すみちゃんのめひこ日記

第6回 チアパス(前編)EZLNを追って

2016.08.20更新

 7月22日、メキシコ最南に位置するチアパス州のサン・クリストバル・デ・ラス・カサスに到着しました。標高2200メートル、空が近く、快晴。味わったことのない心地よさと、静かな緊張を同時に感じながら、石畳の中心街を歩いて行きます。メヒコ留学開始から5ヵ月が経とうとしていた7月末、「留学生活前半戦最後の山場であり、後半戦へのスタートダッシュ」と位置付けた、大事な大事な10日間が始まりました。
 サパティスタ民族解放軍(Ejército Zapatista de Liberación Nacional、以下EZLNと記します)主催のイベントに参加するため、一人でここまでやってきたのです。

 サパティスタ、という名詞をご存知でしょうか。あるいは、お憶えでしょうか。
 EZLNは、メキシコ・チアパス州を拠点とし、先住民の権利獲得を第一の目的に闘争している社会運動体です。1994年1月の蜂起時には、国内外に大きな衝撃を与え、そのニュースは日本にも届いたといいます(私が生まれる一年前です)。黒い目出し帽の集団、といえば、思い出される方もいらっしゃるかもしれません。トレードマークは、ほぼ全員顔を隠していることです。
 メキシコの政治やいまの資本主義経済システムと、先住民が生を営むそれぞれの共同体とのあいだには、幾多の大きなコンフリクトがあります。そしてまた、ラテンアメリカ全体でみたとき、EZLNの言葉のなかに "500 años de luchas" =「闘争の500年間」という言葉が頻繁に使われるように、先住民抑圧の歴史は、16世紀の植民地時代以降かたちを変えて絶えず続いてきたものです。
 先住民の「闘争の500年」のなかで、EZLNの活動の場である「いまのチアパス」は、どのような文脈にあるのでしょうか。チアパスは人口の3割を先住民が占める、メキシコでもっとも貧困率の高い州のひとつです。石油資源、農業資源などを豊富に持つ土地にもかかわらず、その土地所有の構造により、大多数の農業労働者(もちろん多くの先住民をふくむ)は恩恵から排除されています。加えて、市場自由化がここ数十年で農業に与えてきた影響(トウモロコシをはじめとする農作物の価格の下落、農業生産への公的助成金の削減など)は、農村の生活状況をより劣悪なものにしてきたといいます。94年1月1日のEZLN蜂起は、メキシコ経済の自由化路線を決定付けたNAFTA(北米自由貿易協定)発効の同日に重ねられています。もちろん彼らを抑圧していたのは今日の土地問題と農業-労働問題だけではありませんが、それはEZLN活動開始における重要な起爆力のひとつだったといえます。

 蜂起から22年間、EZLNは国内外に向けた様々な声明文の発表、デモ行進、サパティスタ自治区(自治政府)の運営、他の社会運動との協力、会議・集まりの開催、出版といった方法で闘争を続けています。サパティスタは、「我々は先住民である」という立場からメッセージを発信します。しかし、彼らの言葉や、運動体としての哲学・実践は、個性的であると同時に、多くの人にとっての説得力と魅力をもった "Zapatismo(サパティスモ、=サパティズム)"として、世界的で注目を集めてきました。
 また、94年蜂起直後の12日間(1月1日の武装蜂起から、政府との「停戦」が成立した同月12日まで)以降、彼らは、(政府からの軍(あるいはそれに準じた組織)の投入による制圧、大量の関係者の殺害、行方不明、といった暴力的状況下におかれ続けているにも関わらず、)一切武力を使いません。徹底して非暴力の運動を続けてきた彼らのスタンスは、「社会運動を社会につなげるとはどういうことなのか」、「社会運動をほんとうにひとの生につなげるとはどういうことなのか」という問いに、ふかい示唆を与えてくれると私は思います。

サン・クリストバルのカテドラル(大聖堂)

 2016年7月22日、旅の初日、私はチアパス州都トゥクストラ・グティエーレスの空港に着いたあと、そこからサン・クリストバルに向かうために、1時間半ほど、十数人乗りのバンに乗りました。途中、例のメキシコあるある(めひこ日記5月参照)、「長距離移動のバスでは、とちゅうで必ず、引くくらい雄大な自然を目にする」現象に、また思わず、異邦人私一人だけシートからガバッと身を起こして窓のそとを凝視してしまったわけですが、今回窓の外に見えたものはそれだけではありません。
 「......! もしかして......、あー...、いるいる...」
 トゥクストラの空港から30kmくらい走ったところで、黒い目出し帽かバンダナで顔を覆った人たちが、高速道路の料金所を占拠していたのです。それが、わたしとサパティスタとの初接触でした。
 占拠といっても、激しい要素は一切なく、20人くらいの男女が静かに(一言も発さずに)料金所のボックスのまわりにいるという感じ。そこをバスがスーッと通過。
イベント会場という「用意された場所」ではないところで、彼らの姿をすこし遠くから目撃しました。写真でした見たことのない人たち、この人たちのためにチアパスに来た、まさにその人たちが、一瞬だけ、静かに愛想もなく目の前にいたわけです。

 メキシコでは、いま、政府の教育改革政策に反対する運動が激化しています。この教育改革は現大統領就任直後の2013年から打ち出されているものです。企業家グループ(Mexicanos Primero)や経済発展協力機関(OCDE)の意見のみを聴取して考えられた政策で、専門家や教師自身、保護者の意見が取り入れられていないことが問題とされています。内容は、〇全国一律の教員評価試験の導入(授業内容と関わりのない、事務手続き的な設問や、学校運営上の規則にかんする設問のみ)、〇教員の労働を保護する組合がない一方で、政府と癒着を疑われた国立教育評価機関が教員の労働を管理、〇学校運営の自治化≒民営化(校長トップダウン型で、公立校への企業からの資金提供あり。保護者も教員の監視の義務を負う)、などが挙げられます。
 改革への反対運動はこの3ヵ月くらいで激化し、6月19日にはオアハカ州で、教職員のデモ行進中に、何者かの発砲により参加者数名が命を落とすという事件が起きました。この日の直後は、いま私の勉強している大学でも、学生たちによる大きな抗議運動があり、国内がやや騒然としていました。
 反対運動がとくに強く行われているのが、オアハカ州、チアパス州、ゲレロ州、ミチョアカン州で、この4州は、社会的観点・経済的観点・文化的観点から地域色が強い(先住民共同体が多い、貧困が特に深刻)場所です。全国一律、という改革のやり方に、否の声が上がっています。

 教育改革反対運動の一環として、彼らはあの料金所にいたのです。
 ここ数週間ずっと、EZLNは、イベントの準備・運営と並行して、運動参加中の教職員の支援を行っています。彼らは日々の活動の中心は、自治区の運営です。もちろんその自治区の中には、独自の学校もあります。自治区=自律的な共同体をいかに維持し受け継いでいくか、という問いから、彼らは、いろいろな手段を通して、よき「教育」「学校」の在り方を考え・提案し続けています。

 私は、サン・クリストバルに到着してから、同じバンに乗っていた若い女性に、「料金所にいた彼らのことをどう思いますか」と質問してみました。女性は、ニュートラルな表情で、「抗議運動としてやっているのは分かっているけれど、交通・物流に障害を生んでいるので、良くないと思う。場合によっては料金所を通過できないこともあるから、あなたが今後そういう目に合わないことを祈ってるね」と答えてくれました。「チアパスの人たちは彼らのことをどう思っているんですか」と聞くと、「彼らの活動は、大きな議論の的。賛否両論ある」と言っていました。

 22年間の活動の歴史のなかで、EZLN、サパティスタという存在は、あまりに有名になりました。長年の蓄積の賜物として、EZLNはいま、ひとつのかなり成熟した運動体になっていると私は思います。世界中から支持者が集まるのも、彼らが哲学、そして実践(闘争)の発信地として大きな機能を果たしているからです。
 しかしこの22年という時間は、当然、彼らに対するさまざまな議論を生んできました。
 そのさまざまな反応は、EZLN自身の活動に対する批判でもある一方で、EZLNの存在を外部で受け取る側の態度に対する「違和感」からくるものでもある気がしています。
 EZLN自身に具体的にどのような批判を向けることができるのか、私自身思う所も、いろんな人から聞いてきた意見もありますが、いまの段階では、正直、それを文章にできるほどの用意が自分のなかにありません。
 外部者の態度、というもうひとつの側面についていくらか言うとすれば、「あまりにも有名になった」ことの弊害、ということになるでしょうか。例えば、大きな大学の人文系科目の教室の壁には、だいたい目出し帽のイラスト(壁画)とか、"VIVA ZAPATISTA"系の標語とかが書き込まれているし、「サパティスタカフェ」がコーヒーを売っていたりします。スキャンダラスな表現ですが、EZLNを称揚するひとからは、ときに前のめりの熱狂も感じます。目出し帽をはじめとする象徴的なイメージと、「革命」「抵抗」「自由」といった「大きな言葉」をその活動のインパクト的要素にしているサパティスタ運動は、そのエネルギーで大勢のひとにメッセージを伝播させていくことができるとともに、それが無思慮な熱狂、ありふれた表象の犠牲に簡単につながっていくというリスクも背負っています。どれだけのひとが、いまでも新鮮な態度でEZLNの言葉に耳を傾け、その運動体自体の成熟度に見合ったかたちで、彼らの思想と実践を外から受けとめることができているでしょうか。

 Quien lucha tiene el derecho de decidir a dónde lleva su camino y con quién camina. Si otros se meten, entonces ya no es apoyo, sino que es suplantar. El apoyo es respeto y no dirección ni mando. (...) Nadie nos va a liberar, sino nosotros, nosotras mismas.
 闘う者は、どこに自分の道を拓き、誰と共に歩むかを決める権利をもつ。もし他の者たちが首を突っ込めば、それはもう支援ではなく、取って代わってしまう行為になる。支援とは敬意であり、指導でも指揮でもない。(...)我々を自由にするのは誰でもない、我々自身なのだ。
(2016年7月29日に発表された、EZLNのモイセス副司令官による言葉 "EL ARTE QUE NO SE VE, NI SE ESCUCHA(みえもきこえもしないアート)"より )

 私がサン・クリストバルに到着したところでこの日記が終わってしまいそうです。次回、具体的に私がチアパスでなにをみたのか、そのイベントはどんなものだったのか、書ければと思います。

サパティスタの像

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角智春(すみ・ちはる)

1995年生まれ。島根県出身。耳の垂れた犬が好き。盆と正月には愛犬のビーグルと出雲大社周辺を散歩する。東京外国語大学でスペイン語を専攻。ゼミでは人類学&現代思想を真面目に勉強し、指導教員に「スミさんには、“自由とは何か”を考えはじめて200年、みたいな趣きがある」と言わしめた。

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