今月の特集1

 今年5月に創刊された「コーヒーと一冊」シリーズ。おかげさまで好評をいただき、第1弾の3冊には、読者の方からもたくさんのご感想を寄せていただいています。
 そしてあっという間にあれから半年。いよいよ第2弾の3冊が、12月8日に全国で発刊となります。第1弾に負けず劣らずの濃厚なラインナップの中から、今回の特集では『イナンナの冥界下り』にまつわるご対談をお送りします。

 ところで、「『イナンナの冥界下り』って何?」という方も少なくはないかと思いますので、簡単にご説明します。「イナンナの冥界下り」は紀元前2000年くらいに、シュメール語で書かれたメソポタミアの神話で、原型は紀元前3000年くらいにはできていたと言われています。

 とても短くあらすじをご紹介しますと......


天と地を統治していたイナンナは、ある日、冥界へと心を向け、7つの〈メ(神力)〉を身につけて、生きて帰ることはできないといわれる冥界に向かいます。冥界に着いたイナンナは、冥界の女王エレシュキガルの命令により、すべての〈メ〉を剥ぎ取られ、釘に吊り下げられてしまいます。その後、イナンナの義理の父、大神エンキの力でイナンナが蘇ると、なぜかイナンナと一緒に弱っていたエレシュキガルもまた蘇ります。


 このコーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』には、この「イナンナの冥界下り」の現代語訳や、あらすじ、この神話をもとに考察した「女性」の話などが盛りだくさんに入っています。本当は、あれもこれも、ほかにも入れたいエピソードが溢れに溢れていたものを、ギュギュッと96ページにまとめたため、こぼれてしまったお話もたくさんあります。そのひとつが、今回のご対談相手の大島先生のエピソードです。


ガンを宣告された方に対するケアを主にされている大島淑夫氏は「イナンナ」について、ガンを宣告された方、とくに女性の問題と関連して興味深い考察をされていますが、紙幅の関係で今回はご紹介することができません。残念。
(――本文p83より) 



 そこで、ぜひ大島先生にミシマガにご登場いただき、紙幅におさまりきらなかったお話をうかがおう!という企画が生まれたのでした。

 著者で能楽師の安田登先生と、精神科医で、ここ数年はガンの患者さんへの心のケア、サポートを中心に取り組まれている大島先生は20年来のお付き合い。『イナンナの冥界下り』は、そもそも紀元前3千年の世界から現代を考察するというディープな一冊なのですが、さらにその深みへと下りていくかのような対談、ぜひお楽しみくださいませ。

(構成:星野友里、写真:池畑索季)

女性たちの冥界下り  安田登×大島淑夫(精神科医)(2)

2015.12.08更新


乳がんの女性の「冥界下り」

大島「イナンナの冥界下り」では、冥界にたどり着いたイナンナは身につけていた7つの「メ」(※)をつぎつぎと剥ぎ取られてゆきますね。そして弱い肉となって死んでしまったイナンナは、生命の草と生命の水によって蘇ります。

※編集部註:イナンナが冥界に行くときに身につけた、かぶり物、胸飾り、腕輪などの神力のこと

 これは、ユング心理学で言うと、ペルソナ(※)の仮面がひとつひとつ取られていって、一度は死を経験し、再生するというプロセスなのかなと思いました。そして、僕が専門にしているがん患者さんのケアの話で言えば、乳がんの女性はイニシエーションを経験している、まさに「冥界下り」だなと。

※編集部註:人間の外的側面のこと

 病院にきて、突然「乳がんです」と言われて、冥界下りがはじまる。
 これは難しい問題ですが、それはもしかしたら無意識に選択してしまったことなのかもしれない。そういうプロセスを始めることを選んでしまったのかもしれない、そんなことを感じたりもします。

 そして、手術で胸を取られて、髪が抜けて、生理がとまって・・・。そういう冥界下りを、知らず知らずのうちにしてしまうというふうにも見ることもできるのかなと思いました。

安田そうですね。

大島精神科医なので、能で言えばワキ方というか、見守る立場なんですけど。その冥界下りのプロセスを支えていく、そういう仕事なんですよね。がん患者さんたちは、その渦中にいると、今起こっていることがよくわからなくなったりしますよね。わけのわからない怖さに直面している。でもぼくらは、それも必要なプロセスだったりするんだなということをわかって見守っていてあげられる。そういう役割なのかなと。


「今ここ」に集中できていれば、痛さは感じない!?

大島イナンナは「死」を怖がっていないですよね。そこがすごいなぁと思いました。

安田チベットに行ったときに姥捨ての一行に遭遇したことがありました。みんなは泣いているけれど、当のおばあちゃんだけはニコニコしているんです。山の中腹にある小屋に入って、食事は人が運んできてくれるのですが、自分で食事の量を減らしていくのだそうです。そうすると、「生きたい」という気持ちが少なくなっていく。山の裏側では、鳥葬をしていて、そうすれば観音様のもとへ行けると信じているから、むしろ姥捨て山に行けることは嬉しいことなんですね。

 「イナンナの冥界下り」に当てはめると、残される泣いている人たちがエレシュキガルで、おばあさんはイナンナになっている。いろいろなものを剥ぎ取られていくことも、現世へのこだわりがなければ、そんなにこわくないのかもしれません。

 エレシュキガル側の人たちは、リニアな世界に生きているので。過去があって現在があると、継続する直線の先に未来があると思ってしまいます。でも、常にここがゼロで、このゼロからすべてがが始まるとなれば、おそれがなくなる。

大島たしかに、心の病は、過去のことに落ち込んで、未来のことを心配する、というところから始まりますね。時間というものがあって、過去も未来もある、という前提で生じているものですよね。

 最近注目されている心理療法で、マインドフルネス認知行動療法というのがあります。禅をベースに認知行動療法と組み合わせて、「Here、Now」というところに必ず気持ちを持ってくるというのを、瞑想などを用いながらトレーニングしていくというものなのですが、不安や抑うつに効くなどのエビデンスもしっかり出てきているようです。

安田じつは『存在と時間』(ハイデッガー)を読んだときに、その実験をしたんですよ。「歯が痛い」というときに、実際の歯の痛さと、頭が認識する「歯が痛い」というのとはずれているじゃないですか。だから「今ここ」に集中できていれば、痛さは感じないんですよね。そうするとね、本当に痛みを感じないんです。ただ問題は、長続きしないんですよね。その間は痛くないんですけど、ちょっと気を抜くとすぐに痛くなる(笑)。


最近夢の中で未来を考えるようになってきてしまった

安田先日、『イナンナの冥界下り』を観るためのプレ講座をしたのですが、そのとき大島さんは、ユングはあまりにも無意識の世界にリアリティを感じ過ぎていた、とおっしゃっていましたよね。「無意識」というのは、19世紀末に考えられたばかりの概念なのに、現代ではすごいリアリティを与えられています。それはある意味、人を暗くしてしまう危険性もありますね。人の心に不安をつくってしまうような。

大島闇は自分でつくったものなのに、それをああだこうだといくら解釈しても、そこからは光は見えてこない。余計にきつくなる人もいますよね。「トラウマ」という言葉もひとり歩きしていますが、そういう「無意識」や「トラウマ」という言葉に力を与えてしまって、それに自分が巻き込まれてしまう、というのはある気がします。


しかし、現代は心の副作用がかつてないほどに増大しています。本来は生存のために生み出された心が、むしろ私たちの生存を脅かしています。悩みや不安という心の副作用のために自殺をしてしまう人があとを絶ちません。
(――本文エピローグ(p92)より) 



―― 『イナンナの冥界下り』の中で、安田先生はそういった社会のことを「不安創出社会」「心の時代」と呼んでいて、そろそろ、そんな「心の時代」の次の時代がやってくるのでは、というお話を展開されています。精神科医の大島先生にとって、「心の時代」の次の時代というのは、どういうイメージでしょうか?

大島うーん、そうですね。ナヤミムヨー(笑)、じゃないですかね。なんというか、いろいろなものから解放されて、ほんとうに大切なものは何か、というところでつながれる社会ですかね。みなが共通にもっている、大切なもの、愛といえるかもしれないし、かわらない確かなもの、でつながれるという社会になるといいなと思っています。

安田本書の中で、心の前の時代(イナンナの時代)というのは、夢に似ているという話を書きました。夢の中では、過去のことを悔やんだり、未来を心配したり計画したり、ということはしませんよね? 簡単に人が入れ替わったり、場面がとんだりもする。夢というのは、「心の前の時代の記憶」を内蔵しているものなのではないかと考えたのです。


「心の前の時代」は「夢」そっくりです。すなわち「心の前の時代」は夢として、私たちの体内に宿っているのです。
(――本文エピローグ(p89)より) 



 そんなことを、書いたり話したりしていたら、最近夢の中で未来を考えるようになってきてしまったんですよ。そしてそれをツイッターに書いたら、自分もそうなんです、という人がほかにもいる。それは、「心の時代」が夢の中にまで入り込んできたと言えるのかもしれません。そういう人が増えてきた時に、「心の時代」の次の時代がポンと生まれるのではないかと思うんです。



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...いかがでしたでしょうか。ディープワールドでありながら、現代の最先端のお話が書かれているとも言える『イナンナの冥界下り』、ぜひお手にとってみてください。

 

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