今月の特集1


 先月9月17日、建築家、光嶋裕介さんの著書『これからの建築 ~スケッチしながら考えた』が発売となりました。

 みんなのミシマガジンでの連載「これからの建築スケッチ」を大幅に加筆修正して1冊となった本書は、内田樹先生の凱風館や、アジアン・カンフー・ジェネレーションの舞台などを手がけてきた、現在37歳の光嶋さんが、未来の40代、50代になった自分に向けて綴ったマニフェストのような一冊です。

 本書の発売と時を同じくして、光嶋さんは外苑前の画廊「ときの忘れもの」にて、ドローイングの個展を開催。その会場で、光嶋さんたっての願いで、小説家で、敏腕編集者でもある松家仁之さんとの対談が実現しました。

 松家さんから見た、建築家・光嶋さんの特徴とは、そして、建築家を主人公にした小説『火山のふもとで』を書かれた松家さんに、光嶋さんがどうしても聞きたかったこととは。3日間にわたってお送りします。お楽しみください。

(構成:星野友里、構成補助:李てぎょん)

松家仁之×光嶋裕介 これからの建築を語る(2)

2016.10.28更新


武器一本でやっていくのは厳しいなって思った

松家ぼくは石山修武さんとはまったく面識はないんですけど、ひとことでいうと「戦う建築家」というイメージがあります。工業製品のコルゲートパイプで家をつくってしまったり、窓だって、ふつうは既成の窓を発注してはめこむわけですけど、彼はクルマの後部のハッチを使って窓にしてしまったりとか。

光嶋石山先生は、伝播力があるというか、アヴァンギャルドというか、それにすごい影響されました。スケッチとか設計も石山先生に似てきちゃったので、それを解毒しないとまずいなと思ったんです。そのときピーター・ズントー、ザウアブルッフ・ハットン、フィンランドのユハ・レイヴィスカなど、自分が旅で感動した建築家たちは、どうやって建ててきたんだろうって。僕は二年間、世田谷村っていう石山さんが自邸を立てているまさにその場で濃密な時間を過ごして。ただ、その武器一本でやっていくのは厳しいなって思ったんです。
 長く建築家やっていきたいなと思っていましたし、先生の背中はたくさん見たけど、客観的にならねばと考えて、海外の五人の建築家たちに対して思いが強くなって手紙を書いたんです。僕は、真似というか、いろんな人からいろんなことを吸収してきたんですよ。自分のストックを多様に持たないといけなくて、いかにそれを増やすかってことを考えていたんです。
 海外では英語が喋れるかっていうより、何を話すかっていうほうがよっぽど重要なんですよ。音楽についても建築についても日本についても聞かれるので。だから、コルビュジエも安藤忠雄も、みんな旅してるじゃないって。

松家そうですよね。

光嶋僕はベルリンのザウアブルッフ・ハットンのところで四年間働いたんですけど、30までに独立しなきゃって思って、帰国を決意して。今から看板をたてて仕事するぞってなった時に、設計の仕事はまだないけど自分にはストックがたくさんあるからと思って、それを幻想都市風景というドローイングにし始めるんですよ。
 最初にやったのが旅の建築スケッチのコラージュで、それをベルリンでいろんな画廊にもっていって「個展やらしてくれ」って頼み込んで、やっとの思いで個展をはじめて開催して。

ベルリンではじめての個展のために描いたドローイング《Connected Borders》2007



描くメディアも当たり前にあるんじゃなくて、自分でベースから作れる

光嶋建築って、集団的創造の賜物だと思うんです。だから、現場でも、スタッフや番頭や若造や、いろんな人がいて、その指揮者を建築家がちゃんとしないとグダグダになってしまう。それと同時に、一人っきりになる作曲家としての時間も建築家にはあって、それもすごく重要になってくる。凱風館とかをつくり始めると、集団的創造の楽しさと同時に、学生時代に旅していたときみたいな一人の時間もすごく大事だなあと感じまして。
 スケッチはインプットですけど、ドローイングは僕の中にある非言語的なモヤモヤしたものを取り出していて、一枚も完成予想図ってものがないんですよ。描きながら完成していく。いろんなものを絵の中に同居させたいなと思いながら、そういう一人で思考する時間が僕にとってのドローイングなんですよね。

松家このスケッチブックをつねに持ち歩いて...。

光嶋そう、街に出て日中に描く。でも、ドローイングは、夜に一人でやる仕事なんですよ。

松家今回のドローイングは、スケッチブックのまっさらな白い紙とはちがって、描く前からすでに墨のような黒と白がもやもや入り混じった和紙がすでにあって、その上に描いたわけですね。

新作の和紙に描いた幻想都市風景のドローイング《ニューヨーク》2016


光嶋そうですね、和紙で作ったやつですね。いままでずっと画材屋で白い紙を買ってたんですけど、井上武彦さんの和紙を見て、「そうか、描くメディアも当たり前にあるんじゃなくて、自分で作れるんじゃないか」と。建物をつくるときも、いきなりはつくりませんよね。敷地を見て、いろんな要素を吸収してから建物に落とし込む。絵を描くときも、同じ十枚の白い紙に違う絵を十枚描くんじゃなくて、紙を地形のようにとらえるっていう発想があって。だから、福井県の武生に行って、黒と白で越前和紙をすいたんですね。

松家この黒と白の配分というか塩梅は、おまかせなんですか?

光嶋いや、自分ですいてます。メッシュ状の板があって、片方のやつは白いとろとろした紙の繊維で、もう片方には墨をまぜた黒い繊維で。それぞれの液体を左右の手でバケツに持って、同時に流し混んで、三十枚の「地形」をつくったわけです。だからこれ、二段階創作なんですよ。黒と白がどう混ざるかとかもアン・コントローラブルな感じで。それが神戸に届いてから、さあどう使おうかっていう具合ですね。

松家じゃあ、たとえばこの絵は、紙を縦向きで使おうと決めてから描いていった、ということですか。最初からこの紙にはニューヨークを描こうと思った? それとも、途中から?

光嶋いや、最初からです。最初はベルリンを描いて、次はニューヨークを。ニューヨークは直線な感じだなあと思ってそのイメージに合う紙を選んで、パリは丘の上にあるイメージの紙で描いて。だから、ゼロベースなんじゃなくって、和紙からインスパイアされて描くっていう。その時に、「和紙=書」っていうイメージを打ち消したくて。和紙の上にいつものように製図用のペンで精密に描く、その振れ幅をみせるっていうのが今回の展覧会のコンセプトですね。


未来のことを語るときに、過去からどういう時間が流れていたか観る必要がある

松家建築家としての光嶋さんの特徴の一つだなと思う点があって、それは建築資材をどこから調達して、どう活かすか、ということへのこだわりですね。凱風館に使っている瓦も、淡路島の山田脩二さんのものを使っていらした。山田脩二さんはもともと建築写真家だったわけですけれど、写真を辞めてしまって淡路島で瓦を作り始めた人です。カメラマンを辞めてカワラマンになったと自称する、飲んべえのおもしろい人で。僕は新潮社の編集者時代に、篠山紀信さんの淡路島での撮影についていって、そのあとで篠山さんに連れられて山田さんのお家に泊まったことがあるんです。夜更けに入ったお風呂がもう忘れられない。タイルのかわりに山田さんのつくった瓦が敷き詰めてあるんですけど、なんだか足に吸いつくような感覚で、冷たくもないし、気持ちがいいんです。内田さんの凱風館の柱も、縁のある土地から資材を調達していましたよね。あれは北山杉でしたか?

光嶋あれは北山杉じゃなくて、京都美山の杉や岐阜のヒノキも使いながらです。建売住宅は、作ったやつを「はい、これどうですか」って売ってますけど、断熱材がどうなってるとかわからないじゃないですか。注文住宅と建売住宅っていうのはまったく別物で。
 内田先生とお家を作るってなった時にも、建築がみんなの「記憶の器」になるためには、使っているものに愛着を持ってもらわないといけない。そのためにはどうできていくのかっていうところから知ってもらって、みんなが自分のものであるかのように思わないと。
 合気道の道場もみんなで掃除して、そういうので生きながらえる。やっぱり五年も経つと汚れるんですけど、そこでいろんなことが行われて、空気感が濃くなってるんですよ。もちろん数値化できるものではないですけど、内田先生自身がそこで合気道という武術を教えていて、日々「気」を練りこんでいるわけです。昇級審査とかもそこで行われていて。そうするとこう、恐ろしく緊張した記憶とか、全部その場に残るんですよ。
 そうやって、そこに対する愛着がどれだけ練りこまれていくかっていうのが、いちばん大事なポイントなんじゃないかと設計者としては思います。そういう要素を増やすっていうのは常に考えています。



松家光嶋さんは、職人がそれまで培ってきた技術や時間の流れみたいなものを、新しい建築にどう取り込むかっていうのをずっと考えていらっしゃる気がします。ドローイングにつかっている和紙も、その歴史を考えればたいへんな時間が流れているわけです。建築家っていうのは、現在から未来にむけて新しいものを作るのが役割だ、と考える人が少なくない。光嶋さんは過去をつねに意識しながら取り組んでいるのではないかと思うんですけど、どうでしょう。

光嶋やっぱり、未来のことを考えるにはどうしても過去を見ないと。歴史を知れば知るほど時間の解像度があがるというか。僕、高校生までぜんぜん本を読まない人間だったんですよ。スポーツ人間だったし、帰国子女枠で高校受験したので、現代国語とか古典とか成績悪くて。先生に「光嶋、お前、本を読み通したことあるのか? 早稲田には村上春樹とかすばらしい作家がたくさんいるんだから、本読めよ。」って言われて。
 それで、村上春樹を全部読むんですけど、その中で、フロイトとかが引用されてるんですよ。人間の知性ってずっと繋がっているんだなと。アートだって、イサム・ノグチがコンスタンチン・ブランクーシの弟子だったり、誰かは誰かの師匠とかあるわけですから。今になって、読めば読むほど書きたくなるし、絵を見れば見るほど描きたくなって描くし、スパイラルしているなぁと。だから。未来のことを語るときに、過去からどういう時間が流れていたか観る必要があって、短いスパンの時間しかそこに流れていなければ短いスパンの未来しか考えられないんじゃないかっていう。...なんか、僕ばかりしゃべっているんですが(笑)

松家いやいや(笑)


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11/2(水)光嶋さんがトークショーに出演します!

光嶋裕介×三島邦弘×大井実トークショー「これからの街」を考えよう ~建築・出版・書店、それぞれの視点から~(福岡・カフェ&ギャラリー・キューブリック)

日 時:2016年11月2日 (水) 19:00開演(18:30開場)
会 場:カフェ&ギャラリー・キューブリック
(ブックスキューブリック箱崎店2F・福岡市東区箱崎1-5-14
 JR箱崎駅西口から博多駅方面に徒歩1分)
出 演:光嶋裕介
    三島邦弘
    大井実
参加費:1800円(1ドリンク付・要予約)
ご予約は、こちら

    

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松家仁之(まついえ・まさし)

1958年生まれ。大学卒業後、新潮社に勤務し、海外文学シリーズの新潮クレスト・ブックス、季刊誌「考える人」を創刊。2012年、長編『火山のふもとで』で小説家としてデビュー、同作で読売文学賞受賞。第2作は北海道を舞台にした『沈むフランシス』、第3作は『優雅なのかどうか、わからない』。2014年10月、編集制作として携わる雑誌『つるとはな』を創刊。

光嶋裕介(こうしま・ゆうすけ)

建築家。一級建築士。1979年、アメリカ、ニュージャージー州生まれ。8歳までアメリカで育ち、中学卒業まで日本とカナダ、イギリスで過ごす。1995年、単身帰国し、早稲田大学本庄高等学院に入学。2002年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、大学院は石山修武研究室へ。2004年、大学院修了とともにドイツの建築設計事務所で働き、ベルリンで暮らす。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を開設。2010年、思想家の内田樹氏の自宅兼道場(合気道)の設計を依頼され、翌2011年、建築家としての処女作、《凱風館(がいふうかん)》を神戸に完成。SDレビュー2011に入選。主な作品に《レッドブル・ジャパン・本社オフィス(青山、2012)》、《如風庵(六甲、2014)》、《旅人庵(京都、2015)》など。著書に『みんなの家。~建築家一年生の初仕事』(アルテスパブリッシング)、『建築武者修行~放課後のベルリン』(イースト・プレス)など多数。2012〜15年まで、首都大学東京にて助教をつとめ、現在は神戸大学にて、客員准教授。

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