スポーツ紙バカ一代

第45回 斎藤佑樹はクソ真面目に見なくてはならない

2011.03.28更新

「パーン!」。キャッチャーミットの破裂音が、札幌ドームの場内に響き渡ります。ネット裏の記者席からは両ベンチの野次はもちろん、ちょっとした指示まで聞き取ることができる。あるいは遠い位置にいる外野手のかけ声も。東日本大震災の影響で、プロ野球の開幕は延期になりました。現在は「実戦形式の合同練習」と銘打ち、無観客での練習試合が行われています。異例のノーピープルマッチです。

3月27日、日曜日の午後という集客には絶好のシチュエーションにもかかわらず、日本ハム・ロッテ戦は報道陣以外、スタンドには誰もいないなかでのプレーボールとなりました。日本ハムの先発投手は斎藤佑樹。高校2年の頃から取材をしていますが、夏の甲子園決勝をはじめ大観衆の中での力投が誰よりも似合う男が、静寂のなかで右腕を振り続けるというのは、とても不思議な光景でした。

プロ初先発となった21日、札幌ドームでのオープン戦・阪神戦では3回13安打9失点と大炎上。プロの洗礼を浴びました。それから中5日でのマウンド。真価が問われるなかで、斎藤は冷静なマウンドさばきでロッテ打線を抑えていきます。強打者は痛烈な打球を放ちますが、外野フェンスの直前でフライアウトと化したり、間違いなくスタンドインという弾道がフェンス直撃の二塁打になったりしました。

札幌ドームは広い。さらに今年から導入された統一球は「飛ばないボール」とも呼ばれ、投手有利の傾向がある。強烈な打球には一瞬、ヒヤリとさせられますが、同時にこんなことも考えます。「まさか斎藤は、広い球場や飛ばないボールも計算済みで、あわや本塁打というフライを『打たせている』のでは?」。したたかなアイツなら、やりかねない。結局、味方のエラー絡みで失点しますが、5回を投げて2安打1失点(自責点0)の好投を見せました。

それにしても、です。ボロクソに打たれた新人投手が、わずか中5日で心身を立て直し、昨年の日本一球団を相手に快投を演じられるものなのでしょうか?

試合後、吉井投手コーチに訊いてみました。「うーん、なんて言えばいいのかなあ」。しばしの熟考後、こんな話をしてくれました。

「新聞記者だって、文章書く時に『きょうはうまく書けないなあ』という日って、ない? ピッチングもね、そういうものなんだよ。日によって、いい時も悪い時も、あるんだよね」

なるほど。そして好不調の波がなく、常に優れたパフォーマンスができる人間が「エース」と呼ばれるのは、何も球界に限ったことではない。どこの会社でも、そうかもしれない。

吉井コーチは続けました。「斎藤は、強いよね。ローテーションで頑張れるだけのメンタルを持っている。でも、まだ一番いい時にはなっていないよ。のびしろはいっぱいある。大学の頃は2試合しか見ていないけど、居間で寝っ転がってテレビ見ながら『かかってこいよ』みたいな感じだったじゃん」。確かに早大では、神宮のマウンドから上級生の打者を「上から目線」で洞察し、手玉にとっていた姿を、わたしは何度も見てきました。

日本ハムのユニホームに袖を通して、まだ2カ月しか経っていない。わたしも含め、なぜ人々は、斎藤佑樹の評価をそんなに焦って確定しようとするのか。失敗と成功。様々な経験を積んで、大人のアスリートへと変貌を遂げていくのは、まさにこれからだというのに。

斎藤佑樹は150キロを連発する投手ではない。魔球のような変化球で空振りを奪いまくる投手でもない。難しい。わかりにくい。いつも難解な数式を解くような緊張感を持って、マウンドを見つめています。だから思う。斎藤佑樹は、真面目に見てはいけない。クソ真面目に見なくてはならないと。

球界はこれまでにない危機と混乱のなかで、シーズンが幕を開けます。野球の神様に選ばれた男は、どんな新しい風を吹かせてくれるのでしょうか。番記者として144試合、じっくりと時間をかけて、"解"を探していきたいと思っています。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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