スポーツ紙バカ一代

第32回 交流戦の思い出

2010.06.14更新

6年目を迎えるプロ野球の交流戦は13日、オリックスが初優勝を飾りました。これで05年の導入以来、6年連続でパ・リーグのチームが優勝したことになります。

番記者にとっても交流戦は楽しみなものです。わたしは昨年、楽天イーグルスの担当記者をしていましたが、普段訪れない甲子園球場のネット裏から、360度、阪神ファンで埋まった客席を見つめた瞬間、身震いするほどの感動を覚えました。「やっぱ、甲子園はすげえ」

揺れる黄色いメガホン。夜空に舞う七色のジェット風船。同じ甲子園でも、高校野球の時とは別人のような表情を見せてくれます。

さて、交流戦中は番記者によって、もう一つの「交流戦」が行われているのをご存じでしょうか。楽天・阪神戦(Kスタ宮城)がナイターで行われた昨年6月2日のこと。午前中の仙台市民球場で、楽天・野村番VS阪神・真弓番の野球対決が繰り広げられたのです。

野球担当記者には元高校球児が多い。甲子園出場メンバーはもちろん、東京六大学野球で神宮のマウンドを踏んだ猛者も結構います。普段はプレスルームから華やかな激闘を見つめているだけですが、実際やるとなると、みんな目の色が変わる。微妙なライバル関係にある報道陣も、この時ばかりはノーサイド。一致団結して、闘うのみです。

担当球団によって、野次にも色が出ます。野村番はボスの影響から、野球理論には精通している。みんな「野村ノート」を熟読しているので、異様にマニアックな言葉が飛び交います。とはいえ、平日の午前中からいい大人が草野球で真剣勝負するというのも、マヌケなものです。

野村番は、打ち勝ちました。楽天担当が8-5で勝利です。わたしも「高校3年夏の大阪府大会16強サウスポー」という経歴をもつサンスポの虎番記者さんを相手に3打数3安打2打点、2打席連続タイムリーと活躍しました。ちょっとだけ、ヒットを量産する鉄平選手の気分。誇らしげに「仕事場」のKスタ宮城へと移動します。

午後2時30分。野村監督が一塁側のベンチに現れました。

「カントク、阪神に勝ちました」

「ホンマか。ようやったな!」

試合の詳細をレポートしたところ、野村監督はその結果にことのほか、喜んでくれました。根っからの負けず嫌い。番記者にもタイガースには負けて欲しくなかったのでしょう。虎番は真弓監督に、「お前ら、何しとん!」と怒られたようです。敵将のハートに火をつけちゃったのか、その夜、楽天は阪神に逆転負けしました。

きのう、ノムさんが公の場に復帰しました。昼間は新潟でのトークショー、夜はTBSのスポーツニュースに生出演といきなりの「ダブルヘッダー」。少しだけやせて、ノドも本調子じゃなさそう。でも、重病説もあっただけに、元気な姿を見られただけでも一安心です。

野村監督が番記者の勝利に歓喜したあの日から、わずか376日しか経っていない。それでも、当たり前だったノムさんのユニホーム姿は現在、スカパー!のCMでしか見られなくなってしまった。時の流れは、あまりに速すぎる。かつてスポーツニュースの「名物コーナー」だった試合後のボヤキ会見を思い出すたび、わたしは少しだけセンチメンタルになって、こんな流行歌を口ずさんでしまいます。

「何でもないようなことが、幸せだったと思う」

(写真は「虎番記者を打ち崩す筆者」)

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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