スポーツ紙バカ一代

第5回 働く男

2009.08.12更新

懐かしいメロディーを耳にするだけで、それを聴いていた頃の情景を鮮やかなほどに思い出せる。タイムマシンに乗り込んだように、あの頃の仲間に、自分に再会できてしまう。不思議です。

「仕事できる男ぉ それが彼女の好みッ」

聞き覚えのあるイントロだ。オーッ、「働く男」じゃん! 奥田民生の声が響いた瞬間、鳥肌が立ちました。先週に引き続き、またもや茨城・ひたちなかで行われたロックフェスでの出来事です。再結成されたユニコーンが、3日間のトリを務めます。

この曲がリリースされたのは90年夏。僕は高校1年生でした。まさか19年も経って、我が故郷にてステージを体感できることになるとは、当時の自分には想像もつかなかった。

「働く男」はフジテレビ系のバラエティー番組「夢で逢えたら」の主題歌でした。土曜日は23時から「ねるとん紅鯨団」「夢逢え」をハシゴして、大いに笑って幸せな気持ちで1週間を終えるのが、16歳だった頃のルーティーンだった。思えば、毎週土曜日の夜は必ず家にいたものです。母親が果物を剥いてお茶を出してくれる。そして僕はテレビの民生を観ながら、一緒に歌っていた。

「いつもぉ僕はひとりきりぃ~ 風呂に入って寝るだけぇ~」

自由になりたかった。東京に出たかった。独り暮らしがしたかった。そのためにはどうしたらいい? 大学に行けばいい。でも、勉強は嫌いだ。いいじゃん、まだ高校1年なんだから。時間はたっぷりある。将来? ワカンナイ。夢は愛読する「週刊プロレス」で働くこと。でも、編集後記を読んでると、家に帰れないほど忙しいらしい。そんなのは嫌だ。もっと普通でいい。幸せな結婚をして、幸せな家庭を築きたい。その中でやりがいのある仕事に、巡り会えれば-。

35歳の夏。土曜日の23時に家でテレビを観られる機会は、まずありません。ナイターの取材を終え、原稿を書き終わり、球場を出る選手やコーチ陣から談話を取るために駐車場で「出待ち」している時間帯です。自宅は都内に部屋を借りていますが、1か月の半分はチームの本拠地・仙台で過ごします。札幌、大阪、福岡と遠征も多い。ほとんどがホテル暮らしで、家には帰れない。

「楽天の番記者って、楽しいでしょう? ノムさんのボヤキをいつもナマで聴けるんだろうし、毎日ネット裏で試合を観られるんでしょ?」。友人からのそんな問いには、そりゃあ胸を張って、イエスと答えます。でも、何事にも光があれば陰がある。

海からの風が吹く。ひたちなかの夜空に民生の声が響く中、内なる16歳の僕が訊いてきます。

「今、カトちゃん、自由?」

「どうかな。自由なんだか、不自由なんだか」

「長渕も『STAY DREAM』で歌ってるじゃん。『尽きせぬ自由は、がんじがらめの不自由さの中にある』ってさ」

「お前、いいこと言うな。つくづく思うよ。人生ってのは、なかなか思い通りにいかない。仕事は好きだけど、好きになり過ぎちゃったのかもしれない。公私にうまくバランスを取れるほど、大人になれていなかった。肝心なところが、まだ十代のままなんだ。16歳のお前と、何ら変わっていない。成長できなかったよ」

クレアラシルを塗りたぐったニキビ面の自分と対話しているうちに、ステージはアンコールを迎えました。民生が12弦ギターで奏でてくれた曲は「すばらしい日々」でした。

フェスのフィナーレを彩る花火が打ち上がります。久しぶりに16歳の僕と再会できたのも、ポップ・ミュージックがかけてくれた「魔法」のおかげでしょうか。自らの人生がユニコーンの描く世界観へと、追いついた。そんなことに気づいた夜でした。

さあ、きょうも仕事だ。働く男よ、お互いに頑張ろうぜ。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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