スポーツ紙バカ一代

第41回 師走、武道館。この素晴らしき世界。

2010.12.06更新

九段下の改札を出て、2番出口を駆け上がる時の高揚感は、20年前とまったく変わりません。目指すは日本武道館。12月5日、「ミシマ社」の三島邦弘社長らと一緒に「プロレスリング・ノア」の生観戦に出かけました。夕闇に浮かぶ武道館のてっぺんには、通称「玉ねぎ」と呼ばれる擬宝珠が輝いています。「あれこそ爆風スランプが唄った『玉ねぎ』か!」。そう胸をときめかせ、はじめて武道館を訪れたのは90年12月7日、高校1年のことでした。

キンコンカンコーン。15時30分、終業を告げるチャイムが1年4組の教室に響きます。こんな時に限って、教師は授業を少しだけ延長する。その「少し」が、とても長く感じる。何を焦っているのかって? これから、オレたちはトーキョーへ行くんだ。武道館だぜ、武道館。「起立、礼」。その瞬間、カール・ルイスのような速さで、わたしたち同級生3人は学校を飛び出し、水戸駅へと走りました。常磐線の鈍行に乗り込むと、「全日本プロレス'90世界最強タッグ決定リーグ戦決勝戦」のチケットを、まじまじと見つめます。

特急に乗るお金なんてない。上野までは2時間。遠い。でも、遠ければ遠いほど、僕らのプロレスに対する愛情が測られるような気がする。そうだ、プロレスの話をしよう。話題ならいくらでもある。武藤と三沢、どっちが強い? UWFはホントに解散しちゃうのか? 大仁田のデスマッチは今後、どうエスカレートするんだろう? 4人掛けのボックス席。3人の熱いトークに、ひとりで座っていた地味な女子高生は、気まずそうに席を変えました。

武道館に到着したのは、試合開始直前。凄まじい人の流れに、ここがトーキョーであることを実感します。そして目の肥えたファンが放つ、ウィットの効いた野次にも。リング上と観客席が、一体となってエクスタシーを生み出す。わたしもノドを枯らし、声援を送ります。優勝チームはテリー・ゴディ&スティーブ・ウイリアムスのタッグに決まった。表彰式が終わり、アリーナには山下達郎の「クリスマス・イヴ」が流れる。「きっと君は来ない・・・」。胸がキュンとして、泣けてきます。そういやあの頃、オレは誰が好きだったんだろう。

20年という歳月は、長いようで短くて、短いようで長い。あの夜、わたしを熱狂へと誘ったテリー・ゴディもスティーブ・ウイリアムスもジャンボ鶴田も三沢光晴もジャイアント馬場もラッシャー木村もジョー樋口も、みんな天国に召されてしまいました。

でもね。平成22年師走、プロレスは確かに、あった。リング上の激闘は、20年前とまったくひけをとらない。いや、増すばかりだ。「カウント2・9」ではね返す猛者に、アリーナの観衆は床を踏みならし、称賛を送る。もうダメだ。いや、まだまだだ。これからだ。人間の可能性が無限であることを、自らの肉体をもって証明していくレスラー達。こんなに若い力が台頭していたとは、知らなかった。メインイベントの「GHCヘビー級選手権」では王者・杉浦貴が挑戦者・森嶋猛を相手に熱戦の末、7度目の防衛を果たし、ファンを興奮へと導きました。

席を立つ瞬間、流れた曲はルイ・アームストロングの「WHAT A WONDERFUL WORLD」(この素晴らしき世界)。時代がどんなスピードで変わろうとも、師走の日本武道館には、男達の情熱がほとばしる「素晴らしき世界」がある。そうだ、20年後の12月も、武道館に来るとしよう。2030年、オレは56歳。九段下の2番出口を駆け上がるドキドキと、リング上の熱い風景が、どうか永遠でありますように。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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