スポーツ紙バカ一代

第61回 おめでとう。大石達也、プロ初勝利

2012.07.09更新

ようやく、なのかもしれません。MAX155キロを誇った早稲田の守護神。2010年ドラフトで6球団が競合した剛腕、西武・大石達也が7月8日、プロ初勝利を挙げました。

西武ドームでの楽天戦。2点ビハインドの5回1死一塁から2番手でリリーフ。1回2/3を1安打無失点に抑えると、打線が6回に5点を奪い、逆転勝ち。2年目、登板11試合で念願の1勝をマークして、初のお立ち台にも上がりました。

わたしは大石の初勝利が決まった瞬間、札幌ドームで日本ハム・ソフトバンク戦の取材中でした。日本ハムが負け、楽天が勝てば2位と3位が入れ替わる-というのを大義名分に、ヤフーの1球速報で西武ドームの模様をチェックしていました。アマ野球記者時代から思い入れのある、たっちゃんに勝って欲しかったからです。

「大石ってすげえなあ!」。神宮の杜が斎藤佑樹フィーバーに沸いた2007年6月の全日本大学野球選手権、強いボールを投げる早稲田の1年生に目を奪われました。同年秋の明治神宮大会では巨人スカウトのスピードガンで152キロをマーク。ルーキーとして快投を続ける斎藤とともに、その名は野球ファンへと、徐々に浸透していきました。

4年時にはドラフトの目玉として注目される中、奮投を続け、秋には明治神宮大会優勝に貢献。6球団競合の末、西武入りします。しかしルーキーイヤーは、大石にとって大きな試練になりました。右肩痛もあって、投球フォームに狂いが生じてしまいます。即戦力としての働きを期待された男が、まさかの大不振に陥ったのでした。1年目は1軍登板ゼロ。この頃の心境を、かつてわたしにこう明かしてくれました。

「寮の部屋で寝る前、投球フォームについて『こうすれば良くなるんじゃないか』と、ひらめく時とかあったんです。それじゃあ、実際にシャドーピッチングしてみようって。そしたら『よし、これで大丈夫だ』と前向きな気持ちで眠れたりして。で、翌日の練習でやってみると全然、思い通りにいかない。その繰り返しでした」

「正直、野球が嫌になりましたね。そう思うのは野球人生の中で、初めての経験でした」


両親、恩師、仲間、西武の首脳陣、そしてチームメート。いろんな人の支えがあったからこそ、地獄からはい上がることが出来たのだろうと思います。

札幌ドームを出て、新千歳空港へと向かう列車の中で、大石にメールしました。今頃、いろんなところから連絡が殺到して、携帯の電池もなくなっちゃうんじゃないかなと思いを馳せながら。意外にもすぐに、返事が来ました。

「ありがとうございます」

短いけれども、とてもうれしいヒトコトでした。たっちゃん、プロ初勝利おめでとう。でも喜びに浸れるのは、一瞬だよね。明日からまたお互い、頑張っていきましょう。2勝目を挙げた時の原稿は、ぜひともオレに書かせてくれよ。

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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