今月の特集1

 こんにちは。『インタビュー』を記した木村俊介と申します。昨日に引き続き、6月27日の青山ブックセンター本店における山田ズーニーさんとのトークイベントの内容をお伝えしていきます。本当は、この対談はミシマ社のみなさんにまとめてもらう可能性も大きかったのです。ただ、前回の内容をお読みになった人ならわかるかもしれませんが、7年間、毎週、濃い目の原稿のやりとりをしていた山田さんと、10年ぶりにお会いする......というところから来る言葉の「圧」「緊張感」みたいなものが独特で、かつ心地良く、不思議な体験を潜り抜けた、みたいな時間になりました。あぁ、これは自分がまとめるのがいちばんいいのだろうなぁ......と自然に思えて、イベントの後、余韻を楽しく伝えあっていた中で、ミシマ社のみなさんに、木村がみずから構成を志願したというわけです。そんな思い入れもあるまとめを、ぜひ、お楽しみくださいませ。

(構成・木村俊介)

山田ズーニー・木村俊介トークイベント(2)「原稿だけで、世界とつながっていた」

2017.07.25更新

山田7年間、連載にまつわるやりとりを通して、木村さんは決して押しつけたり、コラムの内容を強引にどこかに持っていったりするようなことはしなかったんです。つねに、受容的でしたよね。

木村はい。そもそも、山田さんの原稿に関して、「直す」ということが1回もなかったですからね。明らかにものすごく時間がかけられた痕跡の残ったまま、書かれた通り、分けたりできない生き物みたいにしてまるごと読者に読んでもらうのが、いちばん面白いことだろうと感じてきているので......。

山田連載のはじめの頃には、死ぬほど長い文章も書いていたんです。それに対して、例えば「もっとアクセス数を増やしたり、売れたりするためには、こうしたほうが......」みたいな話は、1つも出ませんでした。その後、他のサイトの方や、他の書籍の編集者さんに対して文章を書いてみてはじめてわかったんですが、普通、編集者さんというのは「もっと短く」とか、言うものなんですよね。でも、「ほぼ日」での育て方は無制限だったので。そうやってこの人に7年間育てられたということは、基礎としてものすごく大きかったなぁと思います。

木村いえいえ、山田さんは最初から面白かったし、そこからさらに、どんどん奥の深い言葉を発信され続けてきているし、本当にご自身で育っていったんだと思うんです。だから、いま話していただいたのは過分なほどの褒め言葉ではありますが......。でも、伝えてくださった気持ちは、うれしいです。やりとりをしていた期間は、おたがい、かなり必死になって文章に向き合っていて、それが楽しかったですよね。そういう感覚にしても、実はぼく自身が「ほぼ日」を離れて10年も経った今だからこそ言えることであって......。ぼくが独立したのは2007年ですが、そこからしばらくは、それこそ、山田さんとのやりとりを含めた「ほぼ日」でのことを懐かしんでいても仕方がない、と自分では思ってきました。あのサイトでやっていたことへの感慨みたいなものについては、本当に長いこと、いや、もしかしたら今でもかなり、山田さんのさきほどの言葉で言えば「心の中でフタを閉じたような状態」で過ごしてきているんです。

 だけど、久しぶりに振り返ってみたら、山田さんやぼく自身の、けっこう必死な当時の「ぶざまさ」みたいなものって、すごく良かったですよね。山田さんも、1本の原稿を記すのに5日ぐらいかけていた。ぼくにしても、当時は同じサイト内で対談やメールマガジンをはじめとした記事をまとめるのにかける時間は、ほとんど同じようなものだった。おたがい、1回の挑戦に対して、賭け金を明らかに高く積みすぎているぐらいに時間をかけすぎていたわけで。あの言葉への執着の度合いは、面白かったですよね......。

山田木村さんには、書いている原稿もそうですが、現実的にどのぐらいの時間をかけてどのように記して、ぎりぎりのところで送っている、なんてプロセスも含めて、すべて見せていたんです。でも、さっきちらっと言ったように、木村さんには文章に対して「絶対価値」とでもいう明確な基準があるので、かなり努力しても、どうしても面白くない時には、言葉の中に「面白い」のひとことが出てこないんです。こちらとしては、それだけを欲しているという、その言葉が出てこない......。逆に、面白い時には、もう、「ここがこういうふうに面白かった」と、ものすごく的確な理解が来るんですけどね。それでは足りないのか、しばらくすると電話がかかってきて「ここも、こういうように面白かったです」とも言ってくださって。

木村そうそう、うざい感じでね......(笑)。ああいう電話は、すみませんでした......(笑)。

山田(笑)さらに、それでも足りない時には、会って話を聞いてくださったりもしたのですが。とにかく、面白くない時に「木村ダークサイド」が出る時のおそろしさって......。

木村(笑)いやいや......。

山田あれは、何かこう、タオルで首をしめられていると言うのか、じわじわ、自分の存在が抹殺されていくかのようで(笑)。すごくこわかったんですよね......。

木村(笑)すみません......。その「面白い」という言葉が出てこない回にしても、原稿はいつも、いただいた形のまま掲載し続けるような高い水準のものなんですよね。どの回だって、時間をかけて本気で記された、通り抜ける必要のある原稿だとはわかっている。そういう大前提をふまえて、こちらの各回の反応の違いとしてなら、今、山田さんが言われていることはわかりますけど......。でも、本当にそのぐらいの気持ちで、長く書き続けてくださっていること自体が尊い積み重ねなんだよなぁ、とつくづく思います。

 そして、そのようにして原稿に関わってこられた姿勢は、実は、同じような気持ちでサイトに関わっていたからこそ、とても強く共感するものでもあります。と言うのも、当時の山田さんやぼくにとっては、言葉を書いて誰かにものを伝えるというのは、そのサイトでの文章という、いわば「1本の糸」しかない状態だったんですよね。

山田はい、それ「のみ」です。

木村とくに2000年からの何年間かは、おたがいにそうでした。その後、よそからもあれこれお話をいただくようになったのはありがたいけれども、ともかくはじめの頃は、その「1本の糸」でのみ、社会とつながっていたんですよね。ぼくも、生活の中には良くも悪くも、ほとんどそのサイトのこと「しか」なかった。そのサイトという「窓」みたいなものからのみ、外の世界を見ていた時期が、けっこう長かった。その「窓」から見えるのは読者の声だけなんですけれども。だからこそ、読者の感想は馬鹿にしようがなかったんです。それが「すべて」だったんだから。

 そして、読者の感想をいただく時間以外に何をしていたかと言えば、おたがい、ただただ、時間をかけて原稿や取材記事を書いていたんですよね。別の種類の書きものをしていたわけだし、「おとなの小論文教室。」で言うならぼくは原稿をいただく側なのだから立場は異なっていたけれども。ただし、ぼくは、いわゆる編集業務に特化していたわけでもなく、サイトの中の特集などでは、かなり真剣なものを書かせてもらっていました。サイト全体の目次づくりや内容紹介にあたる箇所も、毎日、朝から晩まで懸命にやっていたつもりでもありました。いわば必死になって、本当にそんな同じような体験を経てきたわけだけど、そういう何年間かで、山田さんもぼくも、おたがいに書き方のフォームというのをつくっていったような感じがあるんです。山田さんも、もともと面白かったけれども、やっぱり書き続けることで変わっていきましたもんね。ぼくも、もちろん変わりましたし。

 山田さんとは、そのような大事なプロセスを共有してきたつもりでいます。担当しなくなってからの連載や書籍も含めて、山田さんの言葉には今までずっと触れ続けてきています。すると、例えば、最近の「おとなの小論文教室。」でも、文中のどこかにパッと「選択」という単語が出てくるだけでも、これは山田さんにとってはもうかなり長くいろんな角度からそのことについて記してきた大事な言葉の1つだから、これまで記されてきた「選択」にまつわる考えの奥の深さや網の目の細かさを思い出して、一歩も動けなくなるぐらい、考えが「しみて」も来るんですよね。そのうえで、現時点で「選択」という言葉を通して記そうとされていることも読みこんで「あぁ、今、こういうことを考えていらっしゃるのだなぁ......」と思ったりもするんです。

 そういうふうに「しみた」山田さんの仕事の1つに、昨年、早稲田大学で開催されたTEDの講演というのがありました。「TED/山田ズーニーさん」というような単語で検索すると、ウェブ上などでも観られると思うのですが。観客は、TEDですから、日本語を理解することはできるものの、多くは海外から日本に働きにきている人たちと予想されます。そういう「自分のことを誰も知らないかもしれない」という場で、もしかしたら共通認識や文脈が異なるかもしれない人たちに対して、自分のアイデアというものをさらけ出すような言葉を話されていたんです。これは、まだ観ていない方には、映像を通して体験していただきたいから、詳しい内容はここでは言いませんが、すごく良かったんですよね......。

 ぼくがその動画を見つけたのは、夜中、仕事が終わったあとの時間帯でした。ウェブを見ている中で、「あ、見つけた、山田さんだ」と何気なく観はじめたんですね。体も疲れているから、ぜんぜん感動したりするつもりもなかったし、そもそもぼくは、何かを観てすぐ涙を流すような人間でもないのですが......。ただ、その動画って、とくに最後のほうが素晴らしいのですが、そこを観ていたら、自分でも思いがけず、ポロッと涙が出てきちゃったんですよね......。「あぁ、山田さん、あいかわらず、ご自分をさらされているなぁ」「やっているなぁ、がんばっているなぁ」というのが、さっき言ったような「これまでの言葉も含めて、『しみて』くる」みたいになったんです。あれは忘れられない映像で、ものすごかったです......。そう、さっきお会いした際に少しお伝えしたら、山田さんの中でも、大きい体験だったようですね。

山田木村さんは、いつも私の仕事をぜんぶ読んだうえで、その中でもいちばん、私が「そこをわかってほしかった」「そこにこそ、力を注いだんだ」というのをピックアップしてくださるんです。この会わなかった10年間でやってきたありとあらゆる仕事の中で、まずTEDについて言ってくださったのは、やっぱり本当に木村さんらしいなぁ、と言うか......。

 理解してくださっているということはもちろんだし、TED以外もぜんぶ読んでおられて、それらをいったい何回読み込んだ中であの講演をピックアップしてくださったんだろう、と思ったんです。近年の私の仕事の中でも、本当に自分の殻を破ったのがTEDでのスピーチでしたから。あの発表のあとには、目の前にある景色がぜんぶ違って見えるぐらい、その時の自分の限界を突破できたものなんです。結論として変わったことを言っているわけではなく、それまでに積み重ねてきた考えの延長線上で話してはいるのですが、限界と思いこんでいたようなことを1つずつ小さく限界突破し続けなければ、とてもじゃないけどできなかった仕事だったんですね。

     
(第3回は、明日掲載です。)

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