今月の特集2

就活生に告ぐ! 君はバッキー井上を知っているか 第2回

2013.04.23更新

就活生に告ぐ!君はバッキー井上を知っているか


本特集は、ミシマ社に来ている学生さんたち(通称・デッチ)に、
バッキー井上さんの話をしているときに決まりました。
「バッキーさんって、37歳で漬物屋を始めたんやって。
それまでは、"ひとり電通"したかったらしいよ」
「な、なんですか、それ??」
「うーん、よくわからん」。
そんな会話の断片が、就職活動中の学生の胸に突き刺さったようです。

「なんか、自分らの生き方狭い気がする・・・。就活だけが、可能性じゃないのかも」

そのつぶやきを聞いたミシマ社編集部が、すぐに動いてできたのがこの企画。
ますます冴えるバッキー節!2日目もばんばん飛ばして行きましょう!

(文:池畑索季、三島邦弘 写真:新居未希)


降りてばかりいたら上手くならない

―― 今だったら、朝から深夜まで働かされたら「ブラック企業」扱いで、新入社員もすぐ辞めてしまいそうですけど、バッキーさんはなんでその環境で続けられたんですか?

バッキーそら、電話して出てきた女の人知らんのに、「キレイやから」とか言うて入ってるわけやし。
そんなやって入って、「やっぱこれきついし」とか言うてもねぇ。
自分でええ加減なこと言うて潜り込んでるのに、「きついし、失礼します」言うのもねぇ。
そんなんしたら、潜り込んだ甲斐がないもんね。

―― それは損得で言ったら、損にはならないんですか?

バッキーそれはね、今やし得やったんやろうなぁって思うんですね。

その時は、損得って言うよりも、もうそれ以外道がなかったんですよ。
だって、睨まれたら怖いから、「先生お先に失礼します」とか言えないです。
「お先に失礼します」って言うたらね、「お疲れさん」って言わはるんですけどね、
やっぱり言えないんですよ。
なんか「お先に失礼します」って言うことは、ゲームで言うたら「もう降りますわ」みたいなね。

降りてばかりいたら上手ならへんからね、戦いって。
麻雀もそうやし、ある程度そのフィールドで戦っていかないとね。
たぶんね、その先生やらの世代もそういう風なフィールドやったんちゃうかなぁ。
それが当たり前のようで、「明日早いし、しんどいし、もうお前帰れよ」とか言わへんのですよ。

俺はそうやったけど、若者には時間がないからね、
当時から「はよして、はよ帰らなあかんねん」って思ってました。
もうその先生がダラダラしはるのはね、それはそれで理解してるんやけど、
一方で「俺は絶対にこうなりたくない」と思ってて。
「はよして、はよ帰る。若者には時間がない」ってずっと思ってましたね。

そうしないと遊びに行けへんねん。


いつの間にかフリーランスに

―― その事務所から次への転機はどう訪れたんですか?

バッキーフリーランスになるような形になって行ったんですよ。
なんか知らんけど。他に事業もやり出さはったりして、フリーランスになるような形に自然になったんですよ。
「辞めますわ」じゃなくてね。
それで、その先生のとこの会社ともすぐ傍にいて、形はフリーランスみたいになったんかな。
そこで、ドイル・ディーン・バーンバックが出てくるわけですよ。

―― 元々フリーランスでやりたかったというわけではないんですか?

バッキーではないですね。
でも、会社のアシスタントやってるより、ドイル・ディーン・バーンバックをはじめる方が圧倒的にモテるしね。

別にね、決断をするその時々で「どっちがモテるか」なんて考えへんのやけど、
後から思ったら、たぶんそんなことで選択してたんちゃうかなぁって思うね。


ひとり電通

―― ドイル・ディーン・バーンバック?

バッキー広告の仕事やりたいとか思った時はね、
きっかけは広告ブームだったんですよ。コピーライターブームとかね。糸井重里とか。
70年代のブームみたいなのがあって、そういう世界ってやっぱりなんか憧れるでしょ?
なんかカッコイイみたいな気がしてね。

でも、僕の先輩が「お前アホか」って言うて、
アメリカの広告会社の伝記みたいなものをくれたんですよ。「お前これ読め」って。
アメリカの広告代理店の始まりから今に至るまで書いてあってね。それがかっこ良くてね。

DDBっていう会社でね。ドイル・ディーン・バーンバックっていう3人がやってるんですよ。だいたいアメリカの広告会社ってね、
アートディレクターとコピーライターが二人でやっているって言うのが基本みたいで。
フォルクスワーゲンのキャンペーンやレンタカーのエイビスのね「No.2主義宣言」とかね。エイビスはハーツっていうところに次いで2番やったんですよ。
2番だから1番の所よりも良いサービスをするっていうようなキャンペーンでね。
それで1位と2位がぎゅっと縮まってね。
そんなストーリーとか、そんなんがたくさんあってね。

それがオモロイから、他のアメリカの広告会社もそんな伝記みたいなね、
「広告の鬼」とか、色々あったんですよ。あ、それは電通か。
そんなん読んでるうちに「かっこええ」思って。
それで「ほな俺も、もう一人誰か見つけて『井上&なんとか』やろうか」なんてね。
まぁ電通ですよ。そんなんをしたかったんですよ。
そんでそういうのを始めたんですけど、「キミらは何をしてるんや」言われるんですよ。
「なんなんキミら」みたいな。


「いやー、わかりやすく言えばね、"ひとり電通"ですよ」って。
余計わからないっていうね。

要するにその時言いたかったのは、どういう市場があって云々とか、
それに対してMDも、イベントも、パブリシティも、電通みたいに全部やるって言うてたんですけど、頼まれるのは「チラシとステ看(捨て看板)とラジオ1本入れといてくれ」とか、そんなもんですよ。
情けないやろ?
ステ看って今はないけど、昔はあってね、電柱に巻いていくやつですよ。
捕まるんですよ、あれ。
情けないでしょ。でも受けてたんですよ。仕事ないから。
何が"ひとり電通"やって。電通の人怒るよね。

僕の友だちは早稲田に行っていて、英語もペラペラで、賢いやつで、博報堂入りましたよ。
物凄い努力しとったなぁ、本当に。
よう遊んどったけど、勉強もしとったしねぇ。博報堂入って良い仕事してたね。

でもね、やっぱり憧れんねん。
片やステ看やって、片や博報堂で女優使ってハワイにロケとか行くわけよ。
・・・なぁ。それは「行きがかりじょう、こっちの方がええ」とか言えませんよ。
それはずーっとハワイの方がええって。


*それはやっぱり、バッキーさんもハワイの方がいいんですね......!!
第3回は明日、更新します。お楽しみに!

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バッキー井上(ばっきー・いのうえ)

本名・井上英男。1959年京都市中京区生まれ。画家、踊り子などを経て、現在の本業は錦市場の漬物店「錦・高倉屋」店主。そのかたわら、日本初の酒場ライターと称して雑誌『Meets Regional』(京阪神エルマガジン社)などに京都の街・人・店についての名文を多く残す。独特のリズムと感性をまとった店語りは多くのファンを持つ。

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