スポーツ紙バカ一代

第33回 号外狂想曲

2010.06.28更新

「ブォォォォォ~」

報知新聞社5階編集局のフロアでは一日中、テレビから流れるブブゼラの音が響いています。サッカーW杯、岡田ジャパンの快進撃には、野球バカの小生も胸が熱くなってきます。24日未明のデンマーク戦は、大和魂が震えるひとときでした。

試合後のワイドショーでは、日本代表サポーターが渋谷のスクランブル交差点へと繰り出し、早朝から大騒ぎする光景が映し出されていました。自然と、8年前の苦い思い出がフラッシュバックしてきます。そしてわたしは思わず、こうつぶやくのでした。

「あの夜は、こんなもんじゃなかった」

02年6月9日を忘れることができません。日韓共催となったW杯で、日本はロシアを1-0で下し、悲願のW杯初勝利を挙げました。当時、出版局の広告担当だったわたしは、号外配布要員として会社にスタンバイしていました。試合終了のホイッスルが鳴り響くとともに、社内のスピーカーからアナウンスが流れます。「日本初勝利。号外を発行します」。歴史的瞬間。誰もが興奮していました。

配布シフト表を見て、わたしは一瞬、たじろぎました。「出版局加藤・渋谷スクランブル交差点」とあったからです。よりによって最も、人通りの激しいところじゃないか。まあいいか。秒殺で無くなっちゃうだろうし、考え方によったら、楽かもしれないな-。

今思えば、何と甘い考えだったのでしょう。到着した渋谷ハチ公前は、修羅場でした。サムライブルーのユニホームに身を包んだ大勢の若者たちが応援歌を歌い、大声を張り上げ、踊り狂っています。梱包された数百部の号外は、手元にある。しかし、これを配布したら、混乱を助長するだけだ。どうしよう?

その時です。めざといサポーターが、報知の腕章をつけた私に気づきました。足元にはビニールに包まれた号外があります。

「オーイ、報知が号外持ってきたぞ!」

「報知ッ、チャチャチャ、報知ッ、チャチャチャ」

なぜか手拍子で迎えられました。そして暴徒と化した彼らは、驚くべき行動に出たのです。

「胴上げだ!」

わたしを取り囲むや否や、謎の胴上げが始まりました。サポーターの手によって、高らかに宙を舞う小生の肉体。知らないうちにビニールも破かれ、号外もまた、渋谷の夜空へと放り投げられました。鮮やかな紙面が、綺麗だ。幕末の「ええじゃないか」を思わせる狂乱の事態です。

「日本歴史的1勝 稲本2戦連続ゴール」の見出しがついた号外は、一瞬にして配布完了となりました。これで終われば笑い話なのですが、問題はここからです。サポーターから解放されたわたしを囲んだのは、機動隊員でした。

「我々が今、なぜこの場にいるのか? 新聞社の人間なら分かるはずだ。それなのに貴様は、混乱を拡大させた。ゆっくりと、話を聞かせてもらう」

エッ!? オレ、連行されちゃうの? ちょっと待ってください。わたしはそのお、騒ぎを拡げるつもりは、なかったんです。それなのに気づいたら、胴上げされていて-。

平謝り。土下座。警視庁の皆様には何度も頭を下げ、這う這うの体で渋谷を後にしました。伊勢神宮のお札のように一度は空に舞い、路上に落ちた号外を、拾いながら。

あのサポーターたち、今ではいいオッサンになっているんじゃないかな。朝のワイドショーを見ながら「オレも8年前は、若かったよな・・・」なんて、ネクタイを締めたりしているんだろうか。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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