スポーツ紙バカ一代

第14回 さらば、野村イーグルス

2009.10.26更新

黒いスーツに身を包んだその表情は、驚くほどに穏やかでした。

10月25日、新千歳空港で羽田行きの航空機へと乗り込む楽天・野村克也監督を見送りました。前日24日には日本ハムとのクライマックスシリーズ・第2ステージ第4戦に敗れ、43年間慣れ親しんだプロ野球のユニホームに別れを告げました。

我々スポーツ新聞の記者は宿舎に午前1時半まで張り込み、ススキノの街へと食事に出て行った野村監督の帰りを待ってましたが、老将は現れなかった。昨夜は、遅かったみたいですね。

「朝まではいかなかったけど、『ご苦労さん会』だよ。2時を超えていたかなあ」

あらためて今の心境は、いかがですか?

「いやいや。だいぶ前に(退任)通告を受けていたからね。心の整理は、できていますよ」。勝負の世界に生きる人間特有の厳しさが消え、柔和な顔つきで語ってくれました。

「しばらく、お前らともお別れだな。また、どっかでな」

「監督、お疲れさまでした。ありがとうございました」

全日空機が大空へと飛び立つ。心にポッカリと穴が空いてしまった自分に、気づきました。

思い出したのは「ドラえもん」6巻「さようならドラえもん」のエンディングで、ガランとした部屋に一人佇むのび太くんの姿。まさにあの心境です。もう2度と試合前や試合後に、ベンチであのボヤキを聞くことはない。鋭い舌鋒に翻弄され、限られた時間で膨大な行数の原稿へと取り組むことも、なくなるでしょう。

わたしたち番記者も、野村克也から卒業しなきゃいけない。そして、待っていたのは寂しいばかりの現実です。

その日の夕方から仙台市内のホテルで、球団フロントから「野村イーグルス」を支えたコーチ陣に続々と、来季の契約を更新しないことが通達されました。球団史上初のAクラス入りを成し遂げながら、1軍コーチは9人中、6人が「クビ」となる異常事態です。

野村監督は若いコーチ陣に厳しく接し、徹底的にしごいでいました。「練習はコーチが主役。試合は選手が主役」が口癖。試合後の会見ではミスを犯した選手以上に、指導できなかったコーチ陣へと非難が及ぶことも多々ありました。その反骨心からデータ分析を繰り返し、戦術を研究して、熱意ある指導でチームを2位へと押し上げた。陰の功労者は、彼らです。

連敗時にも笑顔を絶やさず、大きな声で指導に当たっていた、愛すべきコーチ陣の顔が浮かびます。とどのつまりは前広島監督のマーティー・ブラウン氏のもと、チームから野村カラーを一掃する、ということなのでしょう。

空虚な心を、秋風が吹き抜ける。さらば、野村イーグルス。夢は終わった。ドリーム・イズ・オーヴァー。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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