スポーツ紙バカ一代

第15回 アイム・チョーノ!

2009.11.02更新

10月29日、グランドプリンス新高輪でドラフト会議が行われました。花巻東の最速155キロ左腕・菊池雄星には何球団が競合するのか? 交渉権を得るのは、どの球団か? 会場に隣接されたプレスセンターでは、誰もが固唾を呑んで運命の瞬間を待ちわびていました。

「読売、長野久義。外野手、ホンダ。24歳」

巨人は菊池争奪戦に加わることなく、予定通りにアマ球界NO1外野手のホンダ・長野(ちょうの)久義外野手を単独で1位指名しました。画面にその名が映ると、わたしは長野にこっそりメールを打ちました。「おめでとう。これからも応援するよ」。

長野は日大4年だった3年前のドラフトで、日本ハムからの4巡目指名を拒否。巨人入りを熱望し、社会人野球のホンダに入社しました。そして迎えた昨年のドラフトでも、ロッテからの2位指名を、熟考を重ねた上で拒否します。「3浪」してまで意中の球団であった巨人への思いを貫き、3度目のドラフトでようやく夢を成就させました。

昨年の今頃のことを、思い出します。ロッテからは2位指名でしたが、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円の最高条件が提示されました。入団か、拒否か。迷わない方がおかしいでしょう。社会人チームに「残留」したとしても、いつ大ケガをするか分からないからです。

「加藤さん、こんばんは~」。そのころ、よく長野から電話がかかってきました。多分悩んでいるだろうから、あえて野球の話はしませんでした。バカ話をして「どんな決断をしようと、オレは長野の気持ちを尊重するから」とだけ、伝えるようにしていました。

決断の瞬間は、急に訪れました。忘れもしない12月3日のことです。わたしは休日で、沢田研二の還暦を祝うコンサート「ジュリー祭」を東京ドームにて鑑賞中でした。ライヴは長丁場。1、2部の休憩中、携帯の着信を確認すると「長野久義」と出ている。コールバックすると、衝撃の言葉が待っていました。

「ロッテ入り、拒否することに決めました。加藤さんにはひとこと、伝えたいと思って」

「随分、悩んだろう。苦しい決断だったね。後悔、してない?」

「してません。世間から見たら、バカに思われるかもしれない。でも、自分は筋を通して生きていきたいんです」

「一報くれて、どうもありがとう」

20時30分を過ぎ、コンサートはいよいよフィナーレ。そんな中、わたしは東京ドームを飛び出し、タクシーに乗り込みました。「勝手にしやがれ」も「カサブランカダンディ」も「時の過ぎゆくままに」も、聴くことができなかった。でも、長野の思いを明日の紙面に載せなくちゃならない。天王洲アイルの会社へと急ぎ、原稿を打ちました。

翌日以降、ネット上に書き込まれるロッテファンからの罵詈雑言は、目を覆うばかりでした。完全にヒールです。でも、長野はロッテが嫌で、拒否したわけじゃない。

走攻守3拍子揃った右打ちの即戦力外野手は、どの球団だって欲しい。昨年のドラフト直前、「1位で指名したい」と水面下で打診してきた球団は、複数ありました。でも、長野側は「思いは変わりません」と事前に指名回避を願い出ています。ここで長野が「ロッテの2位」ですんなり入団してしまったら、どうなるでしょうか。

恐らく1位指名を打診してきた球団のスカウトは「調査不足」ということで、チーム内で処分の対象になってしまうことでしょう。義理人情に厚い長野は、周囲に与える影響も考えた上で、「初心を貫く」「筋を通す」ことを選択したのです。プレースタイルとは真逆な、不器用すぎる決断でした。

今年、アマチュアの世界で長野は大活躍しました。社会人最高峰を決める都市対抗大会では打率5割7分9厘をマーク。首位打者に輝き、チームを日本一に導いた。歓喜の輪に加わった瞬間、大粒の涙が頬を伝いました。あふれ出る気持ちを、どうすることもできなかったのでしょう。

ラミレス、亀井、谷、松本・・・。巨人の外野手競争は熾烈です。プロ入り後も、長野は厳しいサバイバル戦に挑まねばなりません。

それでも、長野には明るく笑顔で立ち向かって欲しい。東京ドームの打席に立ち、暴れまくるその時が、今から楽しみです。活躍するたび、わたしは思い返すことでしょう。

「ここビッグエッグで、ジュリーの『勝手にしやがれ』や『時の過ぎゆくままに』が、やっぱり聴きたかったなあ」と。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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