スポーツ紙バカ一代

第47回 「斎藤佑樹、左脇腹痛で登録抹消」に思う

2011.05.09更新

日本ハム・斎藤佑樹投手が5月8日のソフトバンク戦(札幌ドーム)で左脇腹痛を訴え、1回10球を投げたのみで緊急降板しました。先発し、初回を三者凡退で抑えたものの、実は試合前のブルペンでの最後の1球で、痛みを覚えていたという。きょう9日には札幌市内の病院で精密検査を受けます。脇腹は投手にとって負傷すると長引く、厄介な箇所でもある。検査の結果が気になります。

斎藤は開幕からローテーション投手として2勝0敗、防御率3.00の好成績を収めてきました。「好事魔多し」とは言いますが、まさかこんなところに落とし穴があったとは。なぜなら、早大時代の斎藤は4年間、ケガによる春秋リーグ戦の離脱が一度もなかったからです。梨田監督は試合後、出場登録選手の抹消を明言しました。斎藤も人の子。テレビゲームで操るキャラクターとは違う、生身の人間だったんだと今更ながら再認識しました。

プロ野球の世界ではよく「無事是名馬」と言われます。逆にいえば、どんな一流の投手でも、ケガとは無縁にシーズンを完走するのは想像以上に難しい。これまでに担当した大物投手が登板前、痛み止めを飲んでマウンドに上がっている姿を、何度も見てきました。幸い、現在の日本ハムファイターズには他に先発候補が何人もいる。シーズンは始まったばかり。やはりここは無理をせず、完治を優先させるのが賢明な判断と言えるでしょう。

しばらく斎藤は闘いの第一線から退くことになりますが、左脇腹の治療とともにトライして欲しいことがあります。それは心のメンテナンスです。

今年1月の入寮から新人合同自主トレ、名護キャンプ、そしてオープン戦からペナント開幕に至るまで、斎藤はただただ、喧騒のなかを走り続けてきました。わたしの仕事は彼に密着し、他紙に負けない取材でオンリーワンの原稿を書くこと。とはいえ、度を超した報道攻勢の渦中に身を投じるたびに、「もうちょっと斎藤をひとりのアスリートとして、穏やかに見てあげられないものか」と自問自答してきたことも事実です。ライバル紙との競争は激しく、目先の紙面に全力投球あるのみ-が実情でしたが。

少しだけ立ち止まる。自分の「今」を確かめる。目指すべき理想像について、もう一度ゆっくりと思いを巡らす。戦線離脱はとても残念なことですが、代わりに得るものも多いはずです。ピンチはチャンス。プロの野球人としてもうワンステップ上にいくための、有意義な雌伏の時になることを願うばかりです。

順風満帆なだけのヒーローなんて、面白くも何ともない。逆境のなかで何かをつかみ、さらに逞しさを増した斎藤佑樹の復帰を、わたしは楽しみに待ちたいと思っています。山あり谷ありの大河ドラマはまだ、序章に過ぎないのですから。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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