今月の特集1


 8年がかりで完成した『映画を撮りながら考えたこと』
 最終的に400ページを超える大著となった本書は、どのようにしてできたのか。
 この8年のあいだに監督が経験したことが、本書にも色濃く反映されており、それは同時に、同時代を映し出したものであるにもちがいない。
 そんな確信のもと、本書を編集した三島が、司会という形で監督に「あれこれ」訊いてみました(@青山ブックセンター本店 2016年6月19日)。
 初回は、是枝監督という「人」について。

(構成:堀香織、三島邦弘)

是枝裕和監督 自著を語る(1) 是枝裕和監督のDNA

2016.07.12更新

「立てられるしね」

―― 『映画を撮りながら考えたこと』、8年がかりでつくったわけですが、できあがってみて率直にどう思われましたか。

是枝厚すぎたなと。(会場笑)書店で手に取っても、「うーん、今度にしようかな」と棚に戻しちゃうんじゃないかって。でもおかげさまで売れているそうで。

―― 発売1週間で増刷になりました。(会場拍手)

是枝迷惑かけずに済んだのなら良かったです。

―― 416ページになりましたが、つくっていく過程では300ページを超える予定はなかったんですよね。当初、224ページくらいのさらっと読める読み物を、と思って企画をしたのですが。

是枝この8年、意外と映画をつくるペースがあがったんですよね。だからしゃべらなくてはいけない作品が、後半に増えた。

―― ただ、編集していて、この長さが気にならなかったんです。「もっと先を読みたい」という気持ちが一読者としてもあったので、迷いなくこの長さでいくことにしました。

是枝良かった。こうして(本を)立てられるしね。(会場笑)


テレビという出自

―― 映画初監督の『幻の光』から約20年、初のテレビドキュメンタリーからだと30年近いわけですが、振り返っていかがでしたか?

是枝自分を振り返るほど"自分好き"じゃないんですが(笑)、いい機会でした。撮ったものを分析して、反省点を見つけて、何がやれて何ができなかったのかを意外と冷静に考えながら、じゃあ次何をやるかを考えてきたつもりなので、こうして20年経ったところで後ろを振り返って、テレビに対する興味や映画に対する考えを一度整理するタイミングとしては良かったかなと、ありがたい機会を得たと思っています。

―― 監督にそう言っていただけて嬉しいです。僕もテレビ、映画、映像に限らず、創作にかかわっている人にとっては避けて通れない1冊になったのではないかと。自分にとっても今後活動を続けていく上での、切実なバイブルになりました。

是枝僕は「テレビ人である」というDNAみたいなものが年々色濃くなっていて、まえがきにも書きましたが、自分の映画というものがどういうふうにつくられ、世の中に出て、国際映画祭を回っていくのかをテレビディレクターの視点で見ていくのであれば書けるかなと思ったんです。それはうまくいったかな。

 それから、出発点であるテレビマンユニオンの、村木良彦、萩元晴彦、今野勉という3人のテレビ人がいるのですが、彼らは番組をつくれて、そのことについてしゃべれて、書けた。それは素晴らしいことだなと常々思っていたので、現時点でのキャリアの中間報告としてはきちんとしたものができたかなと。特に僕をテレビの世界に引き入れてくださった村木さんには読んでもらいたいなとは思いました。残念ながら、もう亡くなってしまっているんですが。

―― 僕たちにとっては"映画監督"の是枝さんというイメージがありますが、監督ご自身はテレビが出自だということを強く意識されていますよね。

是枝年取ると父親に似てくるじゃない? テレビはそういう感じ。目を背けていても仕方ないなと。逆に映画に対しては、畏怖みたいなものがむしろ年々強くなっているし、だからこそ近づきたいという気持ちと遠ざかっておきたい気持ちと相反する不思議な感じなんです。難しいです、映画について語るのは。でも、映画も作品数が10本超えたので、いいかなと。8年かかったけれど、いいタイミングでしたね。幸せな本だと思います。


ビー玉の転がる家で

―― 先日、最新作『海よりもまだ深く』の舞台となった清瀬の旭ヶ丘団地を訪れたのですが、並木道もあって、あまり寂しく廃れたイメージは感じませんでした。

是枝いまはあの風景が懐かしいですね。ただ、引っ越した当初は田舎だなと。「ここ、東京なのかな?」と思った。それまでは練馬の川越街道沿いに住んでいて、東京都下で工場と畑しかなかったけれど、東武練馬と下赤塚の間くらいで、バス1本で池袋に行けたから。

―― 一軒家ですか?

是枝二軒長屋。質素な......、貧しかったね。昭和40年代だったけど、共同井戸で、父親は勝手口で風呂のための薪を割っていたし、くみ取り便所だったし、貧乏だったんです。貧乏だった。

―― 二回、おっしゃいましたね(笑)。

是枝「あんまり貧乏だったっていうな」って姉に口止めされているんだけど。(会場笑)でも僕はその家が好きだった。

 小学校の隣が自衛隊の駐屯地だったから、クラスメイトの大半が自衛隊の子だったの。僕の家は学校から徒歩30分ほどで、学校帰りはそのクラスメイトの住む官舎に遊びに行ったんだけど、どこも立派な家でね。でも自分の家に帰ると、畳は斜めになっているし、雨漏りするわけですよ。ある日、家に遊びにきた官舎の友だちが「畳が斜めになってる! おもしろい」と、翌日自分の友だちを連れてきて、ビー玉を転がしはじめた。(会場笑)それを見て、僕はなんとも思わなかったんだけど、母親が「人んち来て、ビー玉転がすな!」と怒って。(会場笑)「あんな子、二度と呼ぶな」と。それでうちは貧乏なんだな、母親はそれが恥ずかしいんだなと小学1年生のときにわかった。

 そういう家から、小学3年生のときに清瀬の公団住宅に引っ越したんですが、僕としては庭もなくなったし、どの家に行っても同じ間取りで味気ないし、そんなに嬉しくなかった。でもすぐ友だちもできて、団地が北多摩の雑木林を切り開いてつくっているから、家の周りでクワガタが捕れたり、柳瀬川の近くの城山公園というところで川遊びをしたりして楽しかったけれどね。母親なんかは、映画の台詞そのままだけど、「台風が来ても屋根が飛ばなくて済むね」と喜んでいた。ただ、40年住むつもりはなかったと思います。なんとかお金を貯めて、公団からは出たいと思っていたと思う。いまはもう両親が死んで、帰る場所がなくなったがゆえに、あの無機質な団地の感じに愛着を感じている......、そんな思いで撮りました。

―― 実際に行って驚いたのは、ケーキ屋さんやバス停の名前、駅前の店の並びが映画のままだったんですよね。

是枝そうそう。

―― 映画では、阿部寛さん演じる良多が団地センター前という駅でバスを降りて目の前のホルンというケーキ屋さんで母への手土産にケーキを買っていくんですが、そのホルンがあったのでビックリしちゃって。僕も買いました。(会場笑)

是枝意外と映画のなかで使っているエピソードも、実話にもとづいているんです。もちろん脚色しているからフィクションだけど、名前をいくつか昔の同級生から借りたわけ。先日、三島さんと清瀬でトークイベントをしたあとに中学校の同窓会があって、数十年ぶりに70人集まったのね。映画には団地の後ろで野球をやっていて、可愛い女の子の家のベランダにわざとボールを投げ込んで、「ボール取らせてください」と訪ねるというエピソードがあるんですが、その当事者のMくんとKさんと同窓会に来ていて、Mくんが「あれ、俺のことだよな?」って。(会場笑)他にも「給水塔に登ったやつって、俺だろ?」「うん、名前は変えたけどね」なんて感じで盛り上がりました。ネタの宝庫の映画というか、なるべく具体的な名前とエピソード、町の名前をすべて活かそうと思ったんですよね。


父親の死、母への思い

―― 映画を観たあとに清瀬を歩くと、楽しさ倍増です! あとは、樹木希林さんが演じる母親が蝶を見て「死んだお父さんだと思った」と息子に話すエピソードも、是枝監督のお母様のエピソードだとか。

是枝蝶が死者の使いというような感覚は、アジア圏では共通のイメージみたいですね。『歩いても 歩いても』では、母親が紋黄蝶を見て「あれ、紋白蝶が冬を超えて黄色くなったのよ」というシーンがあったんだけど、あれは本当に自分の母親がいっていたの。でも嘘だった。(会場笑)子どものときは、「そうか、冬を越して黄ばむんだ」って思っていたけど、色が変わるわけないよね。今回の話は、僕がひとり暮らしを始めてから、実家に帰ると母がいつも団地交番というバス停まで見送ってくれるんですが、その道すがら母がいった言葉をほぼそのまま台詞にしました。

―― 是枝監督はその対話を克明に覚えていらしたんですね。

是枝克明にというか、だって、うちの母親、葬式の翌日に父親の肌着から何からぜんぶ捨てちゃったんだよ(会場笑)。ひどくない? 「取っておいたって場所をとるだけじゃない」と。そういうものなのかなと思ったけど、ショックだったから、メモしておいたんです。

―― それが10年くらい前ですか?

是枝15年くらい前ですね。父親が死んで15年経つので。これは書かなかったけれど、通夜の晩に母親とお寺に布団を敷いて宿泊したんです。それで線香を絶やさないようにしていたんだけど、そうしたら母親がぼそっと「私、あんまりお父さんのこと好きじゃなかった」と。(会場笑)いまいうか? しかもここで? そこで寝てるよ?と思って。すごいよね。いつか書こうと思っていたけど、いまいっちゃった(笑)。でも、そんなことをいっていた母親が、「(お父さんが)夢に出てくるんだよ」という話をしたわけ。両親は最後は喧嘩ばかりしていたから、母が服を捨てた気持ちもわかるし、通夜の日にそんなことをいった気持ちもわかるけれど、そうはいっても夢は見るのか、と......。それは、ちょっとホッとした反面、息子としては母をひとりきりにさせている負い目も感じた。そんないろんな感情を今回の映画では台詞にしています。

―― 良多の言動は、男性なら誰しも他人事には思えないのではないでしょうか。男の弱さをあらゆる場面で表現している存在なので。

是枝「身につまされる」とか、そういう言葉をよく聞きますね。希林さんと同世代のおばさまがたが観にきてくださって、阿部さんにつっこんでいるみたいです。「あらあらあら」とかね。ある方が教えてくれたのは、阿部さんが天袋からへそくりを探し当てて開いているときに、客席から「ダメよ、そんなことしちゃ!」という声が挙がったって。(会場笑)

―― 僕も0号試写でも観せていただき、そのあと京都の映画館でも昼間に観たのですが、上映後のロビーに出てきたおばさんたちが「あれ、ホンマ! ホンマやで!」「ああいうことばっかやったわ!」といっていました(笑)。

是枝関西弁で! いいですね。

(つづきます)

   

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是枝裕和(これえだ・ひろかず)

映画監督、テレビディレクター。1962 年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組の演出を手がける。1995 年、『幻の光』で映画監督デビュー。2004年、『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)受賞。2013 年、『そして父になる』がカンヌ国際映画祭審査員賞受賞。2014年、テレビマンユニオンから独立、制作者集団「分福」を立ち上げる。最新作『海よりもまだ深く』は2016年5月公開。第8回伊丹十三賞受賞。著書に『雲は答えなかった 高級官僚 その生と死』(PHP文庫)、『歩くような速さで』(ポプラ社)、対談集に『世界といまを考える 1、2』(PHP文庫)などがある。

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