スポーツ紙バカ一代

第13回 私が「野村解任」と書かない理由

2009.10.19更新

熱い。まさに祝祭の空間です。10月17日、楽天イーグルスがソフトバンクに連勝し、クライマックスシリーズ第1ステージを突破しました。試合直後、番記者は取材のため、グラウンドへと足を踏み入れられます。ベンチへと引き揚げるナインと野村監督が織りなすハイタッチを至近距離で目撃し、360度が歓喜に沸くスタジアムを体感できる。この日の熱気は、異様でした。誰もが総立ちで、強いイヌワシ軍団を祝福しています。

スポーツ新聞の野球記者は通常、10月になると業務が担当チームによって真っ二つに分かれます。AクラスのチームはCS、日本シリーズに向けたグラウンド内の取材。Bクラスのチームは監督、コーチ人事など主にグラウンド外の取材です。ところが現在の楽天はその両方が1面を飾っている。激震と快進撃が共存する、前代未聞の状況となっています。

中でも注目は今季限りで退任する野村監督の一挙手一投足でしょう。スポーツ新聞だけでなく、ワイドショーや週刊誌は老将対フロントの「お家騒動」を追っています。

2月の久米島キャンプから知将に密着し、野村野球に心酔しているわたしとしては、「野村監督には1年でも長くユニホームを着て欲しい」と個人的には思います。ただ、情緒に流されるあまり、問題の本質を見誤ってはいけないとも肝に銘じています。

野村監督とフロント。両者の見解の食い違いを一番最初に感じたのは、今年1月11日のスタッフ会議のことでした。今季初のチーム行事を終えた指揮官の言葉に、わたしはメモをとりながら一瞬、耳を疑いました。

「今年からまた新たな3年を目指して、頑張ります」

あれれ? 野村監督は3年契約の最終年となる08年を終え、09年は1年限りの契約だったはずです。でも、勝負の世界で生きてきた知将はこの時点で「Aクラス入りできれば、続投できる」との認識でいたのでしょう。なぜなら、それが野球界の「常識」だからです。

フロント側は違いました。1年契約はあくまで、1年契約。ビジネスの世界ではこれもまた、「常識」です。

ある球団首脳は2月の久米島キャンプ時に「ウチの状況はロッテと変わっていない」と話してくれました。ロッテは昨年12月、バレンタイン監督へ「契約は今季限り」を決定事項として通達しています。

楽天も同様なのに、フロントはそこまで厳しく徹底できなかった。野村監督によれば一部の球団首脳は「優勝して続投しましょうよ」とシーズン中に再三、老将へと語りかけたといいます。知将のモチベーションやファンの反応を考慮したためなのでしょうが、毅然とした対応を取れなかったことが、現在の混乱を招いています。

「『勝てば官軍』もこの球団では、死語だな」

野村監督は不満げに言います。浮かび上がるのは野球界とビジネス界の「常識」の違い。野球一筋、74歳の老将にとって、誤算だったに違いありません。

フロントからすれば昨年8月に「成績にかかわらず、契約は1年限り」とハッキリ通達して、監督側も了承してくれている。決定事項を遂行しているだけなのに、何故こんなに「ヒールキャラ」とならねばならないのか? これもまた、誤算だったでしょう。

「解任」を辞書で引くと「任務を解くこと。職務をやめさせること」とあります。両者が納得済みで交わした契約が満了になって、野村監督はユニホームを脱ぐ。やはりこれは「解任」ではなく、「退任」と表記するべきです。だからわたしは「野村解任」とは、書きません。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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