ある日の数学アナ

第22回 「最大のリスク」は自分たちの心

2011.04.29更新

先月の震災では多くの人が亡くなり、1カ月経つ今も多くの人が
避難所での生活、不自由な生活を余儀なくされている。
心からお見舞いを申し上げるとともに、
長く続く厳しい生活のなかにひとつでも希望の光が見えるよう祈りたいと思います。

先月の時点では、被害の全容はまったくといっていいほどわからなかった。
東京にいても情報が把握できないもどかしさを強く感じたのだから、
被災地の皆さんはどれだけの苛立ち、不安、焦燥を感じたことか。
想像を絶する恐怖だったと思う。
そして1カ月たった今もなお行方不明の方が数多くいらっしゃる。
この震災はいったいどれだけ多くの人たちの愛するものを奪えば気がすむんだろう。
人命、ペット、家、思い出、ふるさと・・・あげたらきりがない。

この1カ月は、地震や津波による甚大な被害に加えて
「いま、福島原発では何が起きているのか」期せずして注視することになった。
お恥ずかしいことに、事故が起きるあの日まで、
今現在と比較すると比べものにならないほど原発について知識は少なかった。
多分、原発の安全性やリスクについて、今日明日にでも起こりうるものである
という認識ではなかったからだと思う。
もちろんリスクについては、頭では理解しているし最低限は知ってはいたが、
胃の腑にまで落ちるような体の隅々まで理解できているような状態ではなかった。

原子力発電は「現時点で」発電効率が高くエネルギーを生み出す力が大きい。
資源の少ない日本で「リスクを度外視すれば」有効な方法である。
「事故が起きる可能性を切り離すことはできず」実際に過去に事故は起きたことがある。
確かなのは問題が消えてなくなったから原子力発電をしていたわけではなく
リスクとともにあったという事実だ。

日本はここまでの経済発展を途げる上で、原子力発電の力を大いに利用してきた。
そのことは否定しようがない。
そして現状では総エネルギーのうち3割近くを原子力によって賄っている。
ただ、原子力以外にも選択肢があったのではないか。
クリーンエネルギーなどを始めとするほかの選択肢も、もっと早い時点で
考えてもよかったのではないか。
費用対効果があって、日本で暮らす人たちが納得できる負担ですみ、
環境には負荷をかけないのに、エネルギー効率も高い。
そんな方法がもし存在するのだとしたら、どうだろうか。
仮に実現がはるか彼方だとしても、そういうものを夢物語と捉えるのではなく
真剣に求めていかなければいけないのだろうと思う。

一方で供給側だけではなく、私たちの意識も根底から見直すことを迫られた。
そもそも、電気はスイッチをつければ自動的に点くものではなく、
発電所で発電された電気が家庭に送られて点灯しているのだということ。
水は豊富にある日本だけれど、あくまで海洋の環境が安定して、
それらを浄水場が安全基準に見合うよう浄水して、
各家庭に送られてきているのだということ。
どれもこれも意識すれば当たり前のことだが、無意識のうちに恩恵に
与っていたがゆえ、忘れがちだった。すべては「当たり前ではない」ということを。
「いやいやいや、今さら何を」と思われるかもしれないが、
やはり身の周りに「当たり前」なんてそうそうないのだ。

もちろん照明のスイッチひとつ点けるのにも
「これは様々なリスクを回避した上で点灯している!」なんて
考えていたら疲れてしまうし、たぶんそこまでする必要はない。
少なくともリスクを最大限に鑑みた上で運転されているし、
いつもリスクが頭をもたげるような状況なのだとしたら、多分それは機能してないに等しい。
でもこれまでが失敗が少なすぎて、便利すぎて、うまく行き過ぎていた。
この「うまく行き過ぎている」というのはなかなかの曲者だ。
そこまで薄くはないにしろ、自分たちは氷の上に乗っているという事実を忘れさせる。

SEの友人が前にこんなことを言っていた。

「失敗がなくて当たり前。すべてうまくいっていても基本的には誉めない。
なのに失敗した時だけ叱責されるって結構大変だよ」と。

電気やガスもまさにそうだ。
ライフラインであるがゆえに同じレベルで考えてはいけないのだとは思う。
でも、敢えて少しだけ目を向けてみると、平常時のエラー率の低さは
結構なものがあるのではないかと。
誤解のないようしつこいようだが付け加えておくと、
普段頑張っているのだからこういう事態になっても仕方がないと言っているわけではない。
それとこれとは話が別だ。
影響力の大きさを考えるとミスは起きてはいけないだろうし、
誉められるとか誉められないとかそういうこととは違う次元で動かなければならない
仕事のひとつであることもわかる。
しかし、失敗率で言うとまぎれもなく低い部類に入ることは否定できないと思う。

「リスクが低い」という事実を理解するのはとても難しい。
人は、リスクがとても低い=安全と考えてしまいがちだからだ。
じゃあその認識が間違っているのかというとそうではない。
「限りなく安全といってもよい」ということは、「ほぼ安全」とは言えるからだ。
でも、ほぼ安全なのと100%安全とはまったく違う。
限りなく低い確率でリスクが存在する以上、その存在を無視することはできない。

何かを証明しようとするとき、例えばAならばBであることを証明する時に、
ひとつでもBにならないパターンを見つけてしまうと
その命題は成立していないことになる。
この事例でいうとリスクは反例に相当する。

だからこそリスクを最大限回避する方法、そして万一そのリスクに相当する
事実が起きてしまった場合にどう対処するかが重要になるはずなのに、
今回はその点残念な対応が散見された。
しかし、私がこんなことを考えるはるか前から、数え切れないほど多くの
技術者や科学者がリスクや対応については考え続けてきたはずだ。
しかし「想定していなかった」事態が起きてしまった。
ということは、やはりすべてをコントロールできると思ってしまった自分たちの心こそが
最大のリスクだったのではないだろうかという気がするのだけれど、
実際のところどうなんだろう。

とりとめもなく考えてきたけれど、いまなお現場でなんとか現状を改善すべく
頑張っていらっしゃる方が沢山いらっしゃる。
その方たちに敬意を表したいと思います。
また一方では周辺地域で避難生活や計画的避難を余儀なくされている方たち、
風評被害に困っていらっしゃる農家、畜産農家の方々・・・
すべての皆さんに一日も早く日常が戻りますようにお祈りいたします。

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倉野麻里(くらの・まり)

テレビ東京アナウンサー。理工学部数学科を卒業した後、放送局アナウンサーという一見、数学とは縁のない世界に飛び込む。仕事は十二分に充実しているものの、数学、数字には触れない日々。「モノタリナイカモ…」。離れてみてわかった数学への愛。いや、数学への一方的な愛!!数学への偏愛から見える日常のあれこれを語る。
KYOTO的の人気連載「くらまりの日々是数学」をタイトル改め、本誌で新連載。

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