スポーツ紙バカ一代

第39回 斎藤佑樹が「持っている」もうひとつのもの

2010.11.08更新

プレーボール直後の13時10分。3万6000席、すべてのチケットが完売しました。大学野球の担当記者を長い間、務めていますが、こんな経験は初めてです。思わずデスクに電話しました。

「きょうの神宮は、どうかしてます。早慶戦、3ページ下さい。総力特集しましょう。勝負させて下さい」

「11・3」をわたしは一生、忘れないでしょう。50年ぶりとなる早慶両校による優勝決定戦。早朝から神宮の杜には異様な熱気が渦巻いていました。午前9時までに約5000人が長蛇の列をなし、予定より1時間早く開門。キー局は看板女子アナを投入し、歴史的大一番の舞台裏をレポートしています。

主役はもちろん、早大の第100代主将・斎藤佑樹。運命のドラフト会議では4球団が競合の末、日本ハムが交渉権を獲得したばかりです。負ければ「WASEDA」のユニホームに別れを告げることになる、劇的な一戦。空を見上げると、雲ひとつない快晴でした。天もまた、この大一番を楽しみにしているとしか思えません。

超満員札止めと化したスタジアムは、回を追うごとに異常なまでの興奮に包まれていきました。斎藤がたった一本のヒットも許さないまま、8回に突入していったのです。1死後、バックの守乱が相次ぎ、死球を挟んで5連打を食らい5失点。守護神・大石達也にバトンを託しましたが、ここ一番での快投に、あらためて斎藤佑樹という若者の持つ「凄み」を体感しました。

サプライズは、試合後のヒーローインタビューにも待っていました。「最後に、ひとつだけ言わせて下さい」。大観衆がどよめいた後、夕暮れの秋空に向かって、語ったのです。

「本当にいろんな人から『斎藤は何か持っている』と言われてきました」

「きょう、何を持っているのか、確信しました」

「それは、仲間です」

激闘の熱が冷めない人工芝の上で、わたしは天を仰ぎ、次の瞬間に思わず独り言をつぶやきました。「一面が、できた」

さて、わたしが心を揺さぶられたのは、それから先のことでした。斎藤は、こう続けたのです。

「慶応大学という素晴らしいライバルがいて、ここまで成長できたと思います」

三塁側の慶大応援席から、地鳴りのような大歓声が巻き起こりました。これが、斎藤の凄さなんだよな。若いのに、気配り、配慮ができる。しかも、自然に。オレが大学生の頃、そんなところにまで、思いを致せたっけかなあ-。

その翌日。早稲田の大隈会館で行われたドラフト指名に関する記者会見でも、斎藤は冒頭、何よりも先にこんな話をしてくれました。

「ヤクルトとロッテが、早くからドラフト1位でいくと誠意を示して頂いた。ソフトバンクも含めて、感謝しています」

北海道からは地元の報道陣が大挙押し寄せ、会見場はいつもとは違う空気に支配されていました。それでもいきなり、ご縁がなかった球団に対する謝意を口にする。この男の視野の広さには、ただただ、感心するばかりです。

斎藤佑樹の「持っている」もうひとつのもの、それは「見る」力。マウンド上では、打者心理を読み取る洞察力として現れていると思います。

プロの世界では、うなりを上げる剛速球は必要ない。柔よく剛を制す、投球術に優れたピッチャーとして、強打者を手玉にとって欲しい。そして、ヒーローインタビューで、ファンを魅了する一言が飛び出してくれたら-。

わたしはその「佑姿」を眺めながら、今後もこう言って微笑むことでしょう。

「一面が、できた」

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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