スポーツ紙バカ一代

第19回 首位打者は「焼肉奉行」

2009.12.07更新

シーズンオフはスポーツ新聞記者にとって人事異動、担当替えの季節です。わたしも1年間慣れ親しんだ杜の都に別れを告げ、今月からアマチュア野球担当キャップに復帰することになりました。野村監督のラストイヤーを担当し、球団創設史上初のクライマックスシリーズ進出を見届けられたことは、記者冥利に尽きる喜びでした。

Kスタ宮城の記者席から、もう鉄平選手の芸術的な打棒を見られないのかと思うと、たまらなく寂しい気持ちになります。大胆かつシャープに振り抜くそのバッティングにはたびたび、いち記者としての職務を忘れて、感動させられたものです。

今季は開幕から不動の3番としてチームをリード。打率3割2分7厘とパ・リーグの首位打者に輝き、外野手のベストナインを初受賞しました。楽天の快進撃を象徴するバットマンと評してもいいでしょう。

そんな鉄平選手には今シーズン、何度も驚かされました。何よりもその豊富な練習量に、です。月曜日は試合がないため野手は休養日となることが多いのですが、そんな休日にも球場へ足を運び、打撃練習を繰り返していました。

あれは8月の神戸だったでしょうか。真夏の灼熱地獄で汗だくになりながら休日返上練習を敢行する鉄平選手に「何でそんなに練習するの?」と訊いたことがあります。返ってきた答えは、シンプルなものでした。

「休みたくないんです。1日休むと、体が軽くなってしまいますんで」

「ぼやき」で今年の流行語大賞を受賞した辛口の野村克也前監督が「チームで一番練習している。努力する才能に恵まれている」と絶賛したほど。このオフも主力級で唯一、若手主体の秋季キャンプに参加しています。2軍選手に交じり練習に打ち込むその姿を見て、就任間もないブラウン新監督も「何で君がここにいるんだ!?」と仰天していました。「練習はウソをつかない」。高校球児の合言葉を、そのバットで実証しています。

秋季キャンプもまっただ中の11月、鉄平選手を食事に誘いました。今季は何度も弊紙の紙面に登場いただいたため、焼肉でも食べながら、1年間の労をねぎらいたかった。そこでわたしが体験したのは、さらなるサプライズでした。なんとテーブルに届けられた肉を、天才打者が1枚1枚、丁寧に焼いてくれるのです。

「鉄平くん、大丈夫だよ。自分でできるから。それより今夜は『鉄平くん、1年間おつかれさま』という会合なんだから、ゆっくりしていってよ」

わたしがそう言っても、鉄平選手は穏やかな笑みをたたえながら、最後まで「焼肉奉行」であり続けました。どれほど一流に上り詰めても、周囲への気配りを忘れない27歳の素顔を、垣間見た気がしました。

首位打者の焼いてくれた肉は、最高に美味しかった。勤勉と謙譲の精神。鉄平選手のたたずまいを見ていると、現代人が忘れてしまった古き良き日本人の姿が浮かんできます。まさに、サムライです。もうネット裏のプレスルームからその打撃を見ることはなくなりますが、千葉マリンや西武ドームの外野席から、ビール片手に大きな声援を送っていきたいと思います。打席に入る瞬間、みんなで一緒に叫びましょう。大きい声で「せーの、テ~ッペ~イ」とね。

【追伸】仙台の楽天ファンの皆さんにはこの1年間、たいへんお世話になりました。夏場には球場前特設ステージでのトークショー「ワシワシイーグルス」に試合前、準レギュラーで出演させていただき、直接ファンの声とふれあう機会に恵まれました。温かい(?)ヤジにどれだけ励まされたことか。今後は未来のイーグルスを担う金の卵たちを、地道に取材していきたいと思います。どうもありがとうございました。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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