今月の特集1

(左)『坊さん、父になる。』白川密成(ミシマ社)、(右)『死では終わらない物語について書こうと思う』釈徹宗(文藝春秋)

 今年9月、ついに『坊さん、父になる。』(ミシマ社)が発刊となりました。
 24歳で突然住職になった著者・白川密成さん。坊さん歴も10年を超え、尼僧の奥さんと恋に落ち、結婚。第一子にも恵まれて、順風満帆な坊さん生活を送っているかに思えたのだけど――心身の不調、結婚、そして父になるという重みetc...に悩みまくり、日々を生きるなかで、仏教を通して見つけたものたちが詰まった渾身の一冊が、ついに誕生!

 住職になりたてのドタバタな日々、等身大の言葉で語られるお大師さまの言葉たちが詰まった前作『ボクは坊さん。』が映画化されたり、お坊さんのテレビ番組が放送されたりと、この秋は「坊さんの秋」と言っても過言ではありません。

 今回の特集では、その刊行を記念して、スペシャル対談を行いました。お相手は、密成さんもミシマ社一同も尊敬してやまない、釈徹宗先生です。
 『坊さん、父になる。』と時を同じくして刊行された、釈先生の新刊『死では終わらない物語について書こうと思う』の話や映画『ボクは坊さん。』の話にはじまり、日本仏教の特殊性や面白さ、そして「ホーム僧侶」の提案まで!?
 仏教と宗教、生き死に、そして家族の話まで、縦横無尽に広がる対話を全3回でお届けします。

(構成:新居未希、写真:中谷利明)

二人の坊さんは、こう考える。 釈徹宗×白川密成(1)

2015.11.25更新

「どちらにもいかない」からいい

映画『ボクは坊さん。』、とてもいい映画でした。ロケは、密成さんの栄福寺でされたんですよね? 御自坊であれだけのロケをするというのは、大変だったのではないですか。

密成そうですね、僕は撮影中は「特にスケジュールも空けてなくていいですよ〜」と言われていたんですが、いざ撮影が始まってみると「......これ、僕がいなくてどうやって撮るんですか?」「ミ、ミッセイさん、その日、います?」というシーンがたくさん出てきまして(笑)。まあ、それはそうですよね。数珠は右手で持つのか左手で持つのか、座るのか立つのか、普通の人はわからないことですから。

はー、なるほど。では映画の、仏教に関する監修もされていたんですね。

密成はい、撮影現場のなかにお坊さんは僕一人しかいないというシュチエーションが、かなり多かったので、所作監修という形で関わらせていただきました。監督と一緒にモニターを観ることが、けっこう多かったです。それが映画の「チーム」の仲間のひとりになれた気がして、うれしかったです。

お坊さんや仏教を映画やテレビで扱うとなると、「お坊さんあるある」を入れたり、ややコミカルな方向に持っていくというのが、定型としてありますよね。ちょっとした小ネタを挟んだり。

密成この映画にもありましたね。「お坊さん専用のバリカンがある」「着信音が般若心経」とか。

そうそう。けれどそうしたコミカルな方向に終始するわけでもなく、ありがたい話や感動話で着地させるわけでもない。「どちらにもいかない」という映画になっていたのが魅力的でした。
 たとえば映画内で「お大師さまがこんなこと言っておられるよ」といいお話もしますが、それで解決しないですよね。正直に言ってしまえば、お坊さんも悩んでいるわけでして、我々が正解を持っているわけではありません。せいぜい一緒に悩む程度しかできなくて、仏典の言葉やお大師様の言葉を引いたりしても、現実問題がすぐに解決するわけではない。そこをきちんと描いているところが、この映画の魅力だと思いました。

密成うれしいです、ありがとうございます。

左が釈先生、右が密成さん



『ボクは坊さん。』はローカル・ブディズム・ムービーだ!

そして、これはやっぱり「ローカル・ブディズム」の映画だなと思います。

密成おお、「ローカル・ブディズム」ですか。
(※釈先生と密成さんは、広島の禅僧、吉村昇洋さんと共に大阪の朝日カルチャーセンターで「ローカル・ブディズム」という鼎談を行っています)

よく日本仏教は「宗派仏教」と評されます。もちろん各宗派の特性もありますが、ひとつひとつのお寺においては、各地域の風土に育まれた面が大きい。日本のお寺は地域共同体の上に乗っかって運営されてきましたから。
 映画に出てきた、イッセー尾形さん(古株の檀家さん役)みたいに、檀家さんのなかに、本当に日常生活のなかで仏道を歩んでいる人っているんですよね。その人たちに、住職が育てられる。

密成たとえば浄土真宗でいう「妙好人」のようなおばあちゃんに、自分自身、宗教性を逆にフィードバックさせられたりということですよね。

そうなんですよ。その人たちは、専門に仏教を勉強したわけでもないし、特別な修行したわけでもないのに、仏法が身に備わっている。ずばりと宗教性のキモを突く言葉を語る。もう、若い住職なんて太刀打ちできないんです。そちらのほうが、ずっと上なんですよね(笑)。

密成はい(笑)。そうですよね。

その人たちに手を引いてもらいながら、お尻を叩かれながら、それほど才能がない住職でもそこそこのところまで育っていく(笑)。ある種のシステムになっている。
 そうやって地域のお寺は続いてきたという部分が、あの映画で描かれていました。都市で暮らしていると気がつかないのですが、実際には日本各地でそういう共同体が今なお息づいています。

密成ということは、『ボクは坊さん。』は、「ローカル・ブディズム・ムービー」ということですね!

そこまで言ってしまうと、私の好みを押しつけるみたいでなんだか申し訳ないのですが(笑)。そのあたりを個人的に楽しませていただきました。


「ローカリティ」を再考するとき

密成先ほど、日本でお寺というのは「ローカル・ブディズム」的に成立してきたというお話がありましたが、そういうものが弱くなっている、というのは感じられますか?

そうですね。それは間違いないでしょう。その原因のひとつは、やはり都市化です。都市化といっても、単に都会という地域を指すのではなく、マインドの都市化という感じですよね。地縁や血縁なしでも、地域共同体に所属しなくても暮らせる、それが都市化です。都市化すると各地の文化差は低減していきます。地域共同体って、具合の悪い面もあるでしょう。どうしても排他的になります。

密成その煩わしさや、嫌な面も多いですよね。

都市化をすると、そういう煩わしさや嫌なことから離れることができます。ローカルなルールって、理不尽だったりしますからね。そこに適応するためには時間がかかります。

密成合理的にできていない、ということなんですね。

そうなんです。しかし今は、田舎に住んでいてもマインド自体はすごく都市化しています。煩わしさや嫌な圧力などは少なくなっている。その一方で各地域の文化差はだんだん小さくなっているわけです。
 都市という地域は、地縁や血縁なしでも「公正に扱ってもらえる」という特性があります。本来、都市とはさまざまな人々が流入してきて暮らす場所のことですから。その意味では、田舎でもかなり風通しはよくなっています。いったん都市化を経験した上で、もう一度ローカリティ(局所性)を考えるという時期が必ずやってきます。

密成今はその過渡期ということでしょうか。

過渡期である地域は多いようです。過渡期の地域は、ぜひその地域の宗教的風土についてよく考えていただきたいと思います。日本仏教もそこについて真面目に取り組まねばならない。「ローカル・ブディズム」などとおかしな名前をつけたのは、そういう意図もあります。

(つづきます)


   

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釈徹宗(しゃく・てっしゅう)
1961年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。先行は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『法然親鸞一遍』『図解でやさしくわかる 親鸞の教えと歎異抄』『ブッダの伝道者たち』『仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』(秋田光彦との共著)『聖地巡礼ビギニング』(内田樹との共著)『大阪の神さん仏さん』(高島幸次との共著)など多数。

白川密成(しらかわ・みっせい)
1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん――57番札所24歳住職7転8起の日々――」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)がある。

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