ある日の数学アナ

第29回 日々、運動。

2011.11.29更新

小学生のころはクラスの皆がいる前で文章を読まされたり、
模造紙にまとめた学習内容を皆の前で発表したりする機会が多々あった。
つっかえたり間違えたりすれば、当然笑いや掛け声がおきる。
ところが、大人になるとどうだろう。
得意先で契約を取るためのプレゼン、上司の前で業務報告など
重要な場面、あるいは決して失敗できない場面でさえも
堂々とやってのけなければならないことが多いのではないか。

大抵は間違えても堂々としていれば何とかなるものだ。
どれだけふてぶてしい心臓を持っていられるかがほぼすべてといってもよい。
誰にでも言い間違いはあるし、日常会話では言い直しなんて何度だってしている。
それをゼロにすることの方が不自然だ。
だから、多少言いよどむことがあっても言い間違えとしても堂々と言い直せばよい。
ただそれだけのこと。
慌てたりするとその後もしどろもどろになるなど、結果として
一番よろしくない結果になってしまう。

あともうひとつ重要な点があるとすれば、きちんと口を開けて話すこと。
最近の若い子を見ているとほとんど口を開けていないのでは? と思うことが多い。
若い子なんて言っている時点で自分が若くないって言い切っているみたいだが
それは置いておいて。

「あなたの職業がアナウンサーだからそう見えているだけなんじゃない?」
と思われてしまいそう・・・でも、そうではない。
素敵だなと思う俳優さんを想像してみると、
劇団などで滑舌練習などもしっかりしていらっしゃるからか、だら~っと
話しているところが想像つかない。
それが台詞でなかったとしても。
そうだ、やっぱりはっきり話すことは素敵なことなのだ。

そういった、だら~っとしゃべりから卒業し、はっきり話すのにもってこいなのが、
とにかく言葉を声にする、音にすることだ。
聞いてみればその差は一目瞭然ならぬ「一耳瞭然」だから。
巷には「音読しよう」といった類の本も数多出版されている。
ただ、私自身は音読という行為そのものは好きだが、
そういった本を手にすることはあまりない。
正直なことを言えば、思わず音読したくなってしまう内容ではないから。

「この作品、この詩はとてもよいのでぜひとも声に出してみるべき」と
推薦してくださるお気持ちを受け止めるべきなのかもしれないが、
自分が進んで音読したい内容の方が、ずっと音読効果は高いはず。
本気度だって当然変わる。
・・・もちろんとても素敵な詩や言葉と出会ったことはちゃんとありますよ。
念のため補足しておきますが。

「声に出す」「音にする」という行為は言語的というよりはむしろ肉体的だと思う。
目にしている時点では、まだ言語。
文字を視覚的に捉えどういう意味か考える。
どう咀嚼するべきなのか、とか。
でもそれをいざ声にするとなると、
どういうスピードでどういう高さでどんなテンションで表現するのか。
体中の意識を集中させてコントロールさせなくてはならない。
音読が肉体的であるゆえんだ。
誤解を恐れずに言うなら、言語的な能力よりも運動神経の方が必要とされていると思う。
それと、ほんの少しの音感も。

大事なのはどうやって体に内容を染み込ませるか。
そのためにはリズムが重要だ。
短歌の五、七、五、七、七が重要なのと同じくらい、文章にもリズムがある。
じゃあそこに気づいている私は、自分の文章もさぞ上手くつくれるかというと、
「どんなに内村航平選手の体操の映像を見ても決してマネできない」のと同じで、
それとこれとは話が別だ。

ただ、うまい文章に接した時は明らかに体が反応する。
うまい文章に接したときの語感、リズムを体が覚えている。
リズムは、とくに外国語を聞いているとよくわかる。
例えば英語。
オバマ大統領の演説はとてもリズミカルで、緩急もテンポも、聞いている人を
はっとさせる何かを持っていると思う。
私にとってはお手本のようでもあり、思わず
「なるほど~、ポン」と手を打ちたくなるようなところが沢山ある。
あの人を惹きつけるコツを学びたいと、聞くたびに思う。
そしてリズムとは少し違うけれど野田総理も代表選挙の時は、演説上手だと唸ってしまった。
最近は安全運転と言われることも多くその調子はやや陰りを見せているのが
残念なところだ。

もう少し、琴線に触れるような言葉が沢山聞けるようになると、
政治への関心も自然と集まるような気がするのだが、どうだろう。
・・・そうは問屋がおろさないかな。
ではまた来月!

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倉野麻里(くらの・まり)

テレビ東京アナウンサー。理工学部数学科を卒業した後、放送局アナウンサーという一見、数学とは縁のない世界に飛び込む。仕事は十二分に充実しているものの、数学、数字には触れない日々。「モノタリナイカモ…」。離れてみてわかった数学への愛。いや、数学への一方的な愛!!数学への偏愛から見える日常のあれこれを語る。
KYOTO的の人気連載「くらまりの日々是数学」をタイトル改め、本誌で新連載。

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