今月の特集2

左)『ボクは坊さん。』/右)『坊さん、父になる。』白川密成(ミシマ社)

 

 それは5年前、2010年1月――。
 お坊さんがバットをもった、印象的なイラストがカバーを飾った一冊『ボクは坊さん。』が、白川密成さんの初の著書として産声をあげました。

 24歳で突然住職になったドタバタの毎日、等身大の言葉で語られる大師の言葉、ポップソングみたいな坊さん生活は、大きな話題を呼び、版を重ねることに・・・。そして発刊からそれほど経たずに、「ぜひ映画化を」とお声がけくださったのが、あの『ALWAYS三丁目の夕日』や『海猿』等々、たくさんのヒット映画を手がけてこられた映画プロデューサーである安藤さんだったのでした。

 しかしそこから3年が経ち、4年が経ち、やはり難しいのかもしれない・・・と誰もが思い始めた頃・・・、ついに、高野山開創1200年を迎えるという節目の年、2015年秋に、公開されることが決まったのでした。

 ミシマ社一同、一足お先に試写会を観させていただいたのですが、身内びいきではなく、とってもとっても素敵な映画です。今回は、公開に先立って行われた、白川密成さんと安藤プロデューサーの対談(司会:ミシマ)をお届けします。

 なお、この映画の原作は『ボクは坊さん。』なのですが、内容としては、今月発売となった『坊さん、父になる。』で綴られていることも半分くらい入っています。ぜひ合わせてお読みいただけたらと思います。

(構成:星野友里、構成補助:佐久間楓、写真:池畑索季)

『ボクは坊さん。』映画化記念対談 白川密成さん×安藤親広さん(2)

2015.09.15更新


圧倒的な現場で絞り出した言葉

ミシマお葬式のシーンは圧感でした。田んぼの農道を大きな旗をかかげて葬列が練り歩く・・・。

安藤普段は見ないですよね。というかやらないですね。

ミシマでも密成さんのお寺では、普通なわけですよね。

ミッセイじつはこの10年が過渡期だったので、僕が原作を書いたころは本当にあれが中心だったのですが、今はそういう形が減り始めています。

ミシマやっぱりそうなんですか?

ミッセイ葬儀場が増えたので。そういう意味では、ある程度これからたくさんの方が亡くなるという時代のなかで、死の儀礼というのがある意味で仕事化しているというのもあるのかもしれません。僕がお坊さんになった頃の、そういう風景がなくなることは寂しいですけど、その風景を映画に残せたというのは、僕としても、この地域に住んでいる人間としても嬉しいです。

 枕経とかのシーンは、僕も監修として行きました。うまく作っていただいて、本当にあんな感じなんですよ。そういうところが都市に住んでいると見えにくくて遠いですけど、映画を通して死というもの自体が伝わってほしいと思います。

ミシマお葬式のシーンの言葉は、原作にも書かれていた言葉で、あれが24、5歳の時に密成さんご自身が思いついた言葉なんですよね。

ミッセイそうです。「生きていることが祭」という部分と、「生まれた状態と死の状態が似ている」という部分が印象的だったという方が多いです。それって僕が人をおくるときに、実際に現場で出した言葉なんですよね。

 いろんな言葉を考えているわけではないですけど、亡くなったお父さんとかお母さん、時には娘さんなどがいるという、圧倒的現場で何が出せるだろうと思った時に絞り出した言葉は、日常とは違うんですよ。それは24歳でも出てくる言葉がある。

 そのとき、僕はそれがすごい場所になったと感じながら、このことを誰かに話したいと思ったんです。それが本を書いたきっかけでもあります。それを映画を通じて、普段そんなことも考えない方に伝わったら愉快だと思います。

安藤僕も本を読んであの言葉は入れたいなと思っていました。密成さんの成長というか、それがあの言葉に全部こめられている感じがして、いい言葉だなと思います。

ミッセイ僕は今38歳で、15年くらい住職をやっていますけど、映画を見ていると24歳の自分に負けているなと感じます。積み重ねる部分では成長しているかもしれませんけど、この時出たものがあるなと思います。この時の火事場のくそ力みたいなのが伝わればいいですけどね。


映画必見ポイントその2:高野山

安藤高野山は、この映画を撮るとなって、生まれてはじめて登頂しました。「荘厳」という言葉がしっくりくるというのは、はじめての体験でした。「荘厳」って、なかなかそう言われてもなって感じですよね。でも、奥の院へいく道を歩いているときに、これが「荘厳」っていう言葉なんだと、ものすごいビンビンに感じました。外国の方もいっぱいいましたね。

ミッセイそうなんですよ。特に欧米の人が人が多いですかね。

安藤フランス語とかスペイン語が飛び交っていました。

ミッセイだから宿坊といってお寺に泊まるところがいっぱいあるんですけど、お風呂の入り方が英語で書いてありました。「At first 水をかける」みたいな・・・。

一同

ミッセイやはり海外の旅行者にとっても、四国もそうですけど、魅力的な場所みたいです。

三島栄福寺はぜひ行ってみてください。

安藤本当ですね。


我らが青春『ボクは坊さん。』

ミシマ『ボクは坊さん。』をつくるときに最初にお会いしたのが7、8年前ですよね。

ミッセイある雑誌でミシマ社の特集を読んだときに、この出版社で「絶対書籍化したい」と思ってミシマ社にメールを送ったら、「明日今治で講演するんです」という返信がきました。
 「密成さんは、どんな本にしたいですか?」と聞かれたときに、「言葉によって言葉を超えてみたいです」という言葉がなんとなく出てきました。ちょっと軽いエッセイですけど、そういうのには挑戦してみているつもりはあります。

ミシマ実際、「言葉によって言葉を超える」というのはぴったりだと思います。実際に栄福寺に行って、密成さんと出会ったからこそ、この本を作りたいと強く思いました。やっぱりそういう空間なんですね。映画では「空」という言葉がありましたけど、そんなような自分がなくなるような感覚を覚える場所です。

ミッセイあの時のその日のことを、今でも昨日のように思い出します。

ミシマ僕も会社を作って間もないころで、本当に密成さんと二人三脚でつくった、青春そのものという本です。それは僕にとっても、密成さんにとってもなんです。それが、映画になったのは感無量です。

ミッセイ『ボクは坊さん。』のあと、だいぶ自分自身思い悩むことがあって、それが体調につながって、坊さんとしては情けないことになったというのが一時期ありました。ただその中で結婚したり、子どもを授かったりと自分なりに変化もあって...。

安藤そっか。初めてお会いした時、結婚してなかったですもんね。

ミッセイだから、結婚して子どもを授かって、演仏堂を建てて...とそこの話が『坊さん、父になる。』の中に入っています。エピソード2みたいな感じで。

ミシマ素晴らしい作品なので、こちらもぜひご期待ください。本日は楽しいお話をありがとうございました。


  

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白川密成(しらかわ・みっせい)
1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において連載を開始。著書に『ボクは坊さん。』(ミシマ社)、『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)がある。

安藤親広(あんどう・ちかひろ)
愛知県日進市出身。明治大学商学部商学科卒。ROBOT入社後はCMプロデューサーとして数々のCMのプロデュースを手掛ける。1995年に映画部へ異動し、『7月7日、晴れ』で映画初プロデュース。その後『踊る大捜査線 THE MOVIE』、『海猿』、『ALWAYS 三丁目の夕日』などの話題作をプロデュース。 2008年7月1日付けで執行役員コンテンツ事業本部映画部部長に就任。 2014年7月1日付けで取締役常務執行役員コンテンツ事業本部本部長 兼映画部部長に就任した。

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