スポーツ紙バカ一代

第6回 ライバルはグーグル

2009.08.19更新

いきなり、ちょっと自慢です。辛口で知られる楽天・野村克也監督から、たまに褒められます。

「アンタ、よくいろんなことを知っているな。雑学王や」

試合前の楽天ベンチでは、打撃練習を見守る知将を番記者が囲み、その卓越した野球理論に耳を傾けます。といっても、話題は野球だけには止まりません。マイケル・ジャクソンの急死やのりピーの逃亡劇といった芸能ネタから社会問題、政治経済にまで多岐に及びます。

74歳ながら好奇心旺盛な指揮官の発する素朴な疑問には、担当記者だったら即座に答えたいところ。冒頭のように感心されると、「褒められて育つタイプ」の小生にとっては気分がいいものです。

子供の頃から「物知り」に憧れていました。小学生時代のアイドルは日本テレビ「アメリカ横断ウルトラクイズ」に勝ち抜く、クイズ王のお兄さん方だった。「早押し」に強く、眼鏡をかけていて、出身大学は早稲田。オレもいつの日か、こんな知性あふれる大人になりたい-。そんな思いを胸に、学研まんがの「ひみつシリーズ」を片っ端から読み漁っていました。今でもスポーツ新聞はもちろんのこと、一般紙や夕刊紙、「文春」「新潮」「現代」といった週刊誌にも必ず目を通します。病的なまでの「活字依存症」です。

頭のなかに詰め込んだ知識を瞬時に取り出し、アウトプットする-。わたしが35年かけて会得した技術は、もはや今の時代では意味のないスキルになってしまったと言っていいでしょう。インターネットに接続すれば、ウィキペディアがすべてを教えてくれます。

だから思う。そんな時代に、スポーツ新聞記者はどんな仕事をすべきか。わたしは大学を出たばかりの新入社員に、こんな話をしています。

「グーグルしても引っかからない事柄を、自らの手で世の中に放つ。ネット社会で、俺達の存在意義はこれしかない」と。

最も有効なのは、スクープでしょう。世間がまだ知らない、驚くようなニュースへとたどり着き、裏を取る。そして書く。わたしの経験でいえば、ニュースの内容が大きければ大きいほど、「まだ書いて欲しくない」という取材対象との間には軋轢が生じます。でも、書き逃げはできません。

掲載前夜。書きたい記者の熱意を伝え、取材対象に「明日出します」と仁義を切ったにもかかわらず、新聞が宅配された翌朝5時過ぎには怒りの電話で飛び起こされたこともあります。人格が崩壊するくらい、骨の折れる作業です。そんな時には泣きながら、ミスチルの「TOMORROW NEVER KNOWS」を口ずさむようにしている。

「今より前に進むためには 争いを避けて通れない そんな風にして世界は きょうも周り続けてる」

胸が張り裂けそうな痛みと同時に、自らのスクープで世の中が動く瞬間を体感できる。快感でもあります。

職業は新聞記者。新しく聞いたことを記す者、です。あらゆる知識がネットから瞬時に取り出せる便利な世の中だからこそ、求められるのは原点回帰なのでしょう。汗と涙を流しながらちょこまか動き回って、オンリーワンの情報をつかむ。勇気を振り絞って、書く。

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。まさに高村光太郎の心境です。ライバルはグーグル。いくら検索してもどこにも出てこない新たな情報を、果敢に世間へと放っていきたいものです。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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