今月の特集2

 2017年3月、森の案内人・三浦豊さんの初単著『木のみかた』が発売になりました。
 日本全国の森、3000箇所以上もの森を歩き続ける三浦さんの目を通せば、街なかの道路、路地にも自然があふれているのがわかり、なんだかいつもの景色が違って見えてきます。「街を歩いていても木を見る視線がかわった」「外に出るのが楽しくなった」と、うれしいお声も続々!

 そんな木の「味方」であり、「見方」を教えてくれる三浦さんと、もじゃもじゃ緑が生い茂った建物=もじゃハウスを広め、設計すべく活動している設計士・干潟裕子さんの対談イベントが、2017年7月7日(七夕!)に開催されました。

 とにかく緑を語るふたりがアツい、大盛り上がりだったイベントの様子を、前後編でお届けします。

(写真:鳥居貴彦、構成:新居未希、構成補助:上原綾子)

緑と一緒に働くふたり 森の案内人・三浦豊×設計士・干潟裕子(1)

2017.08.10更新

森の案内人と設計士

三浦三浦豊といいます。2010年から「森の案内人」と名乗っておりまして、京都に住みながら、関西を中心に木が生えていれば日本全国どこでも案内をさせてもらってます。
 森の案内をしているなかで、その場所を「うーん...」と思うこともあるんです。そこで最近は、案内している森の地元の方からお声がけいただいて、森を育むことをやろうとか、ちょこちょこお声がけいただくようにもなりました。木や森の喜びをみんなと共有できたらなぁと思って活動しています。

干潟干潟裕子と申します。私は短大で造園を学んだ後、ランドスケープの設計士として都市設計や、公共性の高い公園などの空間設計をしていましたが、緑でもじゃもじゃした建物を設計したいと思うようになって独学で建築士の資格をとり、5年ほど前に「もじゃハウスプロダクツ」という設計事務所をオープンしました。

「もじゃハウス」イラスト:干潟裕子

 でもこういう緑に覆われた建物って、海外にはけっこうあるんですけど、日本ではあまり広まっているわけではないんです。なのでまず皆さんに知っていただかないといけないし、その機会を自分で作るしかなくってですね、そういうお宅(もじゃハウス)を取材し、私だったらこんな設計ができますよという絵も載せつつというリトルプレス(『House "n" Landscape』)を、一人で作ったりもしています。


「House"n"Landscape」1号取材先 写真:干潟裕子

三浦僕は「もじゃハウス」を見たとき、同志だなぁと思いました。おべっか言うの好きじゃないんですけど、僕の夢を具現化されているなと思って。木が生えていて境目がないというか。こういうふうに街が、世の中がなったらいいなぁと思ってるんです。なのでもう、すとーーんときましたね。それほど僕にとっては王道というか、ど真ん中のことされているんですが、この2人の王道は世間ではそれほど王道ではないかもしれません(笑)。


23歳までひまわりと桜しか知らなかった(三浦)

干潟三浦さんは京都の街中で生まれ過ごし、建築を勉強されてそこから緑に目覚めて、緑方向に......という流れですよね? 私は山口県の出身で、田舎で生きてきた人間なんです。木がそこらじゅうにあって、自然に囲まれた環境の中で野山を駆け回って大きくなって、造園というか植物の勉強をしたうえで、最終的に建築を選びました。三浦さんとは経緯が真逆。だから、緑に視界が開けたきっかけを聞いてみたいんですけど。

三浦僕、23歳までひまわりと桜しか知らなかったんです。紫陽花とかススキとか言われても「何ですかそれは」というか。「森」と言われても、向こう側にあるものだと思っていたし、なんの興味もなかったんです。
 けど、大学で建築を勉強していって、「心地いい空間とはどういう空間なんだろうか」と考えるようになりました。この要素が心地いいとなったとき、やっぱり葉をつけている枝が揺れているってポイント高いなぁと。すみません、詩人みたいですけど。「極めて心地いい空間に植物はいるんや」って気づいたのは大きかったですね。

干潟そのときのお住まいの近くにそういう景色があったんですか?

三浦まったくです。東京での学生生活だったんですけど、コンクリートジャングルでした。


生えてくるのをみんなで祝おうぜ!(三浦)

三浦大学4年生になって、これからどうやって生きていこうかってなったとき、アスファルトの間からいろんな種類の草木が芽生えてたのを見て。社会に順応しなきゃいけないなぁとか、やること見つけなあかんなぁと思いながら夜の道を歩いてて、アスファルトからいろんなのが勝手に生えるってすごいなぁと思ったんです。


写真:三浦豊

 でもそれは、街に住んでいる人には生き物として認識されてない。夜中にパッと目覚めて冷蔵庫あけようとしたらゴキブリが横切ってキャーーッ!となるような、想定外の生き物だから、みんな寄り添うことなく抜くんですよ。街っていう空間はそうして維持されてると思うんですけど、それでも草木は勝手に出てくるんだと思うと荘厳なものに思えて。あのー、よっぽど暇だったんでしょうね(笑)。

干潟さまよえる青年だったわけですね(笑)。

三浦でもそのとき、世界中で緑が、森がなくなって困ってるんでしょ? と思いました。だったら生えてくるのをみんなで祝おうぜというか。なんか、笑えてきたんです。そこから、街中でも芽吹く草木に寄り添うということを考えはじめて、植物が自分の中でどんどん大きい存在になっていきました。


依りどころになる景色をもう一度取り戻したくって(干潟)

干潟私の実家は普通の日本家屋だったので、家自体がもじゃハウスだったわけではないんです。ただ、お庭がめちゃくちゃ広かったので、ソメイヨシノ、柿の木、紅葉、ざくろとか、いろんな木がぽこぽこぽこぽこ植わっていて、うちの家族は庭仕事をマメにするタイプじゃないのでぼーぼーで、犬も庭で走り回っていて。小学校から帰ったらおやつがわりに庭のくるみの木の実をでかい石で叩き割って食べる、っていう毎日を送っていて。私の部屋は桜が正面に見えて、それが当たり前だという生き方をしてました。


イラスト:干潟裕子

三浦うわー、めっちゃいいですね、羨ましいです。

干潟私も仕事で東京にいっていた時代があったんですけど、「緑をここに植えますよ」という図面を手元では描いているのに、働いている環境はコンクリートジャングルで。徹夜も多かったので、自宅には寝るためだけに帰っている感じで、ゆっくり過ごす時間もなかったですし、精神的にやられてしまいました。
 そういうときに、自分の依りどころになるような木や景色が近くにあったら、わたしはもっと仕事をがんばれたんじゃないのかなぁと悶々と考えると、結構しんどくなってきてしまって。それでその仕事は辞めたんですけど。依りどころになる景色をもう一度取り戻したくって、奮い立って独立に向いていったというのもあるんです。


26歳で日本をめぐる旅へ(三浦)

干潟『木のみかた』にはさらっと、「5年くらい旅に出た」と書かれているんですけど、そのきっかけは、植物を見ようということだったんですよね?

三浦植物というか自然ですね。大学を卒業してから、日本庭園を作る造園会社に就職して、いい庭って自然と人が一緒に作っていると感じました。だから自然を知らないといい庭は作れないし、とにかく自然を知りたいと思って日本をまわったんです。生えてる木の名前を全部覚えようというのと、心が惹かれる空間というのはどういう構成になっているのかとノートに書いてまとめたりしてました。

干潟おお、ノートに。すごい熱心ですね。

三浦でもそれは理由の一つにすぎなかったというか。26歳で旅に出るとか、完全に、誰がどう見てもドロップアウトじゃないですか。僕は弱い人間なので、それになんか意味を見出さないと行けなかったんです。けど、日本のこの自然を身体で知ることは今後大切になってくるぞ、というのは直感であったんですよね。

干潟それは、植物だけじゃなくて、土や気象とかも合わせて見られてたんですか?

三浦はい、そうです。全部。......全部見ようと思ってたんですけど、情報量があまりにも多くて、結局自分の好きな分野にいくんですよね、みんな。きのこ、草、天気、土とか。それで僕は最終的に、木や森に興味がいったということですね。

干潟どこがいちばんの思い出というか、目をつぶってパッと出てくる景色はどこですか?

三浦うーん、そこかよって感じなんですけど......下鴨神社(京都)は衝撃的でした。すぐそばで生まれ育ったんですけど、下鴨神社は、ただ当たり前に茂っている場所だったんです。でも、帰って来たら驚愕した。こんな森なかったぞと。心の底から感動したんです。下鴨神社は下鴨神社で変わってないと思うんですけど、僕の心が変わったんでしょうね。でも、下鴨神社はメタファーという感じです。世界は下鴨神社だらけだと思いました。


写真:三浦豊

(つづきます)

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三浦豊(みうら・ゆたか)
1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。 日本大学で建築を学んだ後、 庭師になるために京都へ帰郷。2年間の修行を経て、日本中を巡る長い旅に出た。 2010年より「森の案内人」として活動をはじめる。著書に『木のみかた 街を歩こう、森へ行こう』(ミシマ社)。
http://www.niwatomori.com


干潟裕子(ひがた・ゆうこ)
1979年 山口県生まれ。建築家/ランドスケープアーキテクト/二級建築士/一級造園施工管理技士。京都芸術短期大学ランドスケープデザインコース卒業後、造園コンサル勤務を経て、建築事務所へ転職。独学で二級建築士取得後、もじゃハウスに人生を捧げる決意を固める。
2012年 もじゃハウスプロダクツ開設
2013年 House"n"Landscape創刊
http://mojya-house.com/

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