今月の特集2

 ミシマ社では、一時期(というか今もですが)インドが大ブームでした。ことのきっかけは、「みんなのミシマガジン」でも「たもんのインドだもん」を連載していただいている、デザイナーの矢萩多聞さん。多聞さんは中学のときに日本の学校へ行くのをやめ、インドに渡り、それ以降ずっと日本とインドを往復する生活を送っています。
 そんな多聞さんに「ここ30年間で一番いい」と教えていただいたインド映画『きっと、うまくいく』。これがあまりにも良すぎて、もっとインドのことを知りたい! と、一同興味津々に。「インドいいなあ〜〜」と思っていた矢先、ふと気がつくと、街を歩いているとよくインド人っぽい方々にお会いすることに気がつきました。

 ・・・あれ? 日本に住んでるインド人の方って、もしかして、かなり多いのでは?

 それもそのはず。いま、日本には2万人以上ものインド人の方が住まれているそう。アメリカのIT企業の3分の1はインド人だし、というか世界の人口の2割弱はインド人・・・
 そう考えると、もしかしたら、となりの家に引っ越してきた人はインド人かもしれない。学校の同級生は、インド人かもしれない。会社の上司はインド人かもしれない。いつか、そんな日がほんとうにやってくるかもしれない。
 けれどもわたしたちは、インド=カレーといったような曖昧な、ぼや〜っとした理解しかありません。もっとインドのことを知って、インド人と仲良くなろう!

 ということで、日本にお住まいのインド人の方、東京・京都とおひとりずつ、いろいろお話を伺ってきました!
 1回目の今日は、御徒町と銀座で南インド料理店アーンドラ・キッチンを営むサラディ・パラマータさんです!

(聞き手:望月美由樹、廣瀬雄規、矢萩多聞 構成:望月美由樹、廣瀬雄規)

となりのインド人 第1回

2013.09.19更新

となりのインド人

どうして日本人はカレーを混ぜないんですか

――日本に来たきっかけはなんですか。

となりのインド人

サラディさん

サラディインドの大学で地学を勉強していたら、そこに日本の大学の先生が客員教授で来て、日本に行くことを勧めてくれました。
 インドと日本は文化も近いし、インド人はメイド・イン・ジャパンのものが大好きです。カメラやビデオなど工業製品は日本のものが一番いい。日系企業で働いていた人たちから、日本の話を聞いていたので興味は持っていました。
 それで30歳のときに日本に行こうと思い、文部省の奨学金制度に応募しました。応募する人がとても多くて、そのうちの1%しか受からないのでとても大変でした。1998年のことです。

――その1%に選ばれたというのはすごいですね。そのとき日本語はできましたか。

サラディまったくダメでした。英語が話せるから問題ないと思っていたら、全然通じない。(笑)
 成田空港から横浜まではリムジンバスに乗ったのですが、横浜駅に着いたあと、大学へ行くのに、どうしたらいいかわからない。最初の3カ月はとにかく英語ができる人を探すのが大変でした。これは難しいと思って一度インドに帰ったんですが、母語のテルグ語を話す同郷の人たちが少し離れたところに住んでいるとわかったし、そのころには英語が話せる友達も少しできていたので、また日本に来ました。

――大学の授業は英語ですか。

サラディそう。研究生だから授業は英語です。でもほかの学生たちはあまり英語を話せなかった。私は日本語、彼らは英語で話して、おたがいよい勉強になりました。結局大学には7年いました。

――そのころ言葉のこと以外で困ったことはありましたか。

サラディ一番は食べ物です。学食でなぜカレーとご飯をまぜて食べないのか? と不思議でしたね(笑)。最初はどの料理も口に合いませんでした。
 文化や感覚の違いもある。たとえば、インドでは8時に待ち合わせをしたら、8時半すぎに来る人が多い。日本は時間に対してとても正確ですよね。
 でも、どちらも最初のころだけです。私の父は時間に正確な人なので、日本の時間感覚にも早く慣れました。食べ物も比較的なんでも食べれる。もしも、ピュア・ベジタリアンや、イスラーム教徒だったらもっと苦労したでしょう。

――食事は自炊していたのですか。

サラディ昼は学食で、夜は自分でインド料理を作ってました。北インド料理や、タイカレーを出す店はあるけど、南インド料理は全然なかった。インドは州によって言葉も料理も違う。私は南インド人なのでいつも餓えていました。

――暮らしていて、何かカルチャーショックはありましたか。

サラディお寺でも神社でも日本ではみな靴を履いたままお祈りしていて、びっくりしました。インドではお寺に入るときに必ず靴を脱ぐんです。神様に失礼になるから。

――日本のお寺でも靴を脱ごうと?

サラディいや、日本にいるから、日本のやり方に合わせました。
 あと、インドは町の音が多いんですよ。お寺の音楽とか、車のクラクション、物売りの声、バスも電車もお客さんの話し声がいつも聞こえる。日本で電車に乗ったらすごく静かで、本や携帯を見ていて、誰もしゃべらない。いまはそれも慣れましたが、逆にインドに帰るとうるさいな、と思うようになりました。

本屋さんと私

結婚も開業も、時間が大切です

――大学生のとき、日本人の女性とのロマンスはなかったんですか?

サラディオー、それはありませんでした。日本に来てすぐ結婚したんです。私は日本にいたので、両親が結婚相手を探してきました。インドではお見合い結婚が普通です。
 たとえば、インドでは新聞にも花嫁・花婿募集のコーナーがあって、コミュニティ、言語、仕事、肌の色などアピールポイントが全部書いてある。その中から両親が選んでお見合いをして、おたがいOKだったら結婚する。

多聞お見合いのときには占星術も見ますよね。家族や本人がOKでも、占星術の結果が悪ければ破談することもある。

――サラディさんもお見合いのとき、占星術で占いましたか?

サラディはい。結婚だけじゃなくて、何かを新しくはじめるときは必ず見てもらいます。この店(アーンドラ・ダイニング銀座店)を開店するときも、いつ始めるといいか、占ってもらってから始めました。オープンは去年の二月二日でした。
時間というのがすごく重要で、占星術で計算して、何月何日何時何分にこの儀式をしなさい、と細かく指定されます。それに合わせてすべてを進めます。

――結婚後、奥さんも日本に来たんですか?

サラディ結婚してすぐ妻が日本に来ました。大学の近くにアパートを借りていたので、食事は朝昼晩一緒に食べていました。......それで太ったね(笑)。
 大学の先生に、大学でデータの入力のアルバイトを紹介してもらって、一時期は妻も大学で働いていました。


自分のやりたいことって何だろう

――研究生としての期間が終わったあとは、何をされたんですか?

サラディどうしようか悩んだのですが、研究生を続けていくより、自分でビジネスをやったほうがいいかな、と思いました。研究生をやってきたけど、実はあんまり興味がなかった。

――7年もつづけたのに(一同笑)

サラディそう(笑)。インドでは小学校卒業時に進路選択があって、数学か科学か生物か、どれか選ばなくてはいけなくて、生物を選んだんです。父が医者だったので、自分もそうなれるようにって。でも、医大に入るのはすごく大変で入れなかった。それで地学の方に入っちゃった。そのまま大学院も研究生もやっちゃった。
 自分のやりたいことは何かなー、って改めて考えたんです。
 研究生のときも、カルチャーイベントなど、人の集まるイベントでマネジメントをやっていました。人が好きなんです。
 漢字の勉強をしてないから、日本で大学の先生にもなれない。仕事が見つからないと、インドに戻るしかない。あるいはアメリカに行くか・・・。

――アメリカに行くという道は選ばれなかったのですか?

サラディアメリカにはあまり興味なかったですね。日本に来て、サービスが豊かな社会に慣れてしまって。アメリカに行った友人もいましたが、私には日本の方があっているようでした。それで何をしようか、と友達と話していたら、「ITの仕事をやれば、インドと日本の両方にかかわっていける」と言われたんです。

多聞ちょうどインドでITブームがおきてきたころですね。

サンディそう。それでITの会社に入ったんです。そのときにも、いろんな仕事をやりました。プログラム・マネジメントとか、はじめて日本にくるインド人の研修とか。私は日本人がインドに期待していることがわかるし、日本企業からどんな風に仕事をもらうかとかアドバイスできたのです。

――7年間の大学経験が生きましたね。ITの仕事は何年続いたんですか?

サラディ2005年から2009年までの4年間です。おかげでお金も少したまった。
 それで友達と4人で共同出資して、江戸川区でレストランをはじめました。本当は日本とインドの間をつなぐようなビジネスをしたかった。でも、それをやるにはパイプを作らなくちゃいけない。レストランなら、インドやインド料理が好きな人がくる。お店が出会いの場になると思ったんです。でも、共同経営者の間でいろんな問題が起きて、6か月くらいでうまくいかなくなっちゃって、やめてしまいました。
 もう、自分でお店をつくった方が、自分のやりたいようにできると思って。

――そこではどんな料理を?

サラディそりゃもちろん、南インド料理です。それから、2009年、自分のお店を御徒町につくりました。そのときは何から何まではじめてのことばかりで大変でした。賃貸店舗のシステムや内装、厨房設備や保健所のこと、保証人や契約、税金のこと・・・。わからないことにぶつかるたびに自分で調べて、一個一個ゼロから勉強しました。

――外国でお店を開くというのは大変なことですよね。オープンしてお客さんの反応はどうでしたか。

となりのインド人

サラディさんのお店のごはん

サラディたくさんの人たちが来てくれました。
 ただ料理を出すだけの普通のレストランにはしたくなかったので、よくイベントをやりました。たとえば、私の故郷では1月にシャンカランティというお祭りがあって、そのときにはこういう料理を食べるんだよって、お祭りの料理を食べられる日をつくりました。日本のみなさんに文化を知ってもらいたかった。
 いろんな方が友達と一緒に来てくださって、ブログをやってる人がおいしかったって書いて。それを見てまたお客さんが来る。そのうち「食べログ」のベストレストランにも選ばれました。


日本人もインド人もシャイなだけ

――日本で暮らしていて、ここが嫌だなってところはありますか?

サラディ日本人は家族みたいなフレンドシップが作りづらいんですね。インドでは今週はあなたの家で、来週はあっちで、って毎週友だちの家に集まるんですが、日本ではほとんど聞かない。

多聞インドの人ってあんまり事前の約束をしない気がするなぁ。日本だと「来週あなたの家に行っていい?」って約束するけど、インドだと当日に「これから行くよ!」って電話があったりする。それでいて、来なかったりするし(笑)。
 来るかもしれないし来ないかもしれない。でも、いつもウェルカムな感じがある。

サラディ日本は家に招くまでのステップが多いですね・・・。
インド人は友達と過ごす時間を大切にします。会社の同僚や仕事の付き合いではなく、大学生のクラスメイトや、ご近所さんとか、仕事外の友だち。そんな友だちと集まって飲むことも多い。日本だとそういう関係が作りづらい。
 東京にはインド人のITエンジニアがたくさんいるけれど、みんなすごいストレスを抱えている。前は街でインド人を見たら「ハーイ、どこから来たの?」って声かけていたけど、いまはみんな疲れた顔しているから、インド人を見かけても声かけないほうがいいかな・・・って。

――それはさびしいですね。いま東京にインド人の方はどのくらいいるんですか?

サラディ数千人から1万人ほどいると言われています。地方も合わせると2万人以上です。
 日本の会社で働いているインド人もいますが、どの会社でもITの仕事で、一時的に日本に来てる人は準備期間がすごく短いです。いきなり会社から辞令が出て「来週から日本に行って」とか言われる。日本に来ても文化がわからない。英語も通じない。食べ物も合わない。すごく大変です。すぐ「日本ダメだな、アメリカに行こう」って気持ちになっちゃう。 リーマン・ショックのときにインドに帰ってしまった人もたくさんいました。
 でも、5年とか10年とか、すでに日本に長く住んでる人はあまり戻ろうとしません。

――日本に来たばかりのインド人に対して、私たちはどう接したらいいんでしょうか?

サラディうーん、難しいですね。たとえアパートの隣同士でもすぐ仲良くはなれない。日本人は友達の紹介がないと外国人とあまり話したがらないですよね。
 さびしいインド人はたくさんいるはずだから、いま日本で一番必要なのはおたがいを「紹介すること」かな。みんな恥ずかしがってるから、一歩を踏み出すためのきっかけを作らないといけない。
 文化交流のイベントをやるのもいいでしょうし、レストランもそういう場になるといいですね。

デッチのひとこと

今回の取材で、インドってなんてスケールの大きい国なんだ・・・! と驚かされました。多様な言語や文化がカレーのように混ざり合って、インドという複雑で奥行きのある国を作りあげているのだなと感じました。インド人のウェルカムさ、見習いたいです!(望月)

僕はガチガチに仕込んでインタビューに臨みました。インドの旅行本や旅行記を何冊も読み、インドの映画を観るうちに膨らんでいく、想像上のインド人。きっとおしゃべり好きで、陽気なのだろうなあ。実際出会ったサラディーさんは、もっとおしゃべり好きで、ずっと陽気で、器の大きな方でした。そして、意外とビジネスマンでした。想像をこえてくる方でした。案ずるより、産むが易し。となりの人に話しかけるほうがずっと、その人のことを理解できました。いつか、インドに渡る日が来たときには、また想像をこえるインドに出会うのだろうな、と今から楽しみです。(廣瀬)


サラディさん、ありがとうございました!
次回は、京都に住むインド人の方にお話をうかがってきました。
東京と京都で、違いはあるのでしょうか? 明日更新予定です!

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