今月の特集2

 先日、弊社・三島もコラムニストをつとめさせていただいている、住ムフムラボ(グランフロント大阪<北館>ナレッジキャピタル4F)で開催されている「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってきました(体験編はこちらから)。

 その興奮が覚めやらぬまま、同じく「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験された、平尾剛さんと近藤雄生さんと三島の三人で鼎談を行いました。
 暗闇のなかで、いったいなにが見えたのか・・・?
 全2回でお届けします!

(構成:新居未希、山本ひかる 写真:新居未希)

暗闇でみえたこと 平尾剛×近藤雄生×三島邦弘 鼎談

2014.03.18更新

特集2


視覚があることで、いろんなことを無駄にしている

三島今日は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験しての鼎談ということでお集まりいただきました。先週僕らも初めて行ってきたのですが、お二方は行かれたのは初めてでしたか?

平尾はい、お恥ずかしながら存在も知らなかったですね。

近藤初めてでした。帰りの電車のなかで熱くツイートしすぎて、電車にマフラー忘れてきちゃいました。

三島(笑)。でもそれ、すごく象徴的ですよね。ふだん僕たちは携帯とばかりダイアローグしていますから。けれどそうすることで、いろんなものの感覚が薄れていると思うんです。

近藤う~ん、たしかに。視覚という強烈な感覚があることによって、他のいろんな感覚が本来の力を発揮できずにいるような気がしましたね。視覚がないことで感じられる、あんなに豊かな感情があるのに、視覚によってそれがどこかに追いやられているような......。

特集2

平尾そうですよね。
 たとえば僕がずっとやっていたラグビーは、背中の感覚をよく使うんですよ。ラグビーでは後方にしかパスを出せないので、前方には敵が立ちはだかっていて味方は背後にしかいない。味方がどこでサポートしてくれているかを、目で確認するのではもはや遅いんですよね。背中で感じなあかんわけです。引退してからずっとその感覚を味わっていなかったので、なんだか懐かしいような感じがしました。この感覚、俺昔の僕は使ってたよなって。


真っ暗闇の空間にあるもの

近藤視覚障害のあるスタッフの方が、名前を呼んだらあの真っ暗闇のなかを走ってきたり、「もう一歩右です」とか「もうちょっと右見てください」っておっしゃっていたんですよね。空気の流れなどで、誰がどこにいるのか、空間がどうなっているのか、全部わかってるみたいでした。それが不思議で不思議で。

三島僕も、座るときに「もう一歩右ですよ」とか教えてもらいました。もう言われるがままでしたね・・・・「3歩右です」「はい、3歩ですね」って。

近藤あれはほんと、すごいですよね。

三島どこから段差があって何歩で座ったらいいのか、ここに人がいるから隣りに行くには左に一歩ずれたほうがいいとか・・・なんであれが見えるのか、最後までわからなかったですね。

平尾うんうん。ふだん生活しているなかで、視覚への負荷が高すぎるなと実感しました。

三島僕は合気道をやってるんですが、合気道ではふだんから視覚ではないところの動きを稽古しているんですよね。そういう感覚って、じつは人間はたくさん持っていると思う。

平尾ラグビーも一緒です。目じゃないんですよね。肌感覚とか、気配とか、足音とか・・・ゾワっていう感じがある。

三島日常では使わない感覚かもしれないけど、生きるためには必要な感覚がいっぱいあって、それを引き上げていくための一つの訓練法として、ラグビーや合気道があると思うんです。「大切なことは目に見えない」とか、よく表現されるじゃないですか。でも、あそこにおいてはすべて目に見えない。その本質が、あの真っ暗闇の空間にあるなと思いました。

特集2

見える・見えないに二分化できない

平尾そもそも「目に見えない」っていうこと自体が、「目に見える」ということを前提にしているってことですもんね。

三島そうですよね。「目が見えることが当たり前」という発想にかなり捕われているわけで。そこでいっぱい、いろんなことを見落としているんだろうなと思います。

近藤本当にそうですよね。

三島「大切なことは目に見えない」って言ったとき、たぶん「目に見えないもの」と「目に見えるもの」はどこか違うと思っているところが既にあって、それを意識的に「でもやっぱり、目に見えないところに大切なことがいっぱいある」というふうに、もう一段階引き戻す行為が入ってると思うんです。

平尾絶対入ってますね。

三島「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の世界においては、「目に見えるもの」「目に見えないもの」という二つにそもそも分けられない。そうなると、「見えないものが大切」という表現が成り立たなくなる。


わかるか、わからないか

特集2

近藤たとえばさっき平尾さんがラグビーの例で言った「ゾワッとする感じ」ってなんなんだろう、って考えたとき、どうしてもその原因を、音、空気の動き、わずかな視界、など、自分が知っている感覚に分解して説明しようと考えてしまいますよね。でも、あのスタッフの方の、暗闇の中での空間の把握の仕方っていうのは、もはやそんな理解の仕方では説明がつかないような、もっと次元の違う、もっと高次の感覚から生まれている気がするんです。

三島違いますよね。

近藤僕は、視覚がなくなる=苦しい・辛い、みたいなふうにしか想像できていませんでした。けど、実際は全然そうじゃないのかもしれない。視界を失うことで、実はそれまで知らなかったまったく新たな豊かな世界が広がるのかもしれない。何かの障害にしても、悩みにしても、そのことについて本人が感じていること、見ている世界というのは、周囲の人が想像しているのとはまったく違うのかもしれないな、と感じました。視覚のなくなった世界を感じて、そういう点でもっとフラットにならなきゃいけないなと思いました。耳が聞こえない、言葉が話せない、脚が不自由・・・そういった問題を抱えている人に対して、想像力がすごく広がった気がします。

平尾僕たちは、視覚障がい者の方が感じている感覚というものを、矮小化してしまうような形で何とか理解しようとしているじゃないですか。そうじゃなくて、そのままを感じるということですよね。「風の流れでわかる」という表現も、たとえば部屋にいるときに隙間風を感じれば、「なんかスースーする」とどっかの窓や扉が開いてるのがわかったりする。それって、「ほっぺたで風を感じた」という表現しかできないだけで、これ以外にも様々な感覚を身体は感じているはずなんです。言葉による表現の向こう側に身体感覚というものがある。それは「わかるかわからないか」だけだと思うんですね。

三島なるほど。

平尾だから、そういうところを、たとえば「視覚60%、嗅覚10%・・・」というふうに数値や自然科学的に表すのではなく、手触りのある言葉で表現する。そうすることで感覚が多彩であることに想像が及んで、僕たちの世界はふくよかになっていく気がしますよね。

近藤うんうん。

平尾そういう感覚って、生きていると日常的にたくさんあると思うんですよ。たぶん誰にもわかってもらえないだろうなあという感覚って。


*明日もつづきます!

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