今月の特集1

(左)『現代の超克』中島岳志・若松英輔(ミシマ社)、(右)『下中彌三郎』中島岳志(平凡社)

 『現代の超克』(ミシマ社)を批評家の若松英輔さんと共著で出されている中島岳志先生。今年の3月に出版された『下中彌三郎』(平凡社)では「無理論」で「ゴッチャ」な人物とされてきた下中の一貫性を描き切りました。そんな中島先生に、8月4日、ミシマ社自由が丘オフィスのちゃぶ台を囲んでお話を伺うことに。下中彌三郎について、歴史の連続性、そして安倍政権のこと...。いまの日本が「こんなこと」になってしまった。その理由に迫る、渾身のインタビュー。今日から3日間でお届けします!

(聞き手:三島邦弘、星野友里、構成:田渕洋二郎)

政治が過剰な時代に 中島岳志先生インタビュー

2015.08.30更新



第3回 政治が過剰な時代

「ごっこ遊び」の世界に深入りする安倍政権

ーー今の政治状況などはどう見られていますか?

中島安倍さんがすごくおかしいと思うのは、戦後レジームからの脱却って言ってるわけですよね。でも最大の戦後レジームは日米安保なんです。自分たちでなにも決定できず、アメリカの決定に従うという。まともな保守派はそれに対抗してきたはずなんです。江藤淳は1970年に「『ごっこ』の世界が終わったとき」という論考を書いているんですよ。彼がそこでなにを言っているかというと、戦後日本人はずっと「ごっこ」だっていうんですよね。だって最終決定は全部アメリカがやるわけですから。国会の審議とか、真面目にみえるものが全部「ごっこ」にしか見えないっていうんですよ。三島由紀夫の自決でさえ「ごっこ」にしか見えないという。右も左も関係なしに、みんな支配的な決断をしない。そろそろ沖縄が帰ってくる。だからこれからは日本が主権を持った時代を生きられるんだということを1970年に書いたんです。
 しかし、そうならなかった。現在になっても、アメリカに主体的決定権を奪われた「ごっこ」の世界が続いています。しかも戦後レジームの脱却をいう首相が、もっと「ごっこ」の世界に深入りして行っている。

 でも彼らは、憲法に対してはアメリカからの押し付けだから、これを変えないといけないというんです。けれども、一方で集団自衛権の根拠としているのが、砂川判決ですよね。これは歴史学的にはっきりしているように、アメリカの大きな介入があった判決なんですよ。第一審で、米軍の駐留というのは違憲である、という判決が出ると、翌朝一番に、アメリカ大使館の大使が日本の外務大臣を呼びつけて、なんとかしろっていうんですよね。簡単に言うと、第二審の高裁判決を全部すっ飛ばして、最高裁で合憲という判断を出せって命令するんです。それでその日のうちの閣議でだいたいそれが決定されて、決まったのが砂川判決。その判決を抱きしめながら、今度は集団的自衛権がどうのっていうわけですよ。いったいあなたたちは何者なんだってすごく思うんですよね。アメリカが、日本の司法権の独立まで犯して、そこに対する深い介入をやってきた。その判決を抱きしめて、またアメリカに抱きつこうとするわけですよね。それが日本の保守だっていうのが僕はさっぱりわからないですよね。


「美しい」という概念に政治が介入してはいけない

中島本来の保守は、基本的にあんな戦争は大っ嫌いなんです。だから保守思想家たちの回想なんかを読んでいると、あの戦争をやったのは左翼だと思ってるんですよ。彼らは左翼の理性に対する過信を指摘し、その設計主義的な合理主義を批判しています。保守は、人間というのは立派じゃないし、様々な誤謬を抱え込んでいるから、長年かけて作り上げられてた常識とか慣習とかに依拠して、変えられる部分から徐々にかえていきましょうという発想なんです。

 福田恆存が「一匹と九十九匹と」というエッセイを描いているんですけど、迷える子羊が100匹いた時に、99匹を救おうとするのが政治の役割なんです。あくまで利害調整ですから。でもどんなに利害調整がうまくいっても、どうしてもそれじゃ解決できない一匹の羊が出てくる。それを救うのが文学だと言うんです。そしてこの役割分担がうまくいかなくなった時に世の中がおかしくなるんです。つまり、政治が最後の一匹まで救おうとすると、内面の問題にまで政治が介入してしまうから、全体主義になってしまう。

 一方、一匹を救うはずの文学が99匹を救おうとすると、プロレタリア文学のようになってしまって文学が救うべき一匹を救えなくなる。そこをしっかり分別せよというのが福田が言っていたことなんです。なんでも合理的な政治によって解決できる、進歩を勝ち取ることができるというのは、理性に対する過信に基づいている。
 あと僕が第一次安倍内閣の時に一番危ないと思ったのは、「美しい国」という概念なんですよ。「美しい」っていう美の概念が政治に介入してはいけないんです。福田恆存に言わせれば、一匹の論理なんですよ。政治家が美までを規定してしまうのは大変危ない。


政治よりもやるべきことがある

中島何を言いたいかというと、福田もそうなんですけれども、保守主義者というのは政治を二次的なものだと思ってるんですよね。利害調整だし、あくまで異なる他者と合意形成していく場なので、政治による実現みたいなものに過剰な期待をしてはいけないと言っている。
 マイケル・オークショットという僕の好きな保守の政治学者がいるんですけれども、彼は「人間は政治よりももっとやるべきことがある」と言うんですよ。普通の人にとっては政治なんかよりやるべきことがあるというのは確かにそうで、「父としての役割を果たすこと」であったり、「自分の家庭を守ること」という役割を果たすことの方が大切なんですよ。福田恆存も「人間はそれぞれの役割を果たしたときにアイデンティティというものを感じる」と言っている。

 だから人間は「演じる自己」と「味わう自己」の二重に生きているということになる。
 今は政治が過剰なんですよ。みんながこんなに政治に関心を持っている時代っていうのは危機的だと思うんです。投票率が上がったほうがいいと言うけれども、上がりすぎたらおかしな社会になってしまいます。だから政治に傾斜しすぎるよりは、日曜とかに子どもをレジャーに連れて行くことが優先されるような世の中であるほうがいいんです。


政治は60点でいい

中島大平正芳って私がすごく好きな政治家で、彼がすごくいいこと言ってるのは「政治は60点がいい」って言ってるんですよね。「100点の政治は絶対に間違いだ」と。100点といったときにはそこには必ず負けた人がいるわけです。そういう人たちが排除されてしまっている。だから60点くらいが御の字の政治なんです。共産主義とかファシズムというのはみんな100点を狙っているんですよ。それに対して、保守というのは、他者という自分とは違う人間がいるということを知っていて、その間で価値の葛藤に耐えながら合意形成をしていくというのが人間の叡智であると考えている。安倍さんにとっての議会は自分の意見を突き通すために方便でしかありません。「何時間やりました」とか。これは人間の叡智を根こそぎ否定していますよね。死者たちが積み重ねてきた重要な経験というものを足蹴にしている。そういう人たちのことを保守だっていうからもうやめてくれよと思う。僕はそういう人たちを保守だと呼ぶ感覚がまったくないし、これから総点検しなければいけないと思っています。

   

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中島岳志(なかじま・たけし)

1975年、大阪府生まれ。北海道大学大学院法学研究科准教授。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。専門は南アジア地域研究、近代思想史。著書に、『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞)、『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』(朝日文庫)、『血盟団事件』(文藝春秋)、『アジア主義 ―その先の近代へ』(潮出版社)等多数。

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