スポーツ紙バカ一代

第51回 「怪物・田中将大」は如何にして「マー君」となりしか

2011.09.12更新

9月の仙台には不似合いな熱気が、スタジアムには充満していました。気温31度。強力な太陽光線に、肌が焼かれていくのが自覚できます。

9月10日、クリネックススタジアム宮城は、異様な興奮に包まれていました。06年夏の甲子園決勝、早実-駒大苫小牧で延長15回引き分け再試合の死闘を演じた日本ハム・斎藤佑樹と、楽天・田中将大が、5年ぶりに投げ合うからです。チケットはすでにソールドアウト。再戦が半年前、未曾有の震災に襲われた杜の都で行われるというのも、何か運命的なものを感じます。

プレスルームからマウンドを見つめる。ふたりが「再会」を果たすマウンドには、あの夏と同じように陽炎が燃えていた。熱すぎるステージ。神様もまた、このドリームマッチを楽しみにしていたとしか思えない。田中と斎藤が歩んできた5年間の歳月に想いを致すだけで、なんだか涙があふれてきそうだ。

恥ずかしながら、わたしはスポーツマスコミにおいて、田中将大と斎藤佑樹、ふたりの18番を担当したことのある唯一の記者であると自負しています(ついでに言えば、桑田真澄という背番号18の権化のようなピッチャーの番記者も務めました)。それなりに、彼らの性格や個性も、皮膚感覚で把握しているつもりでいます。

この一戦を前に、よくこんな意見を耳にしました。

「マー君と佑ちゃんとでは、格が違う。高卒ですぐプロに入り、強打者と対戦して楽天のエース格に上り詰めたマー君と、早稲田で学生相手に投げていた佑ちゃんとでは、もはや比較にならないほどの差が生まれている。馬鹿なマスゴミは『運命のライバル』と騒ぎ立てているが、マー君からしてみれば、今更『佑ちゃんが-』と訊かれるのは、迷惑な話だろう」

正論かもしれません。ヤフーニュースの「みんなの感想」にそんな論調で書き込めば、大多数の人が「私もそう思う」にクリックしてくれて、満足げな気持ちになれることでしょう。でも、それだけじゃつまらなくないか。

わたしの見たては、こうです。

「今日のマー君が国民的アスリートとして強い人気を誇っているのは、本人の圧倒的な実力もさることながら、斎藤佑樹の存在があったからこそ、でもある」

05年、夏の甲子園で駒大苫小牧の2年生だった田中を取材しています。決勝戦のラストボールは150キロのストレート。剛腕で駒苫を夏連覇に導きました。その秋にはすでに、世代最強のエースとして「来年のドラフトは田中に何球団が競合するか-が見所になるだろう」と話題になっていたものです。明治神宮大会では予想通り、日本一に。全国の高校球児から、目標とされる存在になっていきます。

もし、06年夏の甲子園で斎藤擁する早実との死闘がなかったら? 駒大苫小牧が優勝しても、しなくても、田中はドラフトの目玉として複数球団の競合の末、プロ入りし、現在のような成功を収めていたと思います。

でも、でもです。「マー君」という愛らしいニックネームを付与され、野球界を超えて広くお茶の間から認知されるスーパースターになれたのは、やはりあの夏、斎藤佑樹との熱投があったからこそ、でしょう。

「マー君」との愛称が定着した経緯は、こんな感じでした。

激闘の余韻冷めやらぬ06年8月27日、米国での日米親善高校野球に向けて、大阪で選抜メンバーによる合宿が行われます。練習後、田中と斎藤が会見に臨みました。

報道陣の「お互い、何と呼び合っているの?」との質問に斎藤は「マー君です」と答えます。元々は、早実監督で選抜チームの指揮を執る和泉実監督の発案。チームの和を深めるため、選手同士が名字で呼び合うのを禁止、名前で呼ぶことを徹底したのです。以前から、駒苫の4番だった本間篤史(現JR北海道)が「マー君」と呼んでいたこともあって、高校日本代表のチーム内で浸透していきます。

照れ笑いを浮かべるふたりのツーショットは翌日の紙面はもちろん、ニュースやワイドショーを席巻。そんなわけで「怪物」「剛腕」と呼ばれ続けていた田中は、広く全国的に「マー君」になったのでした。

マウンド上での鬼神のようなたたずまいと対照的に、時折見せる優しい笑顔が田中将大の魅力ですが、「マー君」って呼び名は電通や博報堂のクリエイティブがいくら思案を重ねても生み出せないぐらいの、的を射たいいニックネームだなあとしみじみ思います。

そんなわけで、結論。やっぱり田中と斎藤って、不思議な運命で結ばれているとしか思えないんだよなあ。


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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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