スポーツ紙バカ一代

第44回 わたしが菊池雄星に惹かれる理由

2011.02.28更新

「『ロッキー』を好きな男に、悪いヤツはいない」

「ミシマガジン」編集長の大越裕が、十年ぐらい前に飲み屋で放った何気ない一言を、不思議と覚えています。今では見る影もありませんが、彼は水戸一高ボクシング部の主将でした。酔っぱらうと、リングに上がる恍惚と不安を、誇らしげに語ってくれます。

この2月、宮崎・南郷の地で大越の言葉を思い出す機会がありました。声の主は西武の2年目サウスポー・菊池雄星投手。キャンプ中、宿舎ではどんな時間を過ごしているの? -との問いかけに、こう答えてくれたのです。

「DVDで『ロッキー』を見てますよ。1作目から『ロッキー・ザ・ファイナル』まで、全部持っています」

ダハハハハ! 雄星くん、十代なのに、シブイね。苦笑するわたしに、力説しました。

「いいものは、何年たってもいいんですよ!」

僕も同感だよ。雄星の口から「ロッキー」のフレーズが飛び出すだなんて、ウキウキしてきた。どんなにパンチで打ちのめされても、はい上がる男の物語。もしかしたら、自らの姿をスタローンに、重ね合わせているのだろうか?

09年夏の甲子園。躍動する花巻東・菊池雄星を、わたしは楽天イーグルスの番記者として注目していました。ナイターの場合、野村克也監督は午後になるとベンチに現れ、打撃練習を見守るのですが、雄星が登板する試合では、なかなか出てきません。甲子園をテレビ観戦しているからです。ゆっくり姿を見せると、老将は話してくれたものです。

「花巻東の菊池、ええなあ。左であれだけの球が放れる。天から授かった才能や。東北の選手なんだから、指名しなくちゃダメだよ」

進路は国内プロか、メジャーか。十代の決断は世間の関心を集めました。同年のドラフトでは楽天を含む6球団が競合した結果、西武への入団が決まります。

でも、ルーキーイヤーは、雄星にとって不本意なシーズンでした。即戦力として期待されながら、キャンプで左肩痛を発症。1軍昇格はなく、ケガとの闘いで一年が終わってしまいました。勝負の2年目。雄星はキャンプイン直前、こんな話をしてくれました。

「去年はマスコミにも、いい顔を見せようと思ってましたが、たくさん恥をかいたので、今年はカッコ良く見せる必要はない。ゼロからのスタート。ガムシャラに行きたい」

ふと、自分が同じ年齢だった頃に、思いを馳せます。大学進学のために上京したまでは良かったけど、理想と現実の狭間を彷徨っていた。思い通りにならない自分にいらだち、地に足が着かず、いつも何かを求めていた。探していた。男の子の十九、二十歳(ハタチ)って、誰もがそんな時期なんじゃないかな。

2月20日、南郷スタジアムでの紅白戦に雄星が先発登板しました。実戦マウンドは292日ぶり。まだまだフォームも粗削りで、2回4失点と褒められた内容じゃなかったけど、本人の表情は明るかった。

「打たれたのは力不足。悔しい。でも結果は別として、楽しむことができた。10カ月ぶりに試合で放った喜びの方が大きい」

登板直前の緊張感やワクワク感が、懐かしかったと言います。闘うことに、飢えていたのでしょう。

「『ロッキー』のなかでも、雄星くんのお気に入りは何作目なの?」

「うーん。『3』かなあ。『アイ・オブ・ザ・タイガー』を朝に聴くと、パーンと脳が覚せいするんです」

挫折や困難と真っ正面から向き合い、闘う姿にこそ、人々は心を動かされる。獰猛な野獣の目で、ハングリーに復活へとひた走る"雄姿"を、追いかけていきたいと思いました。

そんなわけで、結論。やっぱり『ロッキー』を好きな男に、悪いヤツはいないわ。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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