スポーツ紙バカ一代

第50回 縁

2011.08.08更新

野球担当になりたての頃、先輩記者からよく言われたことがあります。「選手の結婚をスクープできる記者になれ」。正式発表前に単独で書けるようになれるぐらい、交友関係を広げ、取材対象に食い込め-との教えです。

そんなこともあって、初めて野球選手の結婚を独占で報じられた時のことは、とてもよく覚えています。昨季14勝。今季もダルビッシュやマー君を凌駕し、12球団の防御率トップに君臨する(8月7日現在)日本ハム・武田勝投手です。今から6年前の05年12月8日、世田谷区役所に婚姻届を提出するという情報をキャッチしました。

「タケちゃん、今からそっちへ、行っていい?」。聞けば夜には、両家が一同に会して、晩ご飯をともにするという。夕方、ちょっとだけ時間をとってもらい、新百合ヶ丘の駅前にある珈琲店で、奥様も交えて取材に応じて頂きました。ツーショット写真も、笑顔でパチリ。お二人の幸せオーラを存分に浴び、こっちまでウキウキしながら新宿駅南口の漫画喫茶へと移動。パソコンの電源を確保し、原稿を書いたものです。

当時、タケちゃんは野村克也さんが監督を務める社会人野球・シダックスからドラフト4巡目で日本ハムに指名されたばかり。札幌での入団発表を目前に控えた時期でした。ルーキーとはいえ、すでに27歳。「1年目から結果を残さないと」と自らに言い聞かせるように話していたものです。中継ぎで実績を重ね、先発のチャンスを手にすると首脳陣の期待に見事応えた。階段を着実に上り、左のエースとして頭角を現していきます。

当時はアマチュア野球担当として、年間数百人もの逸材を取材していましたが、武田勝投手の存在感はオンリーワンなものがありました。マウンドでも感情を乱すことなく、落ち着き払って打者を料理していく。ポーカーフェースの裏に、静かなる闘志が燃えさかっているのがうかがい知れます。そうそう。カラオケに行くと、歌が上手い。新宿のシダックスで山根康広さんの「GET ALONG TOGETHER」を聴かせてくれたっけなあ。

そういやあの年の秋、神宮第二球場で見た早稲田実業の2年生投手が、何だか気になってしょうがなかった。伸びのあるストレートと切れ味鋭いスライダー。端正な顔つきと澄んだ瞳も印象に残った。話を聞くと、生きた言葉が放たれて、惹かれるものがあった。

あの日の結婚スクープを最後に、わたしはここ5年、武田勝の記事を執筆する機会がありませんでした。でも、早稲田実業のピッチャー-そう、斎藤佑樹が日本ハムに入団したことで、チームに帯同するようになり、タケちゃんの原稿も書かせてもらっている。そこに不思議な「縁」を感じます。

タケちゃんは最近、斎藤の兄貴分としても、公私ともに面倒を見てあげているみたいです。「面白いヤツだよ。騒がれている分、いろいろ大変なのもわかるからね。少しでもいい環境で、チームのために頑張ってくれたら、それが一番だと思うし」

身長176センチと決して恵まれた体格ではないけれど、技を磨き、生き馬の目を抜くプロの世界で成功を収めた10歳年上の先輩の存在は、斎藤にとっても生きたお手本になるだろうと確信します。チームメートになったのも、何かの縁。たくさんのことを、学んで欲しいです。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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