ある日の数学アナ

第26回 主語と述語を意識すれば

2011.08.19更新

では、前回の続き。

他人の話している言葉に敏感になってみよう。
そうすれば、きっと発見があるはずという話だった。

聞こえてくる言葉に敏感になったのは、まさにこの仕事のためだ。
毎日集中して人前で話をしているけれど、
結局のところ「耳で聞いてわかるかどうか」が極めて重要なんだ
という認識が年々強まっている。
そして、よく聞くのではなくて、さらっと聞いて頭に入ってくるか入ってこないか。
これも同じくらい重要だと思っている。

ちょっと、さらっとだなんてまた漠然とした表現だなあなんて
思われそうだが、この「さらっと」がまた重要だ。
「相手の話を聞くぞ。さあ聞こう。聞かねばならない!」と
100%の注意を傾け全身全霊で聞いていないと理解できないような場合、
それはほとんどの人にはあまり伝わっていないと判断した方がよい。

敏感な方はもうお気づきでしょう。
そう、その通り。
聞こえてはいるけれど、伝わっていないのです。
耳から入ってくる情報を処理する能力を否定するつもりはないけれど、
よほど訓練された人でもない限りデフォルトではそんなには高くはないものなのだ。

とはいえもちろん専門家が集まるセミナーだとか、どこかの教授の講義を受ける
といった場合は話が別だ。
当然難しい専門用語だって飛び交うだろうし、相手に相当の注意を払わないと
わからないに決まっている。
でも、世の中そんな会議ばかりではないですよね。
日常生活についての何気ないトピックについて話をすることだって、ままある。
常に力を入れていなければいないなんて考えただけで窮屈!
それでは活発な意見交換なんかまずできないだろうし、
よいアイデアなども生まれにくい環境であることは容易に想像がつくでしょう。

力を抜いた状態がよい結果を生むというのは、おそらく多くの方が
実感したことがあるかと思います。
たとえばテニスなんかも肝心の場所にあたってるときは
面白いくらい力を必要としないし、野球のバッティングなんかもそう。
あのバットの芯にミートする瞬間は、何かから解き放たれて
フリーになっている感じがしますよね。
話をする場合も同じ。
話者の「力み」は聞く側にも伝わってしまうもの。
考えてみたら、話をするのとスポーツなんてまったく違うように見えて、
どこか共通点があるのが面白い。

この解き放たれた状態とは真逆の概念に、「力む」がある。
よく何かを強調する手段として、
「声高に叫ぶ」とか「ワントーン高くする」場合がある。
これは確かに有効であることは否定しない。
実際、それまでよりも急に声が大きくなったりトーンが高くなったりすれば
「なになに?」と注意を払うのは人間として自然な反応だ。
でも目的はあくまでも注意を引きつけることだ。
だから方法はひとつではないのだ。

街頭演説などで声を枯らさんばかりに叫んでいるのをよく耳にする。
じゃああれが必ずしも待ちゆく人々の心に届いているのか、というと
実際はそうでもない。
「ああうるさい」としか思ってもらえないことがほとんどだろう。

耳から入ってきてもきちんと理解できるように話すのに、
一番簡単なのは、とにかく主語、述語を意識することだ。
あまりに当たり前すぎる?
「えっ、そんなことなの?」という声が聞こえてくるようです。
でも、この至極当たり前のことがきわめて重要で、かつ核心だと思っている。
このルールを適用すると、
自分が話していてもちょっと訳がわからなくなるくらい
主語が長くなってしまうなんて場合は当然NGだし、
主語から述語までがあまりに遠いのもたぶんNGだ。
もちろん時と場合によるという注釈はつけておきます。

じゃあ、どうやって力まない状態にすればよいのか。
それはまた次回に!

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倉野麻里(くらの・まり)

テレビ東京アナウンサー。理工学部数学科を卒業した後、放送局アナウンサーという一見、数学とは縁のない世界に飛び込む。仕事は十二分に充実しているものの、数学、数字には触れない日々。「モノタリナイカモ…」。離れてみてわかった数学への愛。いや、数学への一方的な愛!!数学への偏愛から見える日常のあれこれを語る。
KYOTO的の人気連載「くらまりの日々是数学」をタイトル改め、本誌で新連載。

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