ある日の数学アナ

第2回 味を数値化する

2009.08.14更新

先日、実に興味深い話を聞いた。

普段私たちが何気なく感じている 「美味しい!」とか「ちょっと酸っぱい」といった味覚。
これらは
「いざ、感じなくては」とか 「一体どんな味なのだろうか......」などと深く意識するのではなく 直感でそのように感じるので、取り立てて深く考えたこともなかった。
でも、いざ客観的に表現しようとすると、実に難しいというのだ。
数値を駆使して誰にでも分かるようにしようだなんて試みようものなら、なおさらだという。

確かに、味を一定に表現する必要に迫られるなんて、普通の生活をしていれば、まず起こらない。
しかし食品開発の現場などでは、重要な要素だ。
商品のクオリティー コントロールをするためには味を常に一定に評価する必要があるからだ。

人間はその日のコンディション・体調によって味覚に多少なりともズレが生じる。
かくいう私は、久しぶりに風邪っぴきで、かなりの鼻水と格闘中だ。
まるで開いた蛇口が止まらないような、そんな状態。
はっきりいってかなり情けない。

しかし、どんなに味覚に優れた人、たとえばソムリエだって風邪くらいひく。
人間なのだから当たり前だ。
風邪をひいた状態をベストコンディションとは言えないはずで、
「う~ん、今日は舌のキレがイマイチだな......」という日だってきっとあるだろう。

ソムリエだって味に関して伝家の宝刀を持っているわけではなく、あくまでもその振れ幅が、凡人と比べると圧倒的に少なく、わからない程度、ということなのではないか。
もちろん一般の人と比べて圧倒的に鋭敏な感覚を持ち合わせていることは言うまでもないのだけれど。

この「味を客観的に表現する」という極めて難しい作業に、果敢にも取り組んでいる人々が存在する。
機械を使って一定の数値で判断する仕組みを開発しているのだという。

味を主観的ではなく客観的に処理しようとすると、どこに軸足を置くかが重要になる。
つまり、原点をどこに置くかということだ。
この「原点」さえ一度決めてしまえば、原点と比べて甘みがどうだとか、酸味がどうだとか言い当てるのは、数値の得意分野、面目躍如になる、というわけだ。

ちなみにこの研究、フランスなどがかなり強いらしい。
さすがワイン王国! 酸いも甘いもかみ分けた大人の国だということか。

と、それはさておき、私自身はいつもながら、つい自分自身のことを考えてしまった。
日々ニュースと接する生活を送っているからか、景況感指数だとか売上高○%ダウン、
といった様々なデータと出くわす。その種類たるやかなりのものになる。

でも、数字そのものには意味がなく、
そこに意味づけを持たせて始めてイキイキするのが数字なのだ。
その数字は何を語ろうとしているのか、彼らの声に耳を傾けることが大事なのであって単に数字だけを持ってきて比較することには何の意味もない。

さらに、自分にとっての原点は何だろうと考えると、「楽しいか楽しくないか」。
ここまで30年近く、ずっとその視点は持ち続けてきた。

何をやるにしてもどうせ同じ時間をかけるなら楽しくないと! と思っていたし、
ずっと本能、あるいは嗅覚で「楽しそうか否か」を嗅ぎ分けとにかく色んなところ、モノに飛び込んできた。

大学時代に海外に行きたい! と思って行った先も、
初めて行く海外だったにもかかわらずアメリカへの1カ月ステイだったし、
ヨーロッパへ一人で飛んだ時も、ひょんなことで仲良くなったノルウェー人の友人となぜか1カ月近くぐるぐると北欧や中欧を旅して回った。
今の仕事を選んだのも、例に漏れず。

様々な人に会って物事を考えられる仕事は、学生時代の私にはとても魅力的だったし、
考えたこと、考察を加えたことを自分がフィルターの一部となって何かを発信できることの素晴らしさも、世の中様々な職業があるなかで、魅力の一つだった。

こういう自分の中にある原点はそうカンタンに変わらないからこそ原点なのであって、 グラグラするようなことがあってはいけない、と思う。
でも、最近は年を取ってきたからなのか、少しずつ変化を見せているような実感がある。

つまり、本能的に楽しいことを求める気持ちは変わらないし、常にそうでありたい。
そう思っているのだけれど、一方でそこに付随する責任、例えば正しいか否か、
あるいはこういう女性になりたいという理想であるとか、全うでいたい、
といった別のベクトルも 一緒になってにょきにょきと生えてきているように感じる。
大きく区分するとすれば、楽しいか楽しくないか、というのは究極的には外に向かっているベクトル。
正しいか否か、もしくはこういう自分像でありたい、といった価値観は内に向かっているベクトル と言えるかもしれない。

でもこれらは何も芽の無いところに突如生まれたわけではなくて、
思い返せば、小さな頃から素地として備わっていたもので、それが何かをきっかけにふっと何かから目が覚めたような状態なのではないか。

「自分に厳しく、人に優しくしよう」とか
究極的に「こういう人間になりたい」「こうありたい」という理想が、
どんなカタチであれコンパスの針のように原点にぐさっと刺さった状態であれば。
もしくは、各々のベクトルが色んな方向を向いていたとしても、
最終的に同心円を描くように面積が、
もしベクトルが上に向いていたとすれば体積が、増えていくことになれば。
やっぱりそれはそれで間違ってはいないのかなと思うのだが
真実は一体どうなんだろうか。

数年後には、今とはまた違った見方ができると面白い。
未来の私に期待!

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倉野麻里(くらの・まり)

テレビ東京アナウンサー。理工学部数学科を卒業した後、放送局アナウンサーという一見、数学とは縁のない世界に飛び込む。仕事は十二分に充実しているものの、数学、数字には触れない日々。「モノタリナイカモ…」。離れてみてわかった数学への愛。いや、数学への一方的な愛!!数学への偏愛から見える日常のあれこれを語る。
KYOTO的の人気連載「くらまりの日々是数学」をタイトル改め、本誌で新連載。

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