今月の特集2

『近くて遠いこの身体』平尾剛(ミシマ社) 

 2015年1月、大阪は谷町六丁目にある街の本屋さん・隆祥館書店にて、元日本代表選手おふたりのトークイベントが開催されました。

 そのふたりとは、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社刊)の著者・平尾剛さん(現在、研究者)と、隆祥館書店の店主である二村知子さん。平尾さんはラグビーの元日本代表選手であり、二村さんは、なんとシンクロナイズドスイミングの元日本代表選手なのです。
 自分の身体を集中的に使い続け、そして現在職種は違えど「言葉」に関わるお仕事に就かれているおふたり。

 スポーツの話から「動じない心」の話まで・・・受験、大切な試合、就職・転職など、大一番や転機を迎えるすべての人に読んでほしい「身体化された言葉」が続々と飛び出しました!

(構成:新居未希、構成補助:須藤由喜、写真提供:隆祥館書店)

元日本代表対談! 平尾剛×二村知子 前編

2015.01.29更新

置き去りにされた「感覚」

二村シンクロの選手だった時代は、言葉での指導や、演技指導のためのテキストがありました。けれど、どうしてもテキストではわからない部分がたくさんあったんですね。平尾さんがおっしゃる「感覚を深める」ということに、すごく共感する部分が多かったです。

平尾たとえば跳び箱だったら、踏み切り台で両足を踏み切りなさい、両手を前につきなさい、というように細かな動きについての具体的な説明がなされます。けれど言われてすぐにその通りにできたら、指導なんて必要ないですよね。どのようにすればよいかを頭ではわかっているんだけど、できないのはそこに必要な感覚が働いていないからです。
 体育の現場では、そういう「感覚」が置き去りにされている気がするんです。やり方を説明したら終わり、ということになってしまっている。けれどやっている本人のなかに「うまくできた!」という感覚がないと、本当にできるようになんてならないですよね。こういう感覚的な部分ってなかなか説明しにくいものだと思うんですけれど、『近くて遠いこの身体』では、そこにスポットライトを当てたかった。当たり前のことだと思うかもしれないですけど、最近では体育以外のあらゆる領域で感覚そのものが疎かになっている気がしています。

二村たしかに、最近はなんだか身体感覚というものに対する鈍さのようなものを感じますね。
そもそも現代社会では、身体を使うこと自体が少なくてすんでしまうんですよね。

平尾そうなんです。エレベーターやエスカレーターがあるから、階段を登る必要がない。あまり歩かなくても生活できる社会です。けれど人間は歩くだけでもバランスをとっています。一歩また一歩と踏み出すたびに瞬間的に片足になるわけで、不安定な状態を回復しようとしてバランス感覚が養われるんです。
 また最近では、歩きながらスマホをいじっている人をよく見かけますが、それをしていると、五感が衰えていってしまうんじゃないかなと思いますね。たとえ意識してなくても、私たちは歩きながら人や景色を見分けているし、たくさんの音を聞き分けている。人やものの気配も感じている。だから人と衝突することなく歩くことができるわけです。本人はぶつからずに歩けていると思っているかもしれないけど、厳密にいうとあれは周りの人たちがよけてくれているだけだと思う。


見るのは稽古だ!

二村シンクロでも、テキストにスカ-リング(浮き身などに必要な手の動き)の際に「弧を描くように」とかいろんなことが書いているんですけれど、実際は感覚なんですよね。水を掴む重さというか、自分のなかで掴まないとできないものがある。そういう言葉では伝えきれない感覚って、たくさんありますよね。ラグビーの指導というのは、どのような感じなのでしょうか。

平尾やはりラグビーでもそれは同じで、テキストに書かれていたり、指導者が口にした言葉を頼りに感覚をつかまなければなりません。あと、うまい人のプレーをじっくりと見ることも大切で、目線がどこにあるか、走り出すタイミングはいつかなど、目を皿にして観察することで感覚をつかむための糸口がみつかる。集団競技の世界は、一人うまい人が入るとがらっとかわったりするんですけど、それはやっぱり、そのうまい人のプレーをみんなが見てるからなんですよね。チームの中に、自分ができないプレーを平然とこなすプレーヤーがいたら無意識に見ているし、同じポジションだったらライバル視したりするでしょう。そうして、全体のレベルがググっと上がることがある。武道には見取り稽古というものがあるそうですが、「見る」のは上達に欠かせない練習の一形態です。

二村『近くて遠いこの身体』は、平尾さんのラグビーで得た経験や身体感覚を中心に書いていらっしゃる本ですが、ほんとに「わかるわかる!」という感じで読みました。ラグビーだけではなくて、広くスポーツ、身体を使うことに共通するものが書かれていますよね。

平尾伝えたいことが伝わっているようでとてもうれしいです!僕はラグビーを通じて、身体を使うことがめちゃめちゃ楽しいと感じました。もちろんラグビー自体も面白いスポーツなのですが、それよりも身体そのものを使うことが面白い。それを追求したいという想いが僕にはあります。そういうところから紐解いていくと、「身体を使う」という営みならば必ずどこかで共感する部分が出てくるのではないかと思うんですね。スポーツ各種のみならず他分野、他領域であっても、横串が通るように腑に落ちる。もちろん集団競技と個人競技って違うので、すべての種目に当てはまるほど普遍的ではないとは思いますが、あくまでも願望として、そんなふうに考えています。


「ラク」をしたら結果はでない。けど、「楽しむ」。

二村本のなかに、「ラクをするんじゃないんです」という一節がありますよね。「スポーツではとにかく楽しむことが大切」「『苦しいのがいい練習』というのは勘違い」と書かれていますが、私自身シンクロ時代の指導がすごく厳しかったんです。ほんとに怖かった(笑)。練習中に後輩が笑おうもんなら「何へらへら笑ってんの!」という感じで...。だからその当時一緒にシンクロしてるみんなは、練習中は、楽しむという雰囲気ではなかったんじゃないかなあと読んでいて感じました。

平尾でもその中でも、結果を残していらっしゃるじゃないですか。ということは、そういう苦しい環境でも力を発揮できたということですよね。

二村今から考えると、ソロで、負けん気があった選手はコーチにも反抗していました。私はチーム演技(8人)だったんですが、一緒に泳ぐ8人の中には、コーチに反抗する!というような子はいなかったと思います。だから試合になったら、極度の緊張のためにのびのびと演技ができなくて悔しい思いをしたりした時もありました。
 フィギュアスケートにもあるように、エキシビジョンというのがシンクロにもあるんですね。試合の後の、アメリカンスク-ルのプ-ルでのエキシビジョンですごく楽しく演技ができたことがありました。ナイタ-でしたが水中からライトがあたって水面がキラキラと宝石のように輝いていて、まるで人魚のように演技ができた。ギャラリーのみなさんの反応もすごく良かったんです。そういうのが本番の試合でもできたらいい点が取れるんですけど、本番ではなかなかできないんですよね...。メキシコでは、ル-ティン競技決勝では、世界第3位をとれたんですが、平尾さんの本に書いてあったように、フィギュア競技になると身体がこわばってしまって、ノビがなかったと思うんです。

平尾それはスポーツ界において永遠の課題という気がしています。本番で活躍できる選手と、そうじゃない選手って分かれてしまうんですよね。本には「楽しむことの意義」について書かせていただいたんですが、もしなんの努力をしなくても楽しめる環境にいるとすれば、わざわざ楽しむ必要なんてないんですよね。それはただ「ラクをする」なのであって、「楽しむ」とは違うんです。苦しいから楽しもうと努める。
 やはり大一番の試合で力を発揮するためにはそれなりに体力をつけなければいけないし、技術も磨かないといけません。そこにはやはり苦しさや厳しさが伴う。やるべきことを疎かにはできません。大切なのは、こうした情況そのものを楽しむこと。これが意外にも難しく、ともすれば根性論を肯定することにもなる。でもそういうことじゃない。経験的にいうと、ここでいう「楽しむ」に必要なのは知性だと僕は思っています。「楽しむ」ということを表面的にとらえてしまうと、「ラクすればいい」となりますが、ラクをしたらダメなんですよ。ラクしたら、結果は出ませんから。


(つづきは明日更新します)

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