スポーツ紙バカ一代

第67回 キレてなかった、長州小力さんとの「縁」

2013.01.21更新

一発屋って素晴らしいと、心から思います。

世間的に一発屋は、「瞬間的にヒットしたが、長続きしなかった」という、やや蔑んだ意味で語られているかもしれません。わたしはそんな意見に、断じて異議を唱えたい。

だってさ、オレの人生で、あるいはアナタの人生で、物凄くまぶし過ぎるスポットライトが当てられた時って、ある? わたしを含めたほとんどの人が、一発も当てることなく、「ゼロ発屋」のまま、ささやかな生涯を終えていく。この世に生を受け、一瞬でも強い輝きを放つ瞬間があっただなんて、男の夢だ。ただただ、羨ましい。

長州小力さんと出会ったのは、2001年秋のことだったと記憶しています。「長州力の物まねをしながら、パラパラを踊る芸人がいるんだよ」。友人の漫才師・東京ペールワンのユンボ安藤さんと居酒屋で飲んでいたら、小力さんの話題になりました。何とマニアックな。それはぜひ、見てみたい。

わたしはすでに新聞社に勤務していましたが、当時は広告営業の仕事をしていて、休日もカレンダー通り。週末や祝日を利用して、都内のライヴハウスを借り、ロックとお笑いの融合イヴェント「フォーク大名」を主宰していました。

小力さんを一目見ようと、旗揚げ間もないお笑いプロレス団体「西口プロレス」へと観戦に出掛けたら、これがまた面白かった。小力さん、ボクのイヴェントに、出演いただけませんか。提示したギャラはここに記すのも恥ずかしいぐらい、雀の涙ほど。それでも返事はOKでした。あのパラパラを、ぜひオレの仲間達に、見て欲しいんだ-。

2002年1月。渋谷の今はなきライヴハウス「GIG-ANTIC」は超満員に膨れあがっていました。長州力のテーマ「パワーホール」が鳴り響く。オーディエンスの合間を抜け、入場してきたのは長州とは程遠い、身長160センチの小ぶりな男だ。パラパラのスタンダードに乗って、革命戦士を思わせるムーブを随所に挟みながら、ステージは進行していく。

プロレスを知らない女性客が「小力、サイコーッ!」って叫んでいた。「一般受けは難しいかな」というわたしの読みは、甘かった。すでに小力さんの放つ熱量は、カルトスターのそれを、超えていました。

「売れるかも」-。そんな予感は、現実になります。あの夜から3年後。小力さんは大ブレークを果たします。時代の寵児となり、テレビ画面で見ない日はなくなっていました。日に日にメタボになっていくお腹には、「これで食うんだ」というプロの矜持が感じられました。

そんな2005年の暮れ。小力さんとひょんなところで「再会」しました。わたしは巨人担当記者になったばかり。大阪城ホールで行われたプロ野球選手の運動会を取材に訪れたところ、ゲスト出演していた小力さんを、バックステージで見かけたのです。

向こうはすでにスター。4年前のことなんて、忘れちゃっているかもしれないな。不安を抱きながら、勇気を出して、話しかけてみました。小力さん、ジャンボ加藤です。めちゃくちゃ、売れちゃいましたね。小力さんは笑みを浮かべ、穏やかな表情でこう言ってくれました。

「ありがとうございます。仕事は増えたけど、売れようが売れまいが、自分という人間は全然、変わらないんですよ」

時は流れて、2012年12月30日。吉祥寺のライヴハウスで開催した「フォーク大名」に、思い切って小力さんへと出演オファーしました。わたしの心の中では、大阪城ホールで聞いた、小力さんの言葉が生きていた。どこかでもう一度、会いたかった。

10年前の渋谷と同じ「パワーホール」を出囃子に、小力さんがステージに立った。全国津々浦々で、多くの場数を踏んでこられたのだろう。研ぎ澄まされた芸は、百発百中でオーディエンスを笑顔にさせる。尺の決まったテレビでは見られない、「これでもか」というネタのオンパレード。「十年選手」の仕事は、やはり違う。愉快で、痛快な時間が、そこにはありました。

そうだ、思い出した。まだ売れてなかった頃、小力さんからわたしの会社宛に年賀状が届いたことがあった。差出人は大きく筆ペンで「長州小力」としか書かれていなくて、住所が分からず、返事が出せなかった。あの渋谷の夜の感謝を、まだ小力さんには伝えられていない。だからこの場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。

キレてなかった小力さんとの「縁」を、これからも大切にしていきたいと。

【参考】小力さんは現在、キリンビールのCM「のどごし」に出演して、素敵な役回りを演じています。思わずグッとくるCMです。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

バックナンバー