すみちゃんのめひこ日記

第5回 スラムと子どもたち

2016.07.22更新

 メキシコシティを観光したことのある人はほとんどが、ソカロと呼ばれる中央広場や、アステカ王国の神殿跡地であるテンプロ・マヨール、ベジャス・アルテス宮殿、革命記念塔などが集まる、「セントロ地区(Céntro)」へ行くことになるでしょう。コロニアル建築(植民地時代に作られたスペイン調の街並み)が立ち並び、いつも人でごった返している、賑やかできれいな場所です。
 そのセントロの東側に広がるある地区に、私は毎週通っています。
 ソカロから4駅、地下鉄のカンデラリア(Candelaria)駅の改札を出ると、狭い道の両側にテントを張った商店がぎっしり並びます。靴、洋服、下着、電子機器、海賊版CD・DVD、化粧品、駄菓子の山、ネイルショップ。ひとの間をギリギリですり抜けるタクシーや、ポテトチップスをクリアケースにぎっしり積んだ移動販売の手押し車が、歩く私を追い抜いていきます。
 ここ「都心」一帯に集まるのは、いわゆる低所得者居住地区です。明確な定義は難しいのですが、人によっては、スラムとも呼びます。
 ひととものが雑然と入り乱れたカラフルなその道を一本外れたところに、ソレダ教会(la Iglecia de la Soledad)という教会があります。このカトリックの教会の一角を借りて運営されている保育園「オリン・シワツィン(Ollín Cihuatzín)」が、私の行き先です。

 オリン・シワツィン(以下、オリン)は、都市の貧困に付随するさまざまな家庭の問題に対応する団体で、おもな活動は0~5歳を対象にした保育園の運営です。わたしがここですることは、ただただ一日中、子どもたちと遊ぶことです。一緒にお遊戯をして、絵本を読んで、おままごとして、けんかの仲裁をして、給食を食べる。
¿Cómo te llamas? (なまえなんていうの?)
  Me llamo Chiharu. (ちはる)
 ¿Mm? ¿te llamas "chichis" ? (ん?おっぱい?)
 古今東西?の子どもが大好きなこんなやり取りが鉄板化し、毎度、「違うよ!おっぱいじゃないよ!!」と私がめちゃくちゃ嫌がってみせると、彼らはめちゃくちゃ喜びます。

 正しさというつまらない基準は置いておいて、彼らのなかに入っていくことは、ものすごく面白い。3歳でこんなのだめでしょ、というくらい辛いお菓子をニコニコ食べているし(この土地の唐辛子教育)、いまラテンアメリカで流行りのレゲトン(Reggaeton)の、「タクシーに乗るあの子を見た クラブに行く途中」「口紅で タクシーのなかのあの子に気付いた セクシーだった マジで超セクシー」という歌にあわせて教室でダンスしています(レゲトンは、レゲエとヒップホップが混ざったような音楽ジャンル。ラテンアメリカの若者のあいだで人気。上品とは言えない歌詞、特に性的な意味の歌詞が多い。「タクシー」と「セクシー」が韻を踏んでいるこの引用部分は、内容的にまだ軽いほう。ある友人は私に、「いい?レゲトンが好きかどうか聞かれたら、女の子は、"メロディは好きだけど、歌詞は嫌い"って答えなきゃだめだよ」と言う。実際に何人かに向かって、その助言どおりに回答したところ、「君の趣味はパーフェクトだ」と言われたので、もしおなじシチュエーションになったら、このようにお答えになると上手くいくかもしれない)。
 はっきり言えば物騒な地区なので、保育園と格子一枚を隔てた教会前の広場には、色んなものが見えます。そしてもちろん、子どもたちはそれに無邪気に反応します。「ちはるー!こっちきて!みて!ボラッチョ(borracho、=酔っ払い)が倒れてるよ!」の叫び声に対して、先生がつまらなそうに「見るのやめなさい」と言っているのをみると、思わずニヤっとしてしまいます。
 家に帰るまでの道でも、そして家のなかでも、彼らの目にはあらゆるものが映っているでしょう。こういうなかで子どもたちが生きているということは、私に、驚きと不安を与えつつも、「ふつうに」生きることが持っている力について考えさせてくれます。

 そうやって長いまつ毛の子どもたちと戯れながら、家族形態、インフォーマル(※1)経済の拡大、スラム、薬物といった、メキシコ社会のビッグイシューが、ひとりひとりの現実の生のなかにどのように存在しているのか、それを肌で感じるのがこの場所です。

(※1)行政の管理、課税を逃れている産業形態。路上の物売り、屋台、また道路での靴磨きや洗車、地下鉄でパフォーマンスをしてお金を稼ぐ、など。メキシコの労働者全体の約60%がインフォーマル部門に従事、GDPの約25%を生み出しているとも言われる。メキシコシティは2000年代前半にインフォーマル産業を許可していたが、規模が肥大化したため、規制路線に転換した。急増したインフォーマル部門の管理、実態把握、今後の対処法について、行政は「なにをすればいいのか分からず、完全にコントロールを失っている」、という評価が多い。

給食残すと、メヒコの子も立たされる

 メキシコシティ、特にこの地区では、シングルマザー(※2)あるいは共働きの家庭が多く、また、親がセックスワーカーであったり、路上の商店主であったりします。日中、子どもをホテルや路上に置き去りにしなくて済むような安全な託児所が必要なのに、保育料が払えず利用できない。独身の母親が長時間家の外で働けず、経済的自立が困難。親が薬物に依存して、育児が成り立っていない(薬はそこら中で簡単に手に入ります)。さらなる地獄は、インフォーマル部門という不透明なしくみのなかで、ガム売り、荷物運び、洗車など、子どもが労働力として容易に搾取されてしまうということです。

(※2)INGNI(Instituto Nacional de Estadística y Geografía)の2015年発行のデータによると、2013年における、シングルマザーとしてはじまる家庭の割合は、13.4%と非常に高い。

 このようなあらゆる要請に応じて開かれたこの場所は、「毎日子どもを預かる」ということを基本にして、その家庭全体へアプローチをします。そのため、送り迎えにきた親と先生の、些細だが定期的な会話といったものが決定的に重要となってきます。実際に、ある家族が路上暮らしから脱したり、ある親が薬物依存を抜けるためのセラピーに通いはじめたりと、色々な成果が生まれています。保育園は、毎日、同じ大人が送り迎えをして、同じ子どもが通いに来るところです。短時間でのインパクトを見込んだプロジェクトを動かしている、というよりは、色んな理由でそれを必要とするひとの日常のなかに溶け込んで、静かに着々と動いているのがこの場所だと思います。そういうところが好きなのです。

 UN-HABITAT(国際連合人間居住計画)のデータによれば、2016年時点で、メキシコの都市人口の14.4%が「スラム」とみなされる場所に居住しています(ちなみに、UN-HABITATはスラムの特徴として、(1)安全な水へのアクセスが不十分、(2)衛生設備、インフラへのアクセスが不十分、(3)住宅の構造の質が粗悪、(4)人口過密、(5)居住状態が安定しない、の5点を挙げている)。
 「スラム」となると、薬物・犯罪が問題としてクローズアップされて、その結果、「無理のある都市化が引き起こした貧困」が本質的なコトの根であるということが、ややそっちのけにされているふしがある気がします。スラムの存在自体を問題化することに意識が向いて、メキシコ都市部人口の約15%という膨大な数の人が曝されている過酷な生活環境に対し、道徳的な感度を閉ざしてしまうこと、私はそれに、ヤバさを感じるのです。政府が「脅威」を利用して好き勝手やるのを、あるいは何もやらないのを、この空気はかなり助けています。

 いろんなことを思います。みんなが知る観光の中心地の、となりに広がる空間には、あらゆる意味でみんなから見えないところで、ひとが暮らしています。その一角に地道に通うことで分かってくるのは、想像以上に気が滅入るような現実だけなのでしょうか。過酷な現実のなかで、顔と名前の浮かぶあのひとりひとりがいつもそこにいるということに、ふつうに生きることの途方もない力を感じてしまうのは、やはり、甘いのでしょうか。

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角智春(すみ・ちはる)

1995年生まれ。島根県出身。耳の垂れた犬が好き。盆と正月には愛犬のビーグルと出雲大社周辺を散歩する。東京外国語大学でスペイン語を専攻。ゼミでは人類学&現代思想を真面目に勉強し、指導教員に「スミさんには、“自由とは何か”を考えはじめて200年、みたいな趣きがある」と言わしめた。

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