今月の特集2

 2014年10月10日、青山ブックセンターにて作家の早見和真さんと、ミシマ社代表三島邦弘のトークイベントが開催されました。

 東京を離れた地で傑作『イノセント・デイズ』を書き上げた早見さん。
 東京を離れて「出版不毛の地」で出版社をつくる動きをとった三島。

 作家、編集者の立場から、「東京一極集中」とは違う世界、「地方の可能性と現実」を語り合いました。2人とも鼻炎(東京のせいという説あり?)を抱えながらも、おおいに盛りあがったトークの様子を3回にわたりお送りします。

 新しい時代の作家、出版社のあり方とは?

(構成:星野友里、写真:池畑索季、構成補助:高橋賢治郎)

早見和真×三島邦弘 地方で作家、出版社をするということ

2014.10.29更新

会うたびに「城陽」って言ってた人

三島これまでお会いしたのは4、5回くらいですかね。

早見多分、そうですね。意外と多くはないですね。ぼくは小説家としての自分にはものすごく自信がなくて、天才ばっかりがいる業界の中で自分だけが凡夫だと思っていて、本当に日本語が不自由だなと毎回絶望しながら書いているんですけど、だからこそ編集者という人に対してぼくは人より期待しているというか。とにかく寄り添っていて、嘘でも良いから「お前のために死ねる」という顔をしといてと。そういうふうに思う人間なんですね。その意味で、ぼくは三島さんを編集者としてものすごく信頼していて・・・。

三島ありがとうございます。

『失われた感覚を求めて』三島邦弘(朝日新聞出版)

早見何でかなってあらためて考えていたら、ここ(『失われた感覚を求めて』)に答えがあったんですよ。いきなり答え言っちゃうんですけど、逡巡してるんです。もがき苦しんでるんですよね。とくに今回の本は。一区切り、一区切りで悩んで、でも「おれは悩みを解決する方法を見つけた」と言って、そこを一度は閉じるくせに、また違うことでぐじぐじと悩んで、それに対する行動を起こしている。本当に正しくもがいているなーと。

三島もがいていますね。

早見企業の経営者としてはけっこう希有なことなんじゃないかと。ライター時代に社長さんみたいな人にいっぱいインタビューさせてもらったんですけど、やっぱり己を信じている人が多かったんですよ。みんなわりと聞く耳を持たないし、こうだ、と決めたことに対して、立ち止まらない人が多かった。三島さんの例を一つ挙げると、オフィスを京都城陽に移されましたね。

三島はい。「城陽」って多くの人聞いたことないと思うんですが(笑)。

早見こういう理由で京都城陽に行くって決意表明もこの本のなかでされてるんですけども、結局そこには丸二年しかいなかったんですよね。ぼくが一人の社長さんとして出版社を経営していて覚悟を持って城陽に行ったときに、たとえどんな疑問が芽生えたとしても城陽という町にしがみついてしまうはずなんです。ぼくだったら。

三島ぼくもね、しがみついたなという思いはあるんですよ。あの頃の三年前のぼくをご存じの方がいたら、会うたびに「城陽」って言ってた人だなという記憶だと思うんです。ここに出版界の未来があるんです、ひいては日本全体の未来なんです、とかをことあるごとに言ってたんですね。

早見うん。たしかに言ってました(笑)。


コミュニケーションの絶対量が百分の一くらいに

早見何が一番違いました? やれるだろうと思って行ってるわけじゃないですか。ネットもメールも、電話もあって、まあやれるかなって。でも、何が一番やれなかったですか?

三島たしかに、物理的なものって全部クリアしてると思ってたんです。でも全然そんなことなかったんですよね。城陽にいても誰一人打ち合わせる人はいないです。これは一番つらかったですね。デザイナーさんも作家さんも誰も彼もおらんのです。普通に住んでる人が住んでる町なんで。

早見でも、そんなの百も承知で行ってるわけじゃないですか。思ったよりいなかったんだ。

三島いや、思ってなかったんだと思います。

早見なるほど、そのへんに"Don't think"が出たんですね。『失われた感覚を求めて』に出てくるキーワードの一つです。

三島それに、社員のメンバーが自由が丘と城陽の2拠点になって、普段からブルース・リーて言ってる人がフィールのしようがない、だってそこにいないんですもん。コミュニケーションの絶対量が百分の一くらいになりましたよね。だから、あまりにやることないから、よく古墳見てましたわ。古墳でアースダイビングをよくやってました。


なんでこいつらオレを逃がすんだろう

三島早見さんは、いつ伊豆に移られたんですか?

早見ぼくは2010年の1月です。

三島そっか、そしたら震災は関係ないんですね。その話をぜひうかがいたいです。

早見ぼく、デビューが2008年の6月なんですよ。で、三島さんにはよく話してますけれども、なんかぼく、人生に何かを背負いたくないんですよ。結婚するってなったときも、奥さんに「おまえのために何もしないからな」って言い続けたし。本当に言ったんですよ。

三島本当に言ってます(笑)。

早見背負いたくない背負いたくないって思っていたぼくが、デビューしたときに、あまり小説家みたいなことを言いたくないんですけど、生まれて初めて失いたくないと思うことを得てしまったなと思ったんです。小説を書くという行為を背負った。もうこれだけは何があっても守りたいなと。うちの奥さんには崖でおまえと小説がこうなってたらおれたぶん、今のところ、小説を助ける、と言った話を覚えてるくらいなんで。

会場(笑)

早見それで、デビューさせてもらったとき、東京の神楽坂という所の近くの古いマンションに住んでいたんです。さぁ、デビューしたぞといってスイッチ入って、すべてを小説に奉仕しなきゃいけない、それは痛いくらいわかっているのに、才能なくて書けなくて苦しい。「今、つらい」って言って電話したらオレを逃がしてくれる友だちや編集者がいっぱいいる、っていう環境が本当に嫌になっちゃって。「なんでこいつらオレを逃がすんだろう」って、本当に逆恨みなんですけど。

三島本当にそうですね(笑)。


この4年間、たぶん人生で一番幸せな4年間だった。

早見で、ぼくの家族の話してもしょうがないんですけども、ぼく、本当に背負いたくないんで結婚なんて全然するつもりなかったなかで、うちの奥さんは当時いい大学出ていい会社で働いていて、じゃあオレが人生のるかそるかやってるから、お願いだから死ぬ気で安定してくれるって約束してくれるなら結婚するっていう話をした。最悪あなた一人を食わせてあげるならたぶんできるからいいんじゃないっていうことになって、じゃあ結婚しようかって。それで、背負いたくないって言ってるわりにはやってることやってるじゃねぇかって話なんですけど、その後うちの奥さん産休に入るんです。ずっと家にいるんですよ。これ、異様に背負わされている感があるんです。

三島完全にそうですよ。

早見それで、おれは今、東京を離れなきゃいけないんだという話を奥さんに延々としてたんです。お前がサラリーマンだからできねぇって、まぁ八つ当たりなんですけど。そしたらきっとキレたのであろううちの奥さんがぼくの知らないところで会社を辞めてきちゃったんですよね。

三島おお、それはすごい。

『イノセントデイズ』早見和真(新潮社)

早見安定してくれるって約束してくれた奥さんがさあ地方行くぞと。行かざるをえない状況で、伊豆になったんですけど。でもね、本当に伊豆よかったんです。引っ越して4年立つんですけども、こんなに小説と向き合えると思ってなかったぐらい。この4年間、たぶん人生で一番幸せな4年間だった。逃げないで済むことがこんな楽なんだなーと。あえて友だちつくらなかったですし。『イノセントデイズ』の執筆はとくに潜れたんですけど、1カ月イノセントデイズ書いていたら外に出るのって週に一回、煙草のカートンを買いに行く、それだけ。だから月に4回しか外でないんです。

三島生涯初めて守るべきものとなった小説と向き合える逃げ場のない場所に行って、それはたしかに幸せなことですよね。

早見なんですけど、幸せとは何ぞやという話になってくるんですけど、本当に『イノセントデイズ』を書いてるときは精神状態がぼろぼろで。飯食えないし、寝られないし。ふとしたときに無意識のままお腹空いてフルーツグラノーラを食ってんですよ、夜中の三時に、BS観ながら。幸せとは何ぞやと、ちょっと感じてしまって、東京でワイワイやってたほうが幸せなはずだ! という気持ちもありつつ......。


   

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早見和真(はやみ・かずまさ)

1977年、神奈川県生まれ。大学在学中より、ライターとして活躍。2008年、『ひゃくはち』で作家デビュー。同作は映画化、コミック化されベストセラーとなった。他の著書に、『スリーピング・ブッダ』(角川書店)、『ぼくたちの家族』(幻冬舎)、『ポンチョに夜明けの風はらませて』(祥伝社)、『6(シックス)』(毎日新聞社)、『東京ドーン』(講談社)がある。

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