今月の特集1

『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台「移住×仕事」号』(ミシマ社 編)

 今月、ミシマ社10年目突入の節目に、初となる雑誌『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台「移住×仕事」号』を創刊しました。編集長のミシマも、雑誌編集者としては新米一年生。初めての雑誌づくりを経験する中で、雑誌づくりについて知りたい、あんなことこんなことが、フツフツと湧いてきたのでした。
 じつは当初、『ちゃぶ台』は7月に発刊される予定でした。その頃に、雑誌づくりの大大大先輩である松家仁之さんにご連絡をして、「これを刊行する暁にはぜひトークイベントをご一緒させていただけないでしょうか」と恐れ多くもお願いしたところ、「ぜひ」とすぐにご返信が...! ところがその後、初めての雑誌づくりと格闘するうち、刊行は延びに延びてゆきました。
 「この雑誌出るの?」と寄稿いただいた方からも言われながら、ついにめでたくこの10月に発刊、松家さんとのトークイベントが実現するにいたったのでした。
 「雑誌って何?」「台割って何?」「紙の本の行方は...?」。温かな会場の雰囲気に包まれながら話は深まり、「いま、雑誌をつくるということ」が少しずつ手応えをもって見えてきたような、そんなイベントとなりました。今回の特集ではその一部を、3回にわたってお届けいたします。

(構成:星野友里、構成補助:寺町六花、写真:池畑索季)

いま、雑誌をつくるということ 松家仁之×三島邦弘(2)

2015.10.29更新



常識の枠をとっぱらう

松家中身の話をうかがいたいんですが、「編集会議」というものをしましたか? どうやって相談して作っていったのか、あるいは三島さんの独断でガンガン発注していったのか、そのあたりを知りたいですね。

三島社内的にはやったようなやってないようなという感じで(笑)。4月29日に僕は内田樹先生と周防大島に行ったのですが、そこに、ほとんどメディアに載ってこない小さな未来の形があるっていうのをすごく思ったんです。それを何とかして伝えたいということだけが核としてありました。

 雑誌という形は5月のある日にぱっと思いつきました。やるんだったら寺子屋ミシマ社という形で、いろんな人の意見をもらったほうがおもしろいだろうと。「ミシマ社が初めて雑誌を作ります。一緒に会議をしましょう」と言って、いったん常識の枠をとっぱらってどんな雑誌がおもしろいと思うか、好きにアイディアを出してもらいました。お客さんの中からもいろんな意見が出てくるなかで、「そもそも雑誌って何だろう?」と問わずにはいられませんでした。これは僕が今日、松家さんにお伺いしたかったことです。今、流通しているものだけが雑誌の形ではないんじゃないかと思って。僕の場合、寺子屋ミシマ社の翌日に、「あ、台割なしで作ろう」と、そこだけを決めたんですね。

寺子屋ミシマ社のようす




松家ええ。

三島雑誌で台割を作るというのは常識的な話だと思うんですけど、そこを一度疑ってみるというのは、雑誌専門出版社ではない、うちなら良いんじゃないかと勝手に思ったんです。じゃあどうやって作ればいいのかというのは本当に悩んだのですが、そうして動いている中で出会っていった人たちに、記事を依頼していくというのを思いついて。とにかく最後までわからなかったです。

松家紙版の「みんなのミシマガジン」も、どこかで発想のもとになっていますか?

三島そうですね。「みんなのミシマガジン」というものをweb上で毎日更新しているんですが、サポーターの皆さんと共同運営していく形をとっています。その方たちに限定で、紙版ミシマガジンをお送りしているんですが、用紙やデザインも毎月変えて、いろんな実験をしています。それの蓄積があったので、「雑誌って思っているような形じゃなくても良いのかな」と思ってはいました。
 「商品」という枠をとっぱらったら、デザインも一冊一冊違っていいし、いろんなデザインが成り立つんだと。それはサポーターの方々との信頼関係があるからこそなんですが、とにかく枠をとっぱらっていくというのはおもしろいですね。

紙版「みんなのミシマガジン」(サポーターのご案内はこちらから)




頼まれていないのに出すもの

三島『ちゃぶ台』で言えば、台割を作ればできてくる感じがするんですが、今回の挑戦はそこを超えることでした。大げさに言うと、「二次元からの打破!」という(笑)。

松家「二次元」(笑)。なるほど。二次元だと外に出ていけないぞと。わかる気がします。

三島ありがとうございます。今回徹底してやったのは、「二次元に落とし込まない」ということです。会議でも、みんな企画書を書いて、うんうんとうなずいて、他の部署に行って、初版部数や原価をどうして、予算の話が出て・・・。それが会社単位だと、一年間の事業計画になって、ああでもないこうでもないとやる。あれなんか、全然おもしろくなくないですか? 特にパワーポイントを使って、プレゼンとかやると、どんどんうなだれていく。全然パワー出ないですよ! 本来のパワーポイントって、パワーが出るポイントですよ(笑)。
 寄稿していただいている内田樹先生もおっしゃっていますが、力が出るのは肩甲骨と股関節が開かれるときであると。この二つが開かれるような雑誌ってできないかというのが、今回の大きなねらいとしてありました。

松家僕は新潮社にいたとき、書籍半分、雑誌半分の28年間だったんですね。雑誌って何だろうという三島さんの問いかけを自分の中で反芻すると、雑誌は「頼まれもしないのに出すもの」だという気がするんですよ。誰も頼んでないのに、出したくなって出すもの。だいたい雑誌や増刊号の企画で、「それいいね」と一発で言われたことなんてありません。それじゃ駄目、と言われつづけて、それでもなおゴリゴリ出す作り方をしてきました。
 単行本には著者がいて、読者がいて、ある程度はわかる。でも雑誌って、まったくわからないじゃないですか。さっきのパワーポイント的な考えを、言葉を変えて言うと「割り算」ですね。印刷代と編集費で500万円の予算があるとしたら、用紙代、印刷代、原稿料、人件費はいくら、とどんどん割っていく。そうすると皆うなだれていくんです (笑)。売れるかどうかはやってみないとわからない。頼まれてもいないし、ちゃんと稼げるかどうかもわからないもの。その最後の砦が雑誌なんじゃないかなという気がしますけどね。



三島なるほど、それはおもしろいですね。その、「頼まれていないものをやる」というのがすごい大事だと思うんですね。その種っていうのは、頼まれてない以上、誰かの意志からしか始まっていないですよね。その新しい命を、どう水をやって育てていくか。僕らは普段、三次元プラスいろんな感覚を使って生きているのに、いったん二次元に落としてしまったら、こぼれ落ちてしまうものがあまりにも多い。いろんな人に会って、その日原稿をもらって、発見があって、また取材する。テーマはまったく違っても、朝に読んだ原稿が、次の質問に生きていたりする。時系列の中で、自分が発見していく喜びの過程を、そのままできるだけ残していこうと。

松家そのつくり方も斬新。普通、雑誌って、ほぼいっせいに発注を開始するんですよ。

三島あっ。へー(笑)

松家「へー」って(笑)。特集を先んじて進めることはありますけど、ほぼそうです。でも今おっしゃった作り方じゃないと、こういう雑誌はできませんね。ちびちびやっては、いろんなことを考えて、じゃあ次はこの方に頼もうと。それはたいへん三次元的ですね。

三島そうなんです。紙に書いてあることは二次元だけど、それが束になれば三次元という本になる。ですから、僕たちが体験していることを、できるだけそのままの形でこの本に詰め込みたかったんです。編集イコール整理ではなくて、もっとライブ的に、生きているものを形にしたかったんです。

(つづきます)

    

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

松家仁之(まついえ・まさし)

1958年生まれ。大学卒業後、新潮社に勤務し、海外文学シリーズの新潮クレスト・ブックス、季刊誌「考える人」を創刊。2012年、長編『火山のふもとで』で小説家としてデビュー、同作で読売文学賞受賞。第2作は北海道を舞台にした『沈むフランシス』、第3作は『優雅なのかどうか、わからない』。2014年10月、編集制作として携わる雑誌『つるとはな』を創刊。

バックナンバー