今月の特集1

(左)『坊さん、父になる。』白川密成(ミシマ社)、(右)『死では終わらない物語について書こうと思う』釈徹宗(文藝春秋)

 今年9月、ついに『坊さん、父になる。』(ミシマ社)が発刊となりました。
 24歳で突然住職になった著者・白川密成さん。坊さん歴も10年を超え、尼僧の奥さんと恋に落ち、結婚。第一子にも恵まれて、順風満帆な坊さん生活を送っているかに思えたのだけど――心身の不調、結婚、そして父になるという重みetc...に悩みまくり、日々を生きるなかで、仏教を通して見つけたものたちが詰まった渾身の一冊が、ついに誕生!

 今回の特集では、その刊行を記念して、スペシャル対談を行いました。お相手は、密成さんもミシマ社一同も尊敬してやまない、釈徹宗先生です。
 『坊さん、父になる。』と時を同じくして刊行された、釈先生の新刊『死では終わらない物語について書こうと思う』の話や映画『ボクは坊さん。』の話にはじまり、日本仏教の特殊性や面白さ、そして「ホーム僧侶」の提案まで!?
 第2回目の今日は、「ホーム僧侶」から「生き死に」のお話まで。第1回目はこちら

(構成:新居未希、写真:中谷利明)

二人の坊さんは、こう考える。 釈徹宗×白川密成(2)

2015.11.26更新





「ホーム僧侶」を持とう!

密成一昨日、作家の天童荒太さんと公開の座談会でお話ししていたときに、「見えないものに対しての感受性が落ちてきている」という話題になりました。感受性というよりかは、価値観なのかもしれないのですが......「見えないものをまったく認めてない人が多い気がするけれど、それはすごく危ないんじゃないか」と。

「見えない領域」は、「象徴」や「物語り」を通して出会うものだと思います。伝統的な宗教はさまざまな象徴を使って聖性を表現していますよね。また、連綿と語り継がれてきたストーリーに自分自身を同調させることで見える世界がある。そういったものと出会う機会が減ってきているのかもしれません。

『死では終わらない物語について書こうと思う』釈徹宗(文藝春秋)


密成「死について高尚な本や有名な本を読むのではなくて、語り合うことで見えてくるものがあるのではないか」ということを、『死では終わらない物語について書こうと思う』の中にも書かれていましたよね。

現代人は、ついつい死に関する情報を消費するような態度になっているのではないかという思いがあるんですね。たとえば「終活」という言葉が流行りましたが、せっかく自分の終末と向き合う気になったのであれば、もう少し死について語り合ったり、死の物語に耳を傾けるのはどうでしょうかと。

密成うんうん、それはその通りですよね。

そういうときのためにお寺があったり、お坊さんがいたりしますからね。お坊さんが答えをもっているわけではありませんが、普段から生きることや死ぬことについて一緒に語り合えます。このあたりは密成さんの映画でも描かれていましたね。そこで、「ホームドクター」ならぬ、「ホーム僧侶」とか「掛かりつけ僧侶」とかをお勧めしているんですよ。

密成「檀家寺」とかとはまた少し違った......?

檀家寺と密接であれば、そんなことは考えなくてもいいんですけどね。
 ヨーロッパには、ホームドクター制度というものがあって、「この地域を担当するドクター」がいます。その地域でずっとホームドクターをしている人は、患者さんを子どもの時から見ているわけです。

密成なるほど、患者さんの価値観やものの考え方、病歴、宗教とかもよく知っているんですね。

そう、その人の歩みを知っているからこそできる判断もあるでしょう。その人が生命をどのようにとらえているかによって、終末医療の対応も違ってきますよね。よりよい医療を目指すために大切なことだと思います。

密成「ホーム僧侶」「掛かりつけ僧侶」は、それになぞらえていると。

映画のイッセー尾形さんみたいにお手つぎのお寺が身近な人は、普段から生き死にについていろいろ語り合う機会や場所があるのですが。都市化すれば、そういう場所や人との出会いが少なくなります。だから、わざわざ「ホーム僧侶」とかを言い出しているわけです。浄土宗の秋田光彦先生が言い出したのですが。お寺やお坊さんって、お葬式の時だけ利用するから高いような気がするけれど、普段から使えばけっこう安いよと(笑)。


「死」が自然なものになってきた。

密成僕が僧侶になりたいと思ったのは、「死」に漠然とした興味があったからです。恐怖感や死をどうにかしたいということではなくて、人間に「死」ってものがあること自体が興味深くて、とらえどころがないという意味では不思議だなと。けれどあるとき、「死」というものが恐怖対象として出てきて、ずっと続いていたんです。

「死」に対しての恐怖感ですか。誰しも時々リアルに感じますが、それが継続してたのですね。

密成けれど、毎年お葬式を拝んで、死と触れ合ううちに、漠然とした死への恐怖というのが薄まっているように感じるんです。たとえば「末期の癌です」と言われたり、親しい人の死に出会ったとしたら、現実には悩み、もがき苦しむと思うんですけど、こと自分に関しては「そりゃ生きてきたんやから、いつかは死ぬやろな」くらいに、いまこの時点では思っている。それには、死の儀礼の中に自分が何度も身を置いて、その中でリーダー的というか中心のような位置に立たせていただいた効果があるんじゃないかなと。

ははあ、なるほど。

密成ただ僧侶以外の方はおそらくそんな体験をされていないので、そういう「ホーム僧侶」というふうに、自分たちを媒介にして死に触れていただくというのは、僕もやりたいですね。

考えてみれば、地域コミュニティが濃厚なところだと、お付き合いで何回もお葬式に出ますよね。それはある意味、自分の死と向き合うトレーニングになっていたのかもしれないですね。そういう機会も減少している。

密成そうだと思います。でも死というものに対して、その家族以外の人が絡むと怒りが発生するということもありますね。すごく繊細なところでもあるんだなと思います。まさにその状況が「都市化」の状況のひとつかと、今、釈先生のお話をふまえると感じるわけですが。


「生き死に」を忘れた時代から

我々の社会が青年期・成長期だった時代は、死を見ないようにしていた時代・死を忘れた時代でもあったのではないでしょうか。
 私が学生時代、松田優作主演の「家族ゲーム」という映画がありました。高度経済成長期にどんどん建てられた巨大団地が出てきます。でもその団地のエレベータは、棺桶が入る大きさじゃないんですね。だから上の階で亡くなったら、棺桶を縦にして下ろさないといけないんじゃないか、と悩むシーンがありました。そもそも人間が暮らす場所は死を前提としてデザインするべきなのに、そういうものが視界に入ってなかったという、そういうアイロニカルな場面なんですよね。かつて視界に入っていなかった部分が、成熟期の社会になって、あらためてテーマとして浮上しているんでしょうね。

密成なるほど。でもそう考えると、実はそういった時代を超えた今、僕たちはけっこういい時代に生きてるんじゃないかなと思うんです。
 今までは成長期で、威勢は良かったけどそういうことを考える余裕がなかった。でも成熟して、しぼんできている今は、生き死にのことを、腰を落ち着けてお茶でも飲みながらゆっくり考えてみよか、と言うこともできる。そう考えたら、けっこうこの時代でよかったよね、とも思うんです。今、はじめられることがあるんじゃないかな、というふうに。

そうなんですか。昭和30年代がよかったと思う人も多いようですが(笑)。でも、そういう密成さんのような感性こそが、今の社会で大事なんだと思います。

密成でもだからこそ苦しい部分もあると思うんです。僕に限らず現代の生きづらさ、厳しさのようものが。

そうなんです。この時代独特の苦しさみたいなものがあります。成長期の社会とはまた別の苦しさんですね。たとえば、あらゆる場面で自己決定が求められる苦しさとか。

(つづきます)

    

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釈徹宗(しゃく・てっしゅう)
1961年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。先行は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『法然親鸞一遍』『図解でやさしくわかる 親鸞の教えと歎異抄』『ブッダの伝道者たち』『仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』(秋田光彦との共著)『聖地巡礼ビギニング』(内田樹との共著)『大阪の神さん仏さん』(高島幸次との共著)など多数。

白川密成(しらかわ・みっせい)
1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん――57番札所24歳住職7転8起の日々――」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)がある。

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