今月の特集2

『近くて遠いこの身体』平尾剛(ミシマ社) 

 2015年1月、大阪は谷町六丁目にある街の本屋さん・隆祥館書店にて、元日本代表選手おふたりのトークイベントが開催されました。

 そのふたりとは、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社刊)の著者・平尾剛さん(現在、研究者)と、隆祥館書店の店主である二村知子さん。平尾さんはラグビーの元日本代表選手であり、二村さんは、なんとシンクロナイズドスイミングの元日本代表選手なのです。
 自分の身体を集中的に使い続け、そして現在職種は違えど「言葉」に関わるお仕事に就かれているおふたり。

 スポーツの話から「動じない心」の話まで・・・受験、大切な試合、就職・転職など、大一番や転機を迎えるすべての人に読んでほしい「身体化された言葉」が続々と飛び出しました!

(構成:新居未希、構成補助:須藤由喜、写真提供:隆祥館書店)

元日本代表対談! 平尾剛×二村知子 後編

2015.01.30更新

 闘争心がまるでないと怖くてタックルにもいけない。
 かといって、闘争心しかない状態だと、すぐにカッと熱くなり冷静な行動がとれなくなる。
 並々ならぬ闘争心と、それを眺める冷静さのふたつを同時にもつことが求められる、ラグビーというスポーツ。
 元日本代表・平尾剛さんは、そういうきわめて高度なスポーツの舞台で、どのようにして心と身体をコントロールしていたのでしょうか?


無心になるスイッチは「身体」にある

二村平尾さんは御本のなかで、「冷静さを失わず、それでも昂揚している精神状態、すなわち適度な緊張感を伴ったこころの状態としての『臆することのない意志』が、事を成すにあたっては必要となる」と書かれています。たとえば会社でのプレゼンテーションだったり、ピアノの発表の場だったり、「臆することのない意志」はスポーツの場面以外でも必要ですよね。どうやって身につけることができるのでしょうか。

平尾「臆することのない意志」という言葉に僕が託したのは、ある限度を超えないように闘争心を上げつつも、冷静さを保っている精神状態のことです。違う言い方をすれば、心の奥底には恐れを抱いているんだけれども、それを暴れさせず、心を落ちつかせることで表面的には出てきていない状態。これを「無心」っていうんじゃないかと思うんです。「言うは易く行うは難し」で、なかなかうまくいかないのですけれど。

二村なるほど。とくになにか、やってらっしゃることはありますか?

平尾就寝前に読経をしています。心がニュートラルの状態になるというか、なんだかとても落ち着きます。それに加えて深層筋を緩ませるメソッドをするときもあります。そうして心と体を緩ませています。
 これ以外だと、「身体を使う」ということを意識的に行っていて、バランスボードに乗ったり、グラウンドを走ったり。長らくのデスクワークなどで頭をずっと使っていると煮詰まってくるんですね。そうするとどんどん後ろ向きに考えてしまって、臆してしまうんです。どこか弱気になる。そういうときは身体を動かします。言葉ではなく身体を通じた感覚を使うように回路を切り替える。そうすることで頭の中のデスクトップを整理されて、うまくゆくとアイデアが生まれたりもしますよ。理屈で解決するのではなく、身体で解決する。意志を支えるものは論理ではなく生身の身体だと思っていて、負のスパイラルを吹っ切るスイッチは身体にあると僕は思ってます。


心はすぐには落ち着かない

二村平尾さん流の心を落ち着かせる術があれば、教えていただきたいんですが...

平尾うーん、僕はお坊さんでもなんでもないので、そんなたいそうなことは教示できません(笑)。そもそもそんなにすぐに、心って落ち着くものではないと思うんですよね。それなりの人生経験も必要ですから。引退後もいまだに模索中という立場から気づいたことを話させてもらうとすると、能楽師の安田登さんが『あわいの力』という本のなかで、「心の三層構造」について書いてました。これがまさに目から鱗が落ちる内容で、これが補助線となって試合前に読経しているときの心の動きが少しだけ説明できるようになりました。
 安田さんが言うには、日本的な「心(こころ)」には3つの層がある。表層にあるのが「こころ」で、その下層に「おもひ」があって、さらにその下のもっとも深い層に「心(しん)」がある。表層の「こころ」は、昨年まではあの人が好きだったけれど今年はまた違う人を好きになっているというような、移ろいやすい感情のこと。「おもひ」は、この「こころ」を生み出すもとになる動的な心的作用で、何らかの欠落感があって、その欠落状態が埋まるまではなんとも落ち着かない、そんな不安定な状態のことを指します。そして「心(しん)」は、これらふたつとは異質の心的作用で、感情のずっとずっと奥にあり、言葉を伴うことなく一瞬にして伝わる何かを指す。「以心伝心」というときの心(しん)が、まさにそうだと安田さんは言います。

 もともと怪我をしないようにと神頼みとして始めた読経が、いつからか試合前の心構えをつくるためにと目的が変わりました。試合前には、戦略や戦術など対戦相手に関する情報やこれまで繰り返し練習してきたサインプレーなどを身体に埋め込まなければなりません。あまりに言葉が過ぎるとうまくパフォーマンスできません。うろ覚えの状態で「頭に言葉として」残ってしまうと、いざグラウンドに立ったときに身体は動かない。頭に叩き込んで、それを身体の内奥に沈めてしまわないと試合では動けない。いったん覚えた情報を意識下に沈めないといけない。つまり「無心」にならないといけないわけです。
 はじめのうちは、お経を読んでいてもさっきまで必死に覚えていた言葉としてのさまざまな情報が、勝手にポツポツ頭に浮かんできます。サインプレーの細かな動きなどが繰り返し思い出されて、きちんと記憶しているかどうかの確認作業をしている。だから一向に無心になれません。絶えず移り変わる心模様がここにはある。それが安田さんの言うところの「こころ」、つまり一層目ではないかと。


二村うんうん。

平尾次に、このままではいけない。なんとかして「無心」にならねば。そう思って、浮かぶ思念を必死に打ち消そうと試みる。「すべて覚えているからきっと大丈夫だ。オレよ、何も思うんじゃない!」と努力するわけですけれど、なかなかうまくゆかない。それもそのはず、これってよくよく考えれば、別にまた新しい思念をせっせと作り出しているんですよね。打ち消そう、打ち消そうとして、新たな邪念を生み出している。「こんなこと思ったらあかん」ということを思ったらいけない。次に、「だったらどないしたらええねん」と思う。これもまた新しく生まれた邪念です。そのうち「なんのために読んでるんやろう、こんなことして効果があるのかな」と思う。またまたこれも新しい邪念(笑)。見事に負のスパイラルに陥ってしまう。この一連の心模様はまさに「動的な心的作用」ですよね。意図的でダイナミックに心が揺れ動いている。つまりこれが二層目の「おもひ」となるわけです。

 でもね、ここからなんです。面白いというか、大切なところが。継続は力なりというか、ずっと読経を続けているとあるときわかったんです、邪念の正体が。あまりにも乱れる自らの心にほとほと疲れ果てて「あれこれ考えてもしゃーないか」と諦めた。で、ひたすら読経に集中しました。唱え間違えることなく、肚に力を込めて声を出す。そうしてただ読むことだけに集中していると、しばらく経ったときに、いつのまにか「無心」になっていることに気がついた。そういえば、今回はなにも思うことなく30分が経過したぞ、って。なるほど、こういうことかと腑に落ちました。

 次々に浮かぶ思念をなんとかしてやろうと思うのではなく、そのまま放っておくんです。たとえば「明日の対戦相手はキック主体の組み立てをしてくる」という思念が浮かんだとすれば、そこで「そんなことを思ってはいけない、それでは無心にはなれない」と打ち消すのではなく、「おれってそんなこと思ってるんや」と、ただ現状を追認するだけに留め置き、読経だけに集中する。すると、いつのまにか何も思わなくなる。気がついたらしばらく何の思念も浮かばなかったことに、あとになって気がつく。そういうふうにして、いつのまにか入るものが「無心」なんですよね。事後的に気がつく境地が無心なんです。このときの実感としては、たとえが悪いかもしれませんけれど、まるでお経が掃除機のように邪念を吸ってくれるような、そんな感じです。
「こころ」と「おもひ」をかき分けた先に待っているものが「心(しん)」であると安田さんは言います。この「心(しん)」の状態が僕にとっての「無心」だったんです。たぶん、ね。


本番で力を出せない人、もう一歩という人へ

平尾こんな経験をした僕だからこそ現役の選手たちにアドバイスできることがあるんじゃないかと考えています。重圧の中で複雑な動きをしなければならないのがスポーツですから、選手の心には様々な思いが巡るのは当然なんですよ。たとえばラグビーだと、タックルをするときには誰しもが恐怖を感じる。そこで「恐怖心を持つな!」と指導したところで、どうしてもそれは芽生えてしまう。そこを乗り越えるためにはどうすればよいか。よく用いられるのが根性論や精神論ですけど、それでは意味がない。怖いと感じながらも勇気を振り絞って踏み出す一歩を尊重すること。それを大事にしたスポーツ指導を考えていきたいし、実践していきたいと思います。理想論かもしれませんけれど、目指すことはできますからね、誰だって。

二村でも、心のうちを書いてくださったことがすごく嬉しかったです。

平尾かなり勇気がいりました。ここまで書いてよかったのだろうかと、今でもときどき考えたりします。少なくとも現役のときには絶対書けなかっただろうなとは思う。実際には読経をしていることは他の誰にも言ってませんでしたし、神頼みをしていますと公言することなんて、やっぱりできませんよ(笑)。
 だけど、もう引退したからいいかって開き直りました。現役の選手たちがパフォーマンスを発揮するために知りたいことって、実はこういうことなんじゃないかって思うんです。現場の人間にしか知り得ない体感的な知を求めているんじゃないかって。伸び悩んでいる選手にこそ届いて欲しいと思いながら書きました。トップアスリートよりも、部活動に励んでいる生徒や学生に伝わればいいと願ってます。あともう一歩という人の手助けになる書になればすごくうれしい。

二村練習だったらできるのに本番はできない人や、あと少しでもう一段階あがるところにいけそうなのにメンタル面で悩んでいる人、いろんな人に読んでほしいですね。もう一歩、という層は、意外と多いんじゃないかなと思います。

平尾すでに活躍してスポットライトが当たっている人は、その「もう一歩」を超えた人です。過去に一度でも乗り越えた経験があれば、またその次に立ちはだかる壁も乗り越えることができると思う。上達するってことがどういうことなのかを身体でわかっているんですから。だから彼らは放ったらかしにしておいてもいい(笑)。
「もう一歩」を超えられずに地団駄を踏んでいる選手の背中を押す。そのためには、なんでも「根性」で片付けるのではなく、実績を残したアスリートが自分の歩んだ道をなるべく詳細に記すことが大切ではないでしょうか。「そんなやり方でもできるんだ」とか、「失敗もたくさんしてるんだな」とか、「へー、お経を読んでたんだ」とか(笑)、何気ないことかもしれないけれど、まだ成長途上の若い選手たちにとっては目前の壁を乗り越えるためのひとつのきっかけになりうるのではないか。そこは、すごく意識して書きました。思い悩んでる人や、何か探している人に届くことを心より願っています。


  

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