スポーツ紙バカ一代

第4回 ジャーナリスト兼エンターティナーになろう

2009.08.05更新

「永ちゃん、永ちゃん!」

交互に両手を突き上げながら、ノドがブッ潰れるまで「永ちゃんコール」を連呼します。もちろん肩には「E・YAZAWA」と記されたビーチタオルを掛けながら。週末、わたしは仕事を離れ、茨城・ひたちなかで行われたロックフェスへと足を運びました。お目当てはズバリ、矢沢永吉です。

フェスはどこで観ようが自由。朝8時に開場後、すぐに中央前方のモッシュピットへと突撃します。本来ならすぐに満杯となる"特別リングサイド" が、わりといい塩梅で空いている。筋金入りの矢沢ファンと見られる白スーツにリーゼントの元・ツッパリ兄ちゃん(現在はどう見ても40代)にちょっとだけビビりながら、前へ前へと進みます。余裕で最前列付近に陣取れました。ひゃあ、これは近けえぞ。高ぶるテンション。開演まであと10分に迫りました。元ヤンキーの「気合の入った方々」が音頭をとります。

「それじゃあ、きょう一発目の永ちゃんコール、いくぜーッ!」

「オーッ!」

「永ちゃん、永ちゃん!」

敬愛するコラムニスト、故・ナンシー関さんは著書「信仰の現場」の中で、「矢沢ファンにとっては『いかにして矢沢さんに気分良く歌って頂くか』がライヴにおける最重要課題なのだ」といった意味のことを書かれていました。まさに、言い得て妙です。

これまで、武道館やサッカー場の後方でしか観ることができなかった永ちゃん。至近距離で体感する雄姿は想像を絶するほどに色っぽく、素敵でした。目がハートになりながら、夢心地のままその世界観を堪能した次第です。その後も曽我部恵一バンドに真心、エレカシ、ユニコーンと、我が青春を彩ってきた名曲の数々を味わいながら、泣き、笑う、忙しい一日。わずかの間、野球を忘れてリフレッシュしてきました。

「スポーツ新聞記者はジャーナリストであると同時に、エンターティナーでありたい」。常々、そう思っています。読んだ後、ついつい人に話したくなるようなひとネタを織り交ぜ、読者の皆さんに少しでも活力を与えられたら-。そのためには文章力はもちろんですが、本、映画、音楽、お笑いといった多ジャンルへの理解も求められると思います。

面白いものには、貪欲でありたい。だから仕事が休みの日は優れた作品、あるいは他業種の方々との会話を通じて、自らの感性にショックを与え続けたいと考えています。より深く「人間」を描けるようになるためにも-です。

一例を挙げましょう。あれは昨年8月のこと。わたしは甲子園取材班キャップとして、連日1ページあるいは見開き2ページの紙面構成を任されていました。大会期間中、いかに他紙よりエキサイティングな内容にできるか、一日一日が勝負です。

とはいえ毎日、プロ注目の怪物選手や、注目の話題校が出てくるわけじゃない。「きょうはどうやってアタマ(その紙面のトップ記事)を作ろうか?」。そんな時こそ、記者の発想力が問われます。

夏の甲子園大会では、プレーボールの2時間前に室内練習場で10分間、「試合前取材」の時間が認められています。これから戦いに赴くナインのナマの声を聞ける、またとないチャンスです。9日目のこの日、わたしは東東京代表の関東一を担当しました。強打者として知られる主将の広瀬君に話を聞きます。相手校やチーム状況に関する話を終え、残りまだ5分ある。ざっくばらんに雑談です。

「試合前とか、どんな音楽聴いているの?」

「ちょっと、渋いんですけど」

「エッ、教えてよ。誰かなあ?」

「矢沢永吉とか」

「マジで!? 高校3年生でしょ? 世代的にどうなのよ?」

「最高っスね」

矢沢の音楽との出会いから、どんな影響を受けたかまで、楽しく話してもらいました。「頑張ってね。幸運を祈るよ!」。さあ、いよいよプレーボール。そしたらいきなり広瀬君のバットが火を噴きます。おお、これは原稿になるなあ。灼熱の太陽光線が降り注ぐ中、アルプススタンドで取材する後輩に電話します。「暑い中、お疲れさん。すまんが、親御さんを探し出してくれ。永ちゃんを好きになったのは、お父さんの影響らしいんだ。極上のエピソード、頼むぞ」。

翌日の紙面。バットを振り抜く広瀬君と、マイクスタンドを握りしめる矢沢永吉の写真が並ぶ中、大きな見出しが躍りました。

「愛読書は『成りあがり』 YAZAWAの魂持つ主将」

「広瀬弾で関東一23年ぶり16強ヨロシク」

「2安打3打点 止まらないHa~Ha」

できたッ!って感じです。止めどなく汗がしたたり落ちる中、朝7時から夜9時までのぶっ通し14時間を、甲子園ネット裏の記者席で過ごすハードな日々。引退を決意した千代の富士のように、体力の限界を思い知らされますが、楽しい紙面を作り上げた瞬間だけは、疲労も吹っ飛びます。

書き手が楽しんで書かなくちゃ、読み手を楽しませることなんて、できない。過酷な我が身をたまには愚痴りたくもなりますが、それでもやはり、仕事は楽しくやりたいものです。何時の日か、エンターティナーになれる日を夢見て、ね。

【参考】

08年8月11日のスポーツ報知・東京本社版より。結局、こんな記事になりました。参考までにどうぞご一読下さい。広瀬選手とご家族の皆様方には炎天下の中、取材に応じて頂いたこと、厚く御礼申し上げます。

◇第90回全国高校野球選手権 第9日(8月10日・甲子園)

関東一(東東京)が、鳴門工(徳島)を5―2で下し、23年ぶりに3回戦進出を決めた。歌手・矢沢永吉を尊敬する主将の広瀬公秀右翼手(3年)が中越え2ランを含む2安打3打点と活躍した。

マイクスタンドをブン回す永ちゃんのように、思い切り振り抜いた。1点リードの4回2死一塁。広瀬のバットが低めの直球をとらえた。時間よ止まれ-。浜風に揺られた打球が、バックスクリーン右で弾む。高校通算20号となる2ランだ。武道館ライブの大観衆にも負けないどよめきの中、ダイヤモンドを一周した。

「東京から多くのファンが駆けつけてくれたんで、盛り上がってほしかった」。コメントにも大物感が漂う。初回は1死二塁から右前に先制タイムリー。右翼の守備では4回2死一、二塁、ゴロをはじく失策で2者の生還を許したが、直後に2ランを放って帳消しした。4打数2安打3打点の活躍に、笑顔がはじけた。

尊敬するスーパースターがいる。ロック界の大御所、矢沢永吉だ。「いつか自分も大きな人間になりたい」。年末には日本武道館でのライブへ出かけ "E・YAZAWA"のタオルを頭上にブン投げる。矢沢の半生を描いたベストセラー「成りあがり」が一番の愛読書だ。大阪入りする新幹線では、漫画版「成りあがり」を熟読。広島から夜汽車で上京し、夢をつかんだ永ちゃんと自らを重ねた。宿舎では試合前「止まらないHa~Ha」などの激しいロックンロール、寝る前はバラードを聴く。胸に"矢沢魂"を秘め甲子園を戦う。

矢沢は教えてくれた。「苦労の分、ハピネスも大きい」。自慢の俊足も、子供のころの訓練の成果だ。マンションの12階に住んでいた4歳のころから、父・常年さん(50)はエレベーターを使わせず、歩いて上り下りするよう命じた。「ずっと毎日続けてました」。いたずらをすると3往復させられた。 50メートル走5秒9はチーム一。初回には盗塁を決めた。強いハートも備わった。

「自分の結果じゃない。チームが勝つことが自分の結果です」と表情を引き締めたキャプテン。シャウト全開で真夏の聖地を、トラベリン・バスが激走する。(加藤 弘士)

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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