今月の特集1

 小豆島、淡路島につぐ、瀬戸内海三番目の大きな島。人口約1万8千人。
 本州からは1976年に大橋が通り、車で行き来できるように。宮本常一の故郷としても有名で、最近ではジャムズガーデンが大人気。・・・という入門的情報すら、昨年の春までまったく知りませんでした。
 ところが昨秋、ミシマ社初の雑誌『ちゃぶ台』で特集したテーマが「移住」。で、その舞台が周防大島でした。 
 偶然としかいいようのない出会いが重なり、すっかり「島」に魅了され、結果、雑誌まで創刊(そのあたりの詳細は『ちゃぶ台』をご覧いただければ嬉しいです)。
 そのなかで、「土を愛するあまり、土を食べる」という噂まで聞こえてくる農家さん・宮田さんとの出会いについてもレポートしています。
 
 「土本来の力で育てるという農業をしたいんです。」
 生きた土。その上に立つ宮田さんの笑顔がいきいきとするのも、実に自然という以外にない。素人である私にも、その土地の美しさは、一目でわかった。(『ちゃぶ台』p102-103)

 そのとき持ち帰ったネギの美味しさは、いまも忘れられません。素朴な味のなかに、何層にもわたる滋味が嚙むたび溢れ出てくるのです。手間暇を惜しまない、農家さんの愛情というほかない豊かな味。「命をいただいている」。身体の内側から、自然とそんな声が響いてきたのでした。

 ひょんなことから、今年度のミシマガ・ゴールドサポーターの方々に、年に一度、この宮田さんのお野菜をお届けできることになりました(その経緯は、双方の勘違いから始まったのですが、実に滑稽で愉快な話です。いつかそのこともご報告したいですが今は先に進みます)。
 今回、そんな愛してやまない宮田さんの野菜が生まれる農地へと赴きました。昨年、私が訪れた農地とは違う畑を見せていただきながら、「伝説の農家さん」(と私たちが一方的に呼ぶ)宮田さんにゆっくりお話をうかがってきました。

(取材・文:三島邦弘)

周防大島に「宮田さん」を訪ねる。(1)

2016.05.30更新

藪になった放棄地を開墾するところから始めました。

――本当にきれいな畑ですよね。

宮田ありがとうございます。


――ここも機械を使わずに開墾されたのですか?

宮田ええ。ここも草と灌木、それと葦が。放棄地だったので、葦がぶわーと、10メートルくらいの塊になっとって、それは厳しかったですね。灌木も100本近く伐採しました。
 刈ったのは1カ月もかからんくらいで、灌木とか全部刈って燃やして、畑の形にはなったんですけど。そこから、畝立てをするのに時間がかかりました。
 スコップで溝を掘って、水を切って、野菜を植える畝に上げていくんです。蒲鉾状の畝に。ですけど、ここはなかなか土が硬くてですね。それからいろんな根っこがですね。

(近くで聞いていた農家の)村上さん根っこはやばいですね。葦の根っこってすごい深くて、たぶん2メートルくらいの穴になります。たぶん宮田さんは周りを全部手で掘られて、根を切りながらやってらしたんかなと。

宮田まあ不耕起(収穫後、耕さずに次の種を播く)なので、溝のとこだけはやっぱりスコップでざくざくざくって切れ目を入れて(笑)。

村上想像しただけで吐きそうですね

宮田葦の根っこはですね、まだいいんですけど、藤葛ですね。藤葛が一番ねばい、ええ。あとですね、くずのかずら、くずの根っこもそうなんですけど。
 意外とサクッといったのが、野バラの根っこですね。あれが硬いんですが、スコップでザクザク切れた。でも、もちろん地上部は触ると痛いので、革手とかせんにゃあいけんのですけど。
 藤葛とか、ばーって浅いところに縦横無尽に張ってるんで、ぽこぽこって外れるんですよね。ところがぼこぼこぼこって向こうまでつながっていて、綱引き状態になって......腰が(笑)。なかなか笑える状況だったんですけど。でも、そんな姿も、まあ、周りの人が見てくれちょったんですかね。「よく、やっちゃったなぁ」「昔の風景が戻った」とよく声かけられました。そんな感じで、はい、畑ができて、今年が3年目になります。



地の利を生かして、5反の土地をしっかり回していこうと思っています。

――今3カ所でやってらっしゃる?

宮田はい。家の近くふたつと、ここ。

――つくるお野菜の種類は毎年変わっていってるんですか?

宮田えーとですね。あのー、(当初は)変わっていってたんですけど、(いまは)それぞれの地の利を生かして。
 ここの畑は家から遠く、車で20分かかるので、週1回の草刈りで済むような、サトイモとか山芋とかそういうものを。で、家の近くと去年来てもらったところは、車で5分くらいなので、毎日収穫せにゃいけんトマトとかキュウリとか。適材適所とあとは、その、家からの距離を考えて。

――適材適所というのは?

宮田土が全然違うんですよ。家の近くが砂、真砂土みたいな。こっちは粘土質です。うーん、ほんとはこっちでつくりたいものもあるんですが。

――粘土質の土のほうが畑には適してるんですか。

宮田なんとなく土が肥えている気がしますけれどね。ただですね、今まで作ってみてですね、今年で4年目になるんですけど、3年作ってみて、家の近くの砂質の畑も、「あ、いいのできるじゃん」、とイメージが変わってきました。海沿いの、ほんと真砂土というか、砂というか、それよりもちょっと草が生えてくる感じになって、「あーなんか良い感じになってきたじゃん」ていうイメージはありますね。サトイモとかネギとかも、(実際に食べてみて)味が乗るんだなって。

――肥料とか工夫をされてるんですか? 

宮田私の場合、海藻と海水と竹ですね。周防大島の味です。
猛威を振るう竹も打ち上げられた海藻も(私がとると)「あーきれいになった。嬉しい」って島の方に言われます。
 竹は、竹チップにしたり、焼いて竹炭にして撒いています。それから、漁師さんからは、魚のアラ、豆腐屋さんからは、おからをいただいて、それらも、肥料として使っています。この地で採れるもの、地球に還るもの、循環するもので、やりたいので。
 海藻は、私の今までやってきた中でですね、肥料っていうよりもミネラル供給装置みたいな感じなんです。海藻って何回か雨にあっても齧るとしょっぱいんですよね。だから、こう、じわじわと溶け出して、ミネラルが溶け出して土に供給してくれるっていうようなものの位置づけですね。
 作物はメインが冬場はネギと里芋、あと夏場はキュウリ、それからミニトマト、春がブロッコリーということで、この5品目ぐらいに絞ってはいるんですけど。

――もっと増やしていく予定とかありますか。

宮田今はですね、とにかく5反、畑だけで5反あるので、今はとにかくこの5反をしっかり回していこうと。機械でやれば、(もっと増やすなどの選択肢が)あるんでしょうけど、棚田で手作業でっていうことになると、とにかく今は5反、それをしっかり回して行こうっていうことですね。まあ、ここでそれで何とか生計を立てられるのであれば。もっと、ここでこんだけやってカツカツ食っていけるっていうのがですね、お示しできれば、また移住者の方も増えてくれるんじゃないかなあって。農業してくれる人が増えてくれたらいいなって思いますね。

――日本全国に放棄地がいっぱいある状況をちょっとでもなくしていく流れになってほしいですよね。


日本は、気候条件的には自給率100%に持って行ける国なんです。

宮田あと、一番の問題はですね、日本はやっぱり自給率が低いですね。今、日本の自給率は、30%台くらいでしょうか。本当は、日本は、気候条件的には自給率100%に持って行ける国なんです。なかなか世界的に見ると少ないと思うんですけど。

――なるほど、持っていこうと思えば持っていける

宮田気象条件でいうと、楽勝で持っていけますね

――やっぱりそうですか

宮田なんでそれをしないかなって。おそらく農業者は人口のほんの数%ですよね。一番大切なのは食糧自給を上げて、安全な食料を供給する。加えて、食糧保障がないと飢えてしまいますよね。なんかあったときとか。

――ほんとにそうです

宮田たぶん今の食糧自給は戦後直後とかより悪いと思う。

――実際に飢えていた時代よりもってことですよね。

宮田そうです。
 以前、アフリカに住んでいたことがありますが、アフリカとか行ったら、乾期でなんも草一本生えてなくて、たまたま雨降ったらそれを待ってたように芽吹く。地域によっては、海から海水が上がってきて塩田になってしまったり。少ない雨だけだと、塩類集積になって農地を作れない。そういう地域もいっぱいあるのに。(日本の場合)どこいっても草の対応に夏は困るぐらいです。冬は冬で冬野菜がいっぱいできるし、そんな地域は世界的に見れば少ないですよ。

――そうですねえ。

宮田米は米でこんなに、あの、今だんだん放棄地になってますけど、田んぼのある国で、で食糧率は戦後よりも少ないとかありえんやろって(笑)。

――ありえんですね、ほんとですね。

宮田ほんとは若い人の職業の選択の一つに農業という、国を、食料を守る農業が(加わってほしい)。「僕は製造業で働きます」「私はサラリーマンになります」といった一つに農業がもっと挙がっていいはずなんです。
 内田(樹)先生が言われるように、「経済原理と農業の生産原理と全然組みあわさらない」。軋みが、もうかなりガタがきている(笑)。まあ、そういうのが今の現状なんですよ。打開策がみつからん。



  

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宮田正樹

周防大島で「野の畑 みやた農園」を営み、無農薬・無化学肥料で野菜を育てている。
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