スポーツ紙バカ一代

第54回 ノムさんから森福へ。受け継がれる「HAWKS 19」の系譜

2011.12.12更新

プロ野球はオフで契約更改のまっただ中。ソフトバンクの森福允彦(まさひこ)投手は3日、4600万円増の年俸7000万円でサインしました。今季は中継ぎの軸としてシーズン60試合に登板し、4勝2敗1セーブで防御率は1.13。日本シリーズ第4戦では無死満塁のピンチを無失点に封じ、「森福の11球」と称される大活躍を見せました。グラウンドのなかには銭が落ちている。球界は一攫千金、ジャパニーズ・ドリームが見られる世界だと、しみじみ思います。

一流の仲間入りをした森福ですが、まだあどけない18歳だった時のことを、よく覚えています。愛知・豊川高では甲子園出場なし。ドラフト指名もなく、卒業後は野村克也さんが監督を務めていた社会人野球・シダックスに入社します。卒業から間もない05年3月10日、神宮球場での社会人東京大会、強豪・NTT東日本戦を前に、ノムさんは言いました。

「きょうはリトルリーグのピッチャーを先発させるよ。まあ、奇襲やな。相手が左打者を5人並べているから」

身長173センチ、投手としては小柄な高卒ルーキー左腕を、準々決勝のマウンドに送り出したのです。怖いものなしの18歳は、知将の期待に応えます。切れ味鋭いスライダーを武器に、5回を投げて1安打無失点。毎回の5三振を奪う堂々のデビューでした。試合後には勝っても負けてもぼやく老将が、この日ばかりは上機嫌でした。

「小さな大投手だよ。気持ちの強い子。それにしても野球って、本当にわからないね」

シダックス野球部は個性豊かな野武士が集う、魅力的なチームでした。とはいえ、野村監督の持論は「人間的成長なくして、技術的進歩なし」。高卒で入社した森福も、礼儀や社会常識、野球人としての意識を先輩から叩き込まれることになります。

あれから7年。今季、日本ハムに帯同して訪れた福岡ヤフードームの通路で、森福と再会しました。「すっかり、立派な投手になっちゃったね」という私に、サウスポーはこう応えてくれました。「あの時、シダックスで厳しく教えてもらったから、今の自分があるんですよ」。現在25歳になった森福がソフトバンクの若手投手に、敢えて苦言を呈することもあると聞きます。

シダックス野球部は06年秋、解散しました。それでも「魂」は死んでいません。OBたちがプロの世界で、アマ球界で、いや一般社会においても、かつての教えを継承していることでしょう。

思えば、森福の背番号は19。「HAWKSの19」といえば、かつて南海ホークスで、野村克也さんが背負った由緒ある番号です。楽天監督時代、試合前の挨拶に訪れる森福に、知将はこう話していました。「生意気な番号やな。10年早いわ」

ノムさんは今年の日本シリーズを見て、教え子の成長を誰よりも嬉しく思っているに違いありません。「人間的成長なくして、技術的進歩なし」。そんな自らの考えを具現化した左腕が、栄光の背番号を受け継いでいるのですから。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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