スポーツ紙バカ一代

第35回 魔曲「ハイサイおじさん」とは?

2010.08.30更新

「甲子園には、魔物が棲んでいる」

そんな言葉をご存じでしょうか。春夏の甲子園大会では時折、信じられないようなプレーが起きます。まさかのエラーや暴投で、劇的に勝負が決してしまう。全国大会の代表チームですから、実力的には各地区のトップクラスが集結するのに、どうして? そうだ、きっと「魔物」の仕業に違いない-。

そして高校野球の聖地には「魔物」に加え、「魔曲」も存在すると言われます。アルプススタンドから流れるブラスバンドの曲に、マウンド上の絶対的エースがペースを乱され、本来の投球ができなくなってしまう。抑えられない。連打を食らう。気づいたら、スコアボードには予想できなかった失点が点灯していた。いったい、なぜ?

今夏の甲子園では興南が沖縄勢として初の夏制覇を果たしました。その裏側には魔曲「ハイサイおじさん」の存在があった-というのが15日間、甲子園で取材し続けたわたしの実感です。

「ハイサイおじさん」は言わずと知れた喜納昌吉さんの代表曲。志村けんさんが替え歌「変なおじさん」を歌ったことでも知られています。甲子園では沖縄勢が得点圏に走者を進めた際に演奏される「チャンステーマ」としても有名です。この曲が聖地に鳴り響くと、沖縄アルプス席は狂喜乱舞。指笛を鳴らし、盛り上がります。

この夏、「ハイサイおじさん」が一時、甲子園から消えました。7月、沖縄の地元紙に「酒飲みのおじさんをからかう原曲の歌詞が、高校野球にそぐわない」との声が掲載され、演奏を自粛していたのです。教育的見地でいうなら、もはや定番と化した山本リンダの「狙いうち」はどうなるんだという話ですが・・・。

ところが準決勝で、突然の復活を告げます。相手は兵庫の名門・報徳学園。本来ならアウェーであるはずの興南は、4回まで0-5の劣勢でした。琉球旋風、もはやこれまでか。ところが「ハイサイおじさん」のテーマとともに、猛反撃が始まった。5点差を大逆転で決勝進出です。決勝打を放った真栄平は言います。「ハイサイおじさん、めっちゃ聞こえました」

東海大相模との決勝戦。興南アルプスは、ジラします。序盤、チャンスになっても「ハイサイおじさん」を鳴らさない。そして両軍無得点で迎えた4回、興南の攻撃。「ハイサイおじさん」が始まった。その瞬間、伊礼が先制打を放ちます。打者一巡で7点のビッグイニング。「おおおお!」。報道陣も「魔曲」の効果に驚嘆です。打たれた東海大相模のエース・一二三投手は試合後、こう語ってくれました。「興南のあの応援に、のみ込まれたところがあった」

喜納さんはかつて、こんな話をしていたそうです。「『ハイサイおじさん』のモデルは、もともと校長先生にまでなった優秀な人だったのだが、沖縄の戦乱の中でアル中になり、狂ってしまった実在の人物である」

沖縄の美しい海を見るたび「なぜ、こんな素晴らしい場所で、あんな悲惨な戦争が起きてしまったのだろうか」との思いを強くします。「戦争だけは、ダメだ」とも。平和な日本の象徴ともいうべき夏の甲子園大会に、「ハイサイおじさん」が鳴り響く。軽快なリズムに乗って、沖縄の若人が全力プレーで、全国の人々に感動を呼び込む。

決勝のゲームセット後、4万7000人の大観衆から、自然発生的にウェーブが起きました。閉会式が始まるまで、3周半。敵も味方も関係なく、誰もが両軍の選手たちを、讃えていました。「ハイサイおじさん」も天国から逞しい興南ナインに、拍手を送ったことでしょう。

閉会式後、聖地を吹き抜ける風に、少しだけ秋の気配を感じました。「魔物」も来春まで、冬眠でしょうか。夏が、終わっていきます。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

バックナンバー