スポーツ紙バカ一代

第65回 また逢う日まで。GOOD-BYE、クリス・カーター

2012.11.12更新

あの朝、羽田空港に行かなかったことを、今でも後悔しています。

10月23日は埼玉西武ライオンズの助っ人打者、クリス・カーターが帰国する日でした。ロンドンを経由して米国へ向かうブリティッシュエアウェイズは、羽田発午前6時25分だという。早起きがめっぽう弱いわたしは「まあ、いいかな」と"見逃し"ました。それから数日後、カーターがチームから構想外となることに、思いを致すことなく。彼に「サンキュー」を言えるラストチャンスだったかもしれないのに-。

記録よりも記憶に残る外国人選手でした。今季からライオンズに加入。名門・スタンフォード大で人間生物学を専攻し、細胞の研究に明け暮れたという超インテリでした。それでも人間くさくて、熱血漢で、不器用で。たまらなく魅力的な男だったのです。

2月の宮崎・南郷キャンプ。若手選手に交じって、居残りで打撃練習に取り組むカーターの姿を何度も見ました。右ひざを痛めていて、満足に守備練習がこなせなかった。それでも落ち込むことなく、泥くさくバットを振り抜いていた。ちょうどその頃、ナインからはイニシャルの「C. C」と呼ばれていました。そこで、わたしはカーターに提案します。

「西武ドームでは打席に立つ際、自分の好きな音楽を流せるんですよ。日本には『C. Cレモン』という人気の飲み物があって、そのCMソングは『元気を出して!』という詞で始まり、自らを鼓舞するメッセージが込められているんです。どうですか、カーターさん。登場曲を『C. Cレモン』のテーマにしたら、本拠地のファンから人気が出ますよ」

カーターは笑顔で応えてくれました。

「それでは早速、その曲をYOU TUBEで聴いてみます。でも、最終的にはワイフの考え次第になるかな。楽しいご提案、どうもありがとう」

結局、「C. Cレモンのテーマ」は却下され、マイケル・ジャクソンの「スリラー」が出囃子となるのですが、これをきっかけに、わたしとカーターとの距離が縮まった気がします。球場で会うと必ず握手を求めてきた。わたしのブロークンな酷い英語を真剣に聞いては、ウイットに富んだ楽しい返答をしてくれた。親しみやすい人柄は徐々にファンにも浸透し、西武鉄道で球場へと「通勤」する際には、サインを求められるようになった-と喜んでいました。

カーターの人気が決定的となった出来事があります。8月23日の県営大宮公園球場、ソフトバンク戦の試合前のことです。主将・栗山巧がケガで戦線を離脱し、ライオンズはピンチに陥っていました。プレーボール前のミーティングで、彼はこうスピーチしたのです。

「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない」

カーターのストロングワードに鼓舞されたナインは、その日のゲームに快勝。チームは再び上昇気流に乗っていきます。演説の内容がプリントされたTシャツが球団から売り出されると、瞬く間にソールドアウトになりました。人気だけじゃない。勝負強いバッティングも光り、何度も西武ドームのヒーローインタビューを沸かせてくれました。

人間味あふれる男でしたが、「やっぱり彼はインテリだな」と痛感したこともあります。夏頃からカーターはわたしたち報道陣に「オツカレチャン」と挨拶するようになりました。試合に負けてチームが重苦しいムードの中でも、そう連呼していた。すると、どなたかが「それはくだけた言い方だよ」と指摘したのでしょう。それから間もなく、場面に応じて「オツカレサマデス」と上手に使い分けるようになったのです。そんな頭の良さも、素敵でした。

一方、カーターのユニホームのベルトは高校球児のように表面の皮が剥げて、ボロボロになっていました。「WHY?」と尋ねると「これは僕のラッキーアイテムなんだ。昔からずっと、ベルトはこれなんだよ」と話してくれました。

そうだ。ある日の試合後、西武ドームの駐車場で奥さんを紹介してくれたこともあった。「こちらの新聞記者はカトーサン。とてもナイスガイなんだ」って。めちゃくちゃ美人で、羨ましかった。わたしは言いました。「西武のファンはみんな、あなたのダンナさんを愛しているんですよ」。そしたらエミリー夫人は冗談交じりにこう応えてくれた。「あら、わたしもなのよ」

秋の訪れとともに、カーターの左ひざは悪化の一途を辿っていきました。西武ドームのベンチからクラブハウスへと向かう108段の階段も、苦しそうに登っているほどでした。来季、ライオンズに残っても、守備をこなすことはできない。DHは同じく故障と闘う「おかわり君」こと主砲・中村剛也が務める可能性もある。代打でしか使えないとなれば、やはりチーム編成上、カーターの戦力外はやむを得ないでしょう。

カーターは2013年、地球上のどこでどんな生活をして、過ごすのでしょうか。また逢いたい。あの「オツカレチャン」が聞きたい。ヒットを打った試合後、わたしの右手をガッチリとつかんだ、あの握力が忘れられない。そうだ。来季じっくりと左ひざを治療してくれたら、再来年以降もう一度、ライオンズに来てくれないだろうか。頼もしい戦力に、なってくれないだろうか。

その時はもちろん、あのボロボロのベルトを腰にしっかりと巻いてくることでしょう。GOOD-BYE、クリス・カーター。わたしたちはあなたのことが、大好きでした。いつかまた、どこかで逢えると信じています。

【参考】
Number Web「西武を演説で奮起させたC・カーター。熱パに轟く"文武両道"助っ人の咆哮」(2012.8.30)

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加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月、茨城県水戸市生まれ。水戸一高ではプロレス研究会に所属。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、97年に報知新聞社入社。広告局、出版局を経て、03年からアマ野球担当。05年にはアマ野球担当キャップ。06年は巨人番(投手担当)。07年からアマ野球キャップに復帰し、09年には楽天・野村番。10年はまたもやアマ野球キャップを務め、斎藤佑樹の大学ラストイヤーに密着。11年は日本ハムと西武の遊軍記者。好きな言葉は「そのうち何とかなるだろう」。カラオケの十八番は「夜空」(五木ひろし)。173センチ、61キロ。右投右打。

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