今月の特集1

 ミシマ社京都オフィスでは、去年の「邦楽入門の入門」につづき、今年も京都市さんと一緒に、日本の伝統芸能を紹介するフリーペーパーを作りました。今年のテーマは能楽です。

「何からはじめたらいいのかわからない」「知りたい気持ちはあるけれど、ハードルが高い」と感じている人たちに、「入門」の扉を叩いてもらうための一歩になればと、今年も一冊入魂!
 冊子には、若手能楽師の林宗一郎さんや有松遼一さんにご登場いただいたり、漫画家・魚田南さんに漫画を描いていただいたり、盛りだくさんです。

 そして、20年にわたり能のお稽古をされている、思想家・内田樹先生のインタビューも収録!
 ページ数のため泣く泣くカットしたお話の数々が面白すぎるので、ミシマガジンにて特別公開いたします。内田先生に、能のお話、なにかをはじめる、習うことについて、たくさんうかがいました。前後編でお届けします。

(聞き手:三島邦弘・新居未希、構成・写真:新居未希)

内田樹先生に聞く! お稽古のススメ(前編)

2016.11.28更新


明確なモチベーションはなくていい

内田僕は、ものを始めるには、あまり明確なモチベーションはなくていいと思っています。大学の専門分野でもそうなんです。大学3年生の専門ゼミのときに、「こういうわけで、こういうことをやりたいんです」と選択理由をスペシフィックに言える人はその後伸びない。それより、「こんなふうなことがやってみたいです」「なんで?」「なんとなく・・・」って答えるくらいのほうがその後よく勉強することが多い。自分が何でこれを研究したいのか、理由がよくわからないという人はよく勉強するんです。自分が何ものだか知りたいから。

 鶴見俊輔は自分の少年時代のことをいろんな本で何度も何度も書いていますよね。あれは、少年のときに自分が何でそうしたかわかっていないから、それを知ろうとして書いているんじゃないかなと思いました。「自分が何をしたいかはハッキリしているけど、何故なのかはぼんやりしてる」とご自身も書いていらした。
 たしかにそういうものだと思うんです。人間がものを決断をするときにはそうなんです。「これだ」というのはパッとわかるんだけど、どうして「これ」なのかについてはすぐには答えられない。一応、理由らしきものを言ってはみるんだけれど、やっぱり意を尽くせてない。だから、また違う理由を考える。だから、鶴見俊輔の場合、語られるエピソードは同じなんだけど、それについてのコメントは少しずつ違っている。

 これを勘違いしている人がけっこういます。明確なモチベーションがあって、きちんと「御社を希望した理由は......」みたいに自己PRを言えないと物事を始めたらいけないと思っている人。たぶん今の若い子たちはそう教え込まれてるんだと思う。でも、それは違いますよ。本当にやりたいことは自分の奥のほうで湧き上がってくるものなので、そう簡単には言語化できないものなんです。それに、一回言語化しても、言い過ぎたり言い足りなかったりして、とても「400字以内で述べよ」で言い尽くせるものじゃないんです。したいことは「はっきり」しているけれど、その理由は「ぼんやり」している。だから、繰り返しそれについて語らなければならない。そういうものだと思います。

なんでも、どんな動機から始めてもいい。

内田だから、若い人に能をやってみてほしいんですよ。やったことないし観たことないし、知識もないかもしれない。でも、たとえば時代劇で、武士が酔って、歩きながら、一節謡を口ずさむのを見て「かっこいい」なあと思う、その程度のモチベーションでいいんです。

 僕の奥さんは能楽師なんですけど、前に「なんで能楽師になったの?」と訊いたら、「着物を着る仕事がしたかったから」だと言ってました。だから、旅館の仲居さんでもよかったんだって(笑)。でも、そういうものだと思うんです。能楽堂で舞台を見ていて、紋付き袴に白足袋履いて、檜舞台の上をすすっと歩くの気持ちいいだろうなと思う方もおそらくいると思います。ほんとに、あれはすごく気持ちがいいんです。着物をきちんと着付けて、磨き上げた檜の床の上を歩きたい。それくらいの理由で能を始めてもいいと僕は思いますね。

 習い事はどんな動機から始めてもいい。それは僕の師匠の教えです。合気道に入門直後にはじめて多田宏師範にお会いしたとき、多田先生から「内田くんはどういう動機で合気道を始めたのかね」と聞かれたことがあります。僕はそのとき愚かにも「喧嘩に強くなるためです」と答えました。ひどいですよね。
 でも、先生は破顔一笑されて、「そういう動機から始めても、よい」と言ってくださった。もちろんそれは合気道を始める動機としては間違っているんですよ(笑)。でも、多田先生はどういう動機から始めても構わないとおっしゃった。
 というのは、どういう動機で入門しようとも、それから後僕は入門時点ではまったく知らなかった技術や思想、それを言い表す語彙さえ持っていなかったものを先生から教わることになったからです。だから、僕が入門時点で「正しい入門の動機」を言えるということはありえないんです。ある意味ですべての初心者は間違った理由で稽古を始める。それでいいんです。


いいから黙ってお稽古しなさい。

内田これは「旦那芸」一般に通じることなんですが、ある程度年齢が上になり社会的地位を手に入れた人は、人からがみがみ叱られるということがなくなります。とくに中高年男性はある程度偉くなると、もう叱られることや、ぴしりと失敗を咎められるということがほぼなくなる。立場上のこともあるし、「もう言ってもしょうがない」と諦められているのかも知れない。でも、人間は定期的に叱られてないと成長しないです。だから、お稽古事をする。お稽古事において、素人はシステマティックに失敗します。面白いように間違える。だから、お稽古時間ははじめから終わりまでずーっと怒られ続けです。

 うちの会ではお能を出す場合は、一曲に1年かけます。ということは1年間怒られ続けているわけです。
 会で能舞台に出る前の緊張はすごいですよ。1年間何百時間もお稽古をして、大枚のお役料を払って、お家元にまで来ていただいて、能を舞うんです。ここで失敗したら何のためにこの1年間お稽古をしてきたかわかんなくなっちゃう。だから、異常な緊張のなかで能を踏むわけです。

 でもよくよく考えたら、僕が詞章を間違えようが、道順間違えようが、右足から出ようが左足から出ようが、ほとんど観客は気がつかないんです。一緒に舞台に出ている玄人の人たちなら、「あ、型が違う」とか「いま節間違えたな」とかわかるけれど、見所にいる人たちのほとんどはそんなことには気がつきません。僕が能舞台でどんな失敗をしても、ただの素人ですから、何のペナルティも受けない。終われば、「はい、お疲れさまでした」でおしまいです。
 でも、異常に緊張してますから、必ず舞台では失敗する。だって、そういうふうに設定されているわけですから。必ず失敗するくらいに過大なストレスをかけて舞台に送り出すんですから。
 素人が能舞台に立って、リラックスして舞ったり謡ったりするということはありえないんです。必ず不必要なまでに緊張して、失敗する。本人は「ああ、えらいことになった!」って思っているんだけど、でも、舞台上の失敗というのは、それこそ舞台から落ちるとか、詞章を忘れて絶句するとかいうくらいはっきりしたものでなければ、見所の観客にはぜんぜんわからないんです。みんな終われば暖かく拍手してくれる。舞台の失敗は僕の明日からの社会生活には何の影響もない。

 つまり、お稽古事は「失敗するためにやる」ものなんです。だから、素人はシステマティックに失敗する。でも、失敗しても社会的には何のお咎めもない。
 なんで、そんなことをするかと言うと、失敗に自分の本質が出るからです。人間って、「失敗のパターン」が一緒なんです。ビジネスでの失敗も、対人関係の失敗も、舞台上での失敗も、実はその人の同じ欠点から派生している「いかにもその人がしそうな失敗」なんです。いつも慌てる人は慌てることで失敗するし、怯えている人は怯えることで失敗する。鈍感な人は周りの空気を読めなくて失敗する。世間をなめている人は、なめたことで失敗する。その人の社会的能力の欠陥が舞台上でありありと露呈する。だから、舞台上での失敗には何のペナルティも課されないのだけれど、自分がどういう人間なのか、どういう性格上の欠陥を抱えているのかということは稽古の過程でみごとに露わになるんです。

 「旦那芸のすすめ」という記事を以前にブログにも書きましたけど、50歳を過ぎたら、なんか伝統的な芸能を始めたほうがいい。師匠にガミガミ叱り飛ばされるのを日々経験することは、とっても大事なことです、と。そういう経験は社会人としての成熟にほんとうに役立ちますから。

 若くして世間的に偉くなってしまった人というのは、ほんとうに始末に負えないんです。若いときに、ビジネスチャンスをつかんで、高い年収や高い地位を得てしまうと、その後の社会人的な成熟というのは本人が相当意識的にやらないとむずかしい。ほとんどの人はそこで「オレはすごい」という自己評価に居着いてしまう。そういう人ってもう、社会には害しかなさない。いるだけではた迷惑な存在になる。
 だから、若くしてサクセスしちゃった人こそきちんと人間的成熟のプロセスを歩むためにも、なるべくお稽古事をしていただきたいと思います。

 これは必ずしも能楽堂に来いというわけではないんです。なんでもいいから黙ってお稽古しなさい、ということです。
 三味線でも、義太夫でも、薩摩琵琶でも、何でもいいんです。とにかく、稽古のたびに頭ごなしに師匠からバンバン叱られるのって、本当に必要なことだと思います。


  

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内田 樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。思想家・武道家。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。
著書に『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』(以上、ミシマ社)など多数。

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