スポーツ紙バカ一代

第42回 一生懸命に勝る美しさはなし

2010.12.27更新

12月9日の午前9時、新千歳行きの全日空機が羽田を飛び立ちました。「3A」のシートに座っているのは日本ハムのドラフト1位、早大・斎藤佑樹投手。午後には札幌ドームで入団会見が予定されています。北海道へ行くのは、小学校の頃の家族旅行以来とのこと。わたしたち報道陣も同便に「ハコ乗り」し、持ってる男へと密着取材します。

わたしの席から通路を挟んだ前方には、担当の日本ハム・大渕スカウトディレクターが腰を下ろしました。「今ね、この本を読んでいるんですよ。面白くて」。そう言って見せてくれたのは中野翠さん著の文春新書『斎藤佑樹くんと日本人』。大渕さんが順調にページを進めた82分後、球界の宝を乗せたジェットは北の大地へと到着します。集結した地元メディアとファンから、大歓声が沸き上がりました。

氷点下2・6度。雪が舞う札幌ドームには午前4時から行列ができ、球団の想定した5000人を遙かに超える8000人ものファンが、斎藤を一目見ようと集まっていました。平日の午後であることを考えると、驚異的な数字です。午後3時、入団会見がスタート。観衆の期待を裏切ることなく、斎藤は絶妙なトークで沸かせます。

「北海道のファンの皆さん、こんにちは。東京都の早稲田大学から来た投手です。2006年夏の甲子園決勝で駒大苫小牧との試合がありました。北海道民の方々は、もしかしたら嫌な気持ちだったんじゃないかと・・・」

早実のエースとしてマー君と投げ合い、駒苫の夏3連覇を阻止した因縁を自ら語ります。温かい笑い声が場内にこだまする。「つかみはOK」です。

質疑応答では「きょう、北海道のどんな景色が印象に残りましたか?」との質問が飛びました。

「何もない、自然が見えました。新鮮な気持ちというよりは、懐かしい感じ。ホッとしました」

素直な感想に、またもや場内が沸きます。北海道の風景を「何もない」と表現する才覚。森進一の代表曲で74年に日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」で「襟裳の春は何もない春です」と作詞した岡本おさみ氏にも通じる言語センスを感じます。斎藤自身、元々は群馬の大自然で生まれ育った野生児。「懐かしい感じ」との一言には、縁があった新天地へと芽生えつつある愛情がうかがい知れました。

会見を一字一句メモっていると、斎藤の口からある言葉が何度も繰り返されていることに気づきました。

「ダルビッシュ投手を参考にしながら、一生懸命頑張りたい」「一生懸命やるだけです。開幕一軍を目指したい」「起用法は先発、中継ぎ、抑え、何でもいい。使っていただけるなら、一生懸命頑張りたい」

「一生懸命」。思えば斎藤佑樹の2010年は、ただ全力で走り抜けた年でした。すべてが順風満帆だったわけではないけれど、番記者として目撃したこの男は、練習でも試合でも、いつも一生懸命に映りました。試合後のインタビューでは、よくノドが枯れていた。試合中にマウンドを降りた後も、ベンチから大声でナインを鼓舞し、闘っていたからです。

背番号18のお披露目に、入団会見のセレモニーは盛り上がりました。その後、札幌ドームのバックステージで、この日最後の囲み取材が行われようとしていました。

「おい、カトー。確かあの時も、ここで取材やったよなあ」

夕刊フジ・塚沢記者の何気ない一言に、懐かしさがこみ上げてきました。

「あれから一年ですね。『敗戦監督に話があんのか? 就職お願いします。明日から浪人です』」

わたしの似てないモノマネに、他紙の記者から失笑が漏れます。昨秋のパ・リーグCS第2ステージ第4戦。野村克也監督のラストタクトを見届け、最後のボヤキを聞いたのと、偶然にも同じ場所でした。

そういえば、担当記者だった頃、野村監督の口からこんな話をよく聞きました。

「『一生懸命に勝る美しさはなし』ってな。全力で頑張っているヤツは、使ってみたくなるんだよ」

代名詞の「ID野球」とは一見正反対に見える、浪花節の世界観。しかし、その融合こそが野村野球の本質でした。数多くある「野村語録」の中でも、好きな言葉です。

斎藤佑樹という若者が美しく見える理由は、泥くさいまでの一生懸命さにあるのかもしれません。激動の2010年が終わり、プロという新たなステージでの一年が始まります。選ばれし者の恍惚と不安、このふたつ我にあり。でも、どんな困難があろうと、大丈夫。全力で、ひたむきに課題へと向き合える強さを、この男は携えているから。

(写真は09年10月24日、札幌ドームでのパ・リーグCS第2ステージ第4戦後に野村監督を取材する筆者(左から2番目。左は夕刊フジ・塚沢記者)

【参考】
佑に新庄の4倍・8000人!背番18初披露(2010/12/10 スポーツ報知)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

バックナンバー