふと、津田先生を良く知っているという編集者さんが、「場を設けますから、一度一緒に飲みませんか?」と声をかけてくださっていたことを思い出し、津田先生のご経歴をネットで検索したところ、なんと! 津田先生が、JR総合病院から聖路加に移っておられることを知ったのでした。

 聖路加におられるのなら、家族を診ていただけるかもしれない。そう思って、編集者さんにお願いし、お食事をご一緒することができたのです。
 実際にお話をしてみて、また、びっくり。守備範囲(専門)は違うのに、大切な部分で接点があるらしく、お話をしていると、新鮮な驚きと、思考が思いもかけない方向へ動かされる瞬間を経験できるのです。あっという間に時間が過ぎてしまい、もっとお話をお聞きしたい、と思ったものです。
 津田先生と出会えて、ゆっくりと語り合えることは、私にとっては本当に得難いことでした。出会えた運命に感謝しています。

    

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上橋菜穂子(うえはし・なほこ)
作家・川村学園女子大学特任教授。
1989年『精霊の木』で作家デビュー。著書に『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。2014年、国際アンデルセン賞作家賞を受賞。

2015年、『鹿の王』で本屋大賞を受賞。



津田篤太郎(つだ・とくたろう)
1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。
子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

著書に『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』、『漢方水先案内』、『未来の漢方』(森まゆみとの共著)がある。

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