ある日の数学アナ

第6回 成長曲線の鈍化とロック

2009.12.11更新

いよいよ師走、本格的な冬の到来だ。
ああ恐ろしい。
だって2009年は残るところ1カ月しかないのだ。

『年末なんて毎年来るものだし、便宜的に付けたものなんだから
何もあたふたすることはないじゃないか』

なんて声が聞こえてきそう・・・・・・
いやはやご尤も。
だがしかし人間、区切りごとに目標を設けたり反省したりしながら
何とか前に進んでいるのだから、そういった区切りを意識してしまうのは
まあ自然なことというか別に悪いことではないのかな、と。

ちなみにこの一年で自分がチャレンジしてきたことは、小さなことを数えていけば、
まあそれなりにはある。
チャレンジしたなんて言うのも恥ずかしいくらい小さいことでは
「無理をしない範囲でお弁当を作る」とか。
当初は絶対に無理だと思っていたのだけれど、意外と続いている。
でも達人の域に達したかというとぜんぜん達していない。
お弁当マスターからは程遠い。
もう一つは、体を動かすこと。これは去年に比べれば多少は実績がある。
でもコンスタントには続かなかった。だから、コレも×。

こうやって改めて考えてみると、 年を取るにつれて新しいことに挑戦する頻度が
若い頃のそれと比べて圧倒的に減ってしまっている気がする。
これでは打率が低いのも頷ける。
ただもともと新しいことに挑戦するのがあまり好きではない保守的な方ではなく、
チャレンジするのはむしろ好きな方だ。恐怖心が邪魔しているわけでもない。
じゃあ一体何が、新しい何かを身につけるのに邪魔をしているのだろうか。

腰が重いことに対する言い訳を真正面から分析するのは、
自分の無精さを棚上げして何かに責任転嫁しているようでいささか
気が引けなくもないのだが、せっかく年末なのだし改めて考えてみることにした。

仕事に限定すれば、私が日々仕事をしているニュースの現場では、
過去の歴史や知識はもちろんのこと、時々刻々と迫るニュースに対して
新しい知識をインプットすることを求められる。
そして一度インプットすれば、幸いにも、すぐにアウトプットする場がある。
これは実はかなりの脳の訓練になっているのではないだろうかと最近では思っている。
言ってみれば、シナプスというシナプスが「ピッ、ピッ」と音をさせて
信号伝達されるような状態が本番中ずっと続いているわけだ。

でもプライベートとなるとそうはいかない。まず圧倒的に色んなことからフリーだ。
何をやってもよい。
どこで誰とどのくらいの頻度でやろうが、何を目指そうが全て自分次第だ。
それこそ微にいり細にいり考え始めたら、もはや考えることそのものが
目的になってしまいそうな勢いだ。

その過程でとめどなく考えてしまうことの一つとして私が陥りがちなのが
「習得するまでの吸収曲線を想像してしまう」ことだ。
本当は体験してみないとわからないのに経験として、相当な時間を費やさないと
楽しみを得る域に達することができないことを嗅ぎ取ってしまっている。

小さな頃は習い事を始めれば、まるでスポンジが水分を吸収するかのように、
みるみる新しい知識や技術を身につけることができた。
新しい世界の扉を開けた途端に、世界はそれまでとは全く違うものになる。
寝ても覚めても一輪車のことばかり考えてしまったり、覚えたばかりのゲームの呪文の数々が脳内コップから溢れてしまったりするような経験は誰でも経験があると思う。

でも大人になるとそうもいかない。
向き不向きに加えて見栄とか努力とか根性とか、
もはや人間的な要素が加味されてしまい、話はもっと複雑になる。
1つのことにばかり浸ってもいられないのだ、大人になってしまうと。
始める前から無限の可能性を信じることができなくなってしまって、
自分で自分にロックを掛けてしまう。

さらに、もしあるとすればだが、大人の場合は既に身につけてしまった能力から
別方向へと伸びる軸を増やす作業になるので、全体に占める1つ1つの軸の濃度は
小さくなる上に、ハードルも高くなってしまう。

でも、結局のところ想像の範疇で萎縮してしまうなんて実に勿体ない。
世の中やってみないとわからないことだらけなはず。
いくら一次関数のようにぐいぐいと能力が身に付かなくても、大人は大人なりの
スピードで、かつ忍耐をもって鈍化した成長曲線と闘っていけばいいのだ。

「そうだ、そうなのだ、自分のスピードでまずはやってみればいいんだ」
と自分に言い聞かせるかのごとく呟いている2009年の終わりなのであった。

ちょっと早いですが皆さま、よいお年を。

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倉野麻里(くらの・まり)

テレビ東京アナウンサー。理工学部数学科を卒業した後、放送局アナウンサーという一見、数学とは縁のない世界に飛び込む。仕事は十二分に充実しているものの、数学、数字には触れない日々。「モノタリナイカモ…」。離れてみてわかった数学への愛。いや、数学への一方的な愛!!数学への偏愛から見える日常のあれこれを語る。
KYOTO的の人気連載「くらまりの日々是数学」をタイトル改め、本誌で新連載。

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